見出し画像

#020「GreenLushの心の根」政治でしか変えられないものがある。その3 個人で出来る事と集団でしか出来ないこと。

みなさん、こんにちは。
いつもブログを見てくださり、ありがとうございます。

個人で出来る事と集団でしか出来ないこと。

「食べ物に困らず、物も溢れ、雨風を凌げる安全な家がある。電車やバスは時間通りに行き来し、街はいつでも明るい。スマホひとつで荷物が届き、たくさんの情報を得られ、誰とでも連絡が取れ、話し、笑い、共感し合える。」

私達は、一見満ち足りた生活を送っていると、集団や共同体という存在や重要性を忘れ、個人で何でもできてしまうように思ってしまいます。それと同時に個人主義が何か素晴らしいものかのように思ってしまう事があります。

”何かに帰属する事は自分が確立できていない証拠だ”
”これからはグローバルの中でいかに個人で勝負できるかだ”
”個人主義こそが洗練され、自立した人類のあるべき姿だ”
”他者との繋がりが自分を縛り付ける、その鎖(しがらみ)を解き放つべきだ”

グローバリストのような意識高い系の実業家とか外資系のコンサルとか、そういった人達が好きそうなフレーズです。

兎角、発信力、影響力が無駄に大きい彼らがこのようなフレーズを垂れ流していると、知らず知らずのうちにそれが正しく、我々すべての行き先のように思ってしまいがちです。

その結果、男女、夫婦、家族、親戚、地域、友人関係、自治体、会社、組織などのあらゆる「集団」や「共同体」が様々な方向から分断され、疎外され、相対化されます。

そういった工作によって我々は”個人”が素晴らしいものだ、あらゆる面において”個人”で解決できる、だから共同体なんて必要ない、意味ない、むしろ害悪だ、と知らず知らずの内に刷り込まれてしまっています。

しかし、それは大きな間違いです。

特に政治活動において、です。

今のところ、国家という枠組みがある以上、個人がお互い妥協しながら集団を作り政治に反映させていくという当たり前のプロセスにおいて、”組織”や”共同体”がどうしても必要なのです。

例えば、

個人がイスラエルに邦人救出に行けますか?(これはひょっとしたらいるかもしれませんが)

個人で核武装できますか?原潜艦隊を作れますか?

高速道路や橋を作れますか?

どんなに消費税やガソリン税がおかしな税金であっても個人がひとりの意思として払わないと言えますか?←ただの脱税。

我々は、我々ひとりひとりの、個々の意思を集団の総意にして政治に反映させる事でしか実現できない事があると言う事を知らないといけません。

政治でしか変えられないものが、世の中にはあるのです。


戦う方法を考えよう

SNSは本当に便利ですよね。日本中、いや世界中の人と瞬時に繋がれる、素晴らしいツールです。

このSNSを政治に活用するのは非常に有益ではありますが、その一方で、小さな発信ではチカラが分散してしまう恐れがあります。何度も言いますが、政治は数です。数はチカラです。チカラは束ねないといけません。

従ってSNSを使うにしても、やはり、地域、市町村、都道府県のレベルでの連帯がどうしても必要です。

つばさの党の黒川さんが次のように言っていて非常に共感した事です。

”実際に合って議論して初めて通じ合う事が出来る、それが何よりも勝る”
”きっかけがSNSでも良いが、結局リアルでの友人や知人との繋がりが重要”
”リアルで繋がる事の大事さを共有し広めていきたい”

このような繋がりの輪が結集することで草莽の大きなチカラになると信じています。

日本文化チャンネル桜の水島社長は明治維新の志士久坂玄瑞の言葉を借りて、日頃から次のように述べています。

”これまでの戦後を担ってきた政治家も財界人も、もはや頼むに足らない、この上は、草の根(草莽)国民の義挙の他には、もはや日本を救う手立てはない”

黒川さんと水島社長の言葉は意味は異なりますが、どちらも国民ひとりひとりの意識と行動と連帯の重要性を言っているように思います。

政治となると何か胡散臭いとか、小難しいとか、マウント取られるとか、論破されるとか感じてしまいますよね。

しかし、その2で述べたようにまずは他人事ではなく自分事として関心を持つことが大事です。

少しでも興味が出たら、”なぜだろう?”を更にほんの少し進めてください。

そうすると徐々に知ることができます。

そうして知っていくうちに、”おかしいな”、とか、”なんか変だ”という気持ちが自然と沸いてくると思います。

それが「気づき」です。

次回以降、「気づいた後、具体的にどうするか」について考えてみたいと思います。

今日はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?