錬と中津の脱退について

ギリシャラブから山岡錬、中津陽菜が脱退します。

昨日の発表のあと、なにかぼくもコメントを、とおもって考えるのだけれど言葉がなかなか浮かんでこない。

たぶん、残念、とか、残念だけど前をむいてこれからもがんばろう、という気持ちがないからかもしれない。

やめるかも、みたいな話は、随分前、たぶん一年以上前からありました。熱量の差だったり、進路の問題があったのだけれど、ともかくそれで、ああ二人は脱退することになるだろうな、とぼくも、他のメンバーも、錬も中津も皆がおもっていたんじゃないかな。

でも結局、有り体にいえば妥協的な延命策のようなものが出されて、脱退はしないことになりました。中津のコメントの言葉を借りれば「時間や体力、気力の面で」お互いに無理せずにやる、という感じ。

そうして取りやめになった脱退の話が間延びしているような感覚を持ったままではあるけれど、バンドとしてふたたびライブ活動をするようになって、いつ頃だろう、きっと今年の六月とか、そのあたりかな、素敵なライブにいくつか出演する機会をもらって、遠征もあったし、ワンマンもそのくらいに決まったりしたのかな、ぼくは何となく、いやたしかに、楽しくなってきたな、とおもいました。スタジオも、すごくいい感じだとおもった。

もちろん、二人はいつ頃からやめることを考えていたのかわからないし、もしかしたら楽しいだけじゃなかったのかもしれないけれど、とにかくぼくはいい感じの雰囲気で、いい演奏ができていたし、現にスタジオのリハーサルでも、いいね、と口に出していう回数が倍増どころか五倍にも十倍にも増えていました。

先月のワンマンも上首尾におわって、これからもたくさん動いていく予定で、発表していない関西への遠征も決まっていたし、いい調子だな、とおもっていたところで、二人から脱退したい、という申し出を受けました。

でも、不思議と驚きもなく、悲しみとか、怒りとか、そういうネガティブな感情は全く心に浮かんできませんでした。ああ、間延びしていた二人のクライマックスがついにやってきたか、とおもいました。非常に、非常に奇妙なことに、他者に好意を伝えられたときや、親切にされたとき、逆に自分の親切に対して強く感謝されたときにそうなるように、胸がじわーっと熱くなるような感覚さえありました。

今から遡って考えれば、二人のメンバーが脱退寸前だったというのに、ワンマンも大成功だったし、最近のライブではことごとくいい演奏ができていたとおもう。

たぶんそれは、今までに彼らと一緒にやってきた四年半の月日がぼくらに味方してくれたからじゃないかな、っておもいます。四年半のあいだに彼らと共有したものごとは、振り返ってももといたところはみえないくらいに多く、濃い。

それに、二人がいつ脱退をはっきりと決めたのか知らないけれど、とにかくそれが頭にある中で、ライブができるようになったこの五ヶ月くらい、ワンマンのステージを作り上げるのにも、ひとつひとつのライブにも本当に前向きに、真剣に向き合ってくれた、そのことがぼくは本当にうれしかったし、たたえられるべきことだとおもいました。

ある日リハーサル終わりにスタジオで脱退の旨を伝えられて、胸がなんだか熱くなって、その場では、コメント出そう、とかいつ発表するかまた決めなきゃな、といったような事務的なことを話したりしながら家に帰って、よかったな、とおもいました。

脱退してくれてよかったという意味ではもちろんありません。脱退しないほうがよかったとか、そんなこともいえません。もう四年半やってきて、そんな次元の話じゃない。

二人が違う道をいくことを選んだのなら、その選択は、きっと正しいのだろう、そうおもえる場所まで、この場所までは、一緒に来ることができた、そのことが、よかった、とおもいました。よかった、とおもえてよかった、みたいな、変なことをいっているようだけれど、ほんとうに、そうおもいました。

中津とはこの間京都に行った帰り、深夜の高速、運転席と助手席で喋ったのが楽しかった気がする、何を話したかはあんまりおぼえていない。
あと、昔二本のライブの中日に錬の家で話したのも楽しかった。錬はバイトに行き、取坂は京都にライブを観に行っていた。あの頃からその二人は元気で、いそがしい。

錬もこの間大阪帰り守屋さんと一緒に車で話したのが久々に楽しかったな。
あと守屋さんがスタジオに大遅刻で、連絡も取られないから錬と二人で電車とタクシーを乗り継いで家まで迎えに行ったの、その最中は守屋さんが心配だったし、夢中だったけれど、あとから振り返るとあれも楽しかった、結局ただの寝坊だったけれど。
本当はその日、脱退の話を切り出す予定だったらしいけれど、その騒動でその日はいえなかった。

やっぱり二人が辞めることにネガティブな感情は全くないし、これからどうしよう、とかそういう迷いもありません。いつだって前方はクリアにみえている。ぼくはギリシャラブをやる。

でも正直にいうと寂しいという気持ちはすごくあって、この気持ちになるのが守屋さんの大寝坊で一週間遅れたのだとおもうと彼女に感謝したいくらい。

ギリシャラブを脱退してしまえばぼくが彼らのためにできることはおそらく何ひとつない。そんなものはもともと何ひとつなくて、ぼくはぼくのためにこのバンドをやっていて彼らは彼らのためにこのバンドをやっていて、そしてやめていく、それだけの話なのかもしれないけれどともかくない。来週に控えている、二人のギリシャラブでの最後のライブを全力でやろう、とおもうけれど、それもまあ、自分のためだ。

だからせめて、とこの文章を書きました。
なるべく丁寧に書いたつもりです。
二人だけに宛てた手紙でもなく、ファンの人たちに向けたコメントでもなく、日記というよりは、一つの散文として、錬と中津のことを考えながら思い出しながら書きました。

あとスタジオとライブが一回ずつ。
がんばろう。

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