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映画 ジョーカー感想(ネタばれあるよ)

この映画はハッピーな映画だ。

この映画の主人公はアーサーフレックという男。みんなの笑顔のために日々ピエロとして飛び跳ね、踊っている。

この映画は、そんなアーサーがピエロのメイクをするシーンから始まる。

この冒頭だけで辛くなってくる。目からは涙がこぼれ化粧が溶け出してるのに、アーサーは指をつかって口を両側に引き上げ、笑顔を作りだす。まるで死人を無理やり生き返らせようとしているみたいでゾッとした。

そのあとまるで嘘のように不幸な出来事に次々と出くわし、自分の悲しい事実を知る。だがそんな中で彼は「本当の自分」を見つける。

彼には持病があった。それは、脳の傷害のため何かのはずみで突然笑いが止まらなくなる病気だ。そんな彼を同僚たちも不気味がる。不運が重なりピエロ派遣会社をクビになったアーサーは、失意の中ピエロの恰好のまま夜の電車に乗る。ビジネスマン三人が女性にちょっかいを出していた。彼らが笑い出すと、アーサーも持病を発症し笑い始めた。それを面白がって男たちが寄ってくる。アーサーの笑いは止まらない。「気味の悪い奴だ」そういって男たちはアーサーを何度も殴り、蹴る。

この瞬間だ。この瞬間、アーサーはジョーカーに変貌する。これまでギリギリ抑圧されていた残虐なもう一人の彼が、ついに他人に牙をむいたのだ。彼はもっていた拳銃でビジネスマン三人のうち二人を即座に射殺、残った一人は次の駅で命からがら電車を降りるが、足を負傷しているためすぐ追いつかれ、アーサー、いやジョーカーの三人目の犠牲者になる。 

 このシーンも背筋に寒気が走った。電車から降りようとする男を追いかける目は、興奮していながらもどこまでも冷静な狩人の目だった。そして、足を引きずりながら這いつくばって逃げる男を、後ろから銃弾がなくなるまで撃ち続けたのだ。このシーンの緊迫感は、ホアキンフェニックスという俳優のなせるものだと思う。


この映画のどこがハッピーなんだ?狂った男が人を殺す話じゃないか。そう思っている方もいるかもしれないが、アーサーは(確か)こう言う。「すべては主観だ。何が悪くてなにが良いのか自分で決めればいいじゃないか」そうだ。白い拘束衣を着けられたアーサーが精神病院の廊下を走り、職員に追いかけられるシーンでこの映画は幕を閉じる。まるでチャップリンのコメディ映画のように。どこからどう見てもハッピーエンドだ。

もう一つこの映画で印象に残ったのは画面の色彩の変わり方だ。その芸術的な美しさはさることながら、彼の心を映し出す色使いの変貌は効果的だったと思う。アーサーとしてのシーンは全体的に暗色で構成されているのに対し、ジョーカーとしてのシーンはどれも明るい。先ほど述べたラストの廊下は、朝日で満たされている。

この映画の話は全部アーサーフレックというイカれた男の作り話じゃないのか?

だからどうだというのか?ドキュメンタリーでも伝記ものでもないのだし、「この映画に出てくる人物、事柄は実際とは何の関係もありません」と出てくるじゃないか。全部嘘だからといって何の問題がある?

この映画は死んでいた男が蘇る物語だ。もう口を無理やり引き上げる必要もない。いつでも笑顔だ。やっぱりこれはハッピーな映画なのだ。たぶんアーサーはこう言うだろう。「あなたには理解できないよ」






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