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「思い出×距離」論

中学生のころのボクはまわりの誰よりもこの場所から離れたかったはずである。
だから高校も地元の中学の同級生は誰もいかない市内のこの場所から遠いところを選んだ。
高校生のころのボクは着々とこの場所から離れる準備をしてたはずだった。
ここではないどこかへ行きたかった
ここよりももっと都会の東京へ。そして海外にいけたらなんて朧気に思っていた。
そのころのじぶんの未来に対して無限の可能性をもっていたし
じぶんにはそういうものが用意されてると信じて疑ってなかった。
それが大人になることだと思ってた。
が、なぜかずっと地元にいてる。
なにがどんなふうして歯車がくるったのか。
42年間まさかここにいるなんて。
だからこの場所にはあんまり思い入れなんてないし
やっぱりなんにもない場所だと思っている。

大人になったら東京でスーツを着てネクタイをしめてバリバリ働いてると思ってたのに、今現在、地元で親のつくった会社でパーカーを着てピンク色のキャップを被ってこれを書いてる。

どちらがいいとか悪いとかではないのだけど。

少し前に中学時代の同窓会があって
久しぶりにこの場所から離れた友人達とも会った。
地元にいない人ほどここでの思い出を大切にしてて
なんていうか彼らにとってここは「故郷」になってて
いつかは戻りたいくらいのここにしかない場所にアップデートされている気がした。

どうやら距離や時間がその地点と離れれば離れるほど掛け算的みたいに大きくなるみたいだ。
そして普通の掛け算とは少し違うのは「マイナス」がいい感じに消えるところだ。
「思い出×距離」をすると
「郷愁」とか「原風景」とか「青春」とかそういうものが少し甘酸っぱいものが生まれてくるんだろうか。
ボクはここでの思い出はあるとは思うけど
限りなく「距離」が0(ゼロ)に近いんだろうな。

なにかになにを掛けてみると
そのなにか以上におもしろいものが生まれる場合がある。
「庭」に「ファッション」を掛けてみるのもおもしろいかもですね!

土曜日のステマでした(笑)

みなまで言うとステマはステルスマーケティングの略です。

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