「理不尽」が泡になって消えた日の話

 「理不尽」「不合理」
 これらに出会した時、どのように対処するべきか。
 我慢して受け入れるのか、それとも立ち向かうのか、はたまた「それはおかしいですよ」と相手を説得することもできるかもしれない。

 私は、この理不尽等が投げつけられれば、まず、条件反射でキャッチし、とりあえず「すみません」と謝り、理解できないうちにそのまま飲み込んでしまう。そして後から、「これは理不尽だった、おかしかった」と気づき、相手の思いどおりになってしまったことにめちゃくちゃ悔しがり、そしてそんな愚かな自分を責めてしまう。
 その時に消化できればいいものの、厄介なのが、新人の頃に仕事で上司に理不尽に怒鳴られたことや、中学生の時に一つしか違わない部活の先輩に、何の意味があるのかわからないトレーニングメニューや挨拶のしきたりのことまで、割と昔のことを今でも思い出し、その苦々しさに涙が止まらないこともある。
 思い出して「あー」とか「うー」とか唸りながら悶えるたびに、過去に囚われたままであることを痛感し、もうすぐ30代でそこそこ成熟した大人なはずなのに、まるで成長できてないと、自分がどうしようもなく惨めに感じ、また涙を流す。

 そんな時、下の田中みな実さんの記事を読んだ。

「当時の女子校の運動部は上下関係が厳しく、そこで打ちのめされることは多々ありましたね。先輩と話すときはつま先立ち。先輩が体育館に入ってきたらその人数分、声を張り上げて挨拶をする。先輩が通る道を雑巾がけする。指示される前に自分で仕事を見つけて行動する。年賀状や暑中見舞いは黒の万年筆で縦書き…。数えきれないほどの部則に縛られ、正直、辟易しました。
 …
 結果として、わけがわからないと思っていた数々の部則はその後の人生で大いに役立つことに。目上の方への失礼のない振る舞いや言葉使い、礼儀、手紙の書き方、目を見て話す習慣、何より強靭な精神力とガッツが身について、現在の私を形づくる大切な経験となりました。今もなお、当時の顧問の先生や諸先輩方には感謝の思いでいっぱいです。」
VoCE 連載COVER BEAUTY 2022.07.22記事

 読了後、ほっとした。
 自分が理不尽に耐えてきたことを「それでいいんだよ」と肩に手を置いてもらったような感覚だった。
 胸につっかえていた石のような塊が消えるのを感じ、シュワシュワとした音が耳に届いた気がした。
 私はその理不尽に耐えた自分を認めてあげることができなかった。理不尽だけでなく、頑張った自分を自分で否定していたことが苦しかったのだ。
 もしかしたら、その経験がこれから襲いかかる辛さを乗り越える、あるいは拳でぶち破ってしまう力になるかもしれない。
 頑張ってよかったんだ。頑張ってくれて本当にありがとう、私。
 
 今も思い出すことはあるけど、「よく頑張ったね」と呟くだけで、じわじわとしたむず痒さが消え、悶えることも無くなった。
 理不尽や不合理は、生きていく上で避けられないが、「それに耐えた自分を認めてあげる」ことを学んだ私には、ほぼ無敵だ。
 むしろ、次はどんな理不尽に出くわすんだろう、とRPGのモンスターを待ち構えるように、少しワクワクしてしまっている気持ちもある。
 もう大丈夫。胸を張って、これからも自信を持って生きていける。
 
 最後に、田中みな実様、VoCEご担当者様、本当にありがとうございました。

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