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「レイヤード論」

いつもその場の思いつきで適当な「〜論」をぶちかましているのですが今日はちょっとマジなやつを。

僕が庭づくりにおいて大切にしてるものの一つに”レイヤー”をどんな風に重ねていくか、つまり”レイヤード”というキーワードがある。どう”MIX”させるかと言ってもいいかと。

その重ね方がそのつくり手のセンスであり、ボク的には素材そのものはその次の話なのです。
だから勝手に話にだして申し訳ないですが
荻野さん(大先輩の荻野寿也景観設計さんのことです)の庭を語るのに、雑木の話や山採りの話をよく同業者はしていたが、そんなものは二の次の話で、極端な話、荻野さんは雑木や山採りをつかわなくても荻野さんたるものをつくられると思う。見るべき大事なところは荻野さんのレイヤードの方法や感覚なのである。

じぶんの話でいうと、アガベ(少し前に書いたアガベ論もおススメ)や赤松だと。
それらをつかったレイヤードはじぶんたちが新たにつくったものだと思ってる。わかりやすいのはH_BEAUTY&YOUTHだと。
だからアガベは昔よくつかったとか、僕はアガベは使いませんとかいうのはまったくもって全然的外れな話だし、アガベやロストラータやチャメロプスやサボテンなどよく似た感じのものをこんなもんでしょ的に重ねた(いや、並べた)ものとはほんと一緒にされたくない。
ついでにいうなら同業者からよくそこでその植物が育ちますかとか、どうやって手入れされるつもりですかとかいう質問があるがほんとつまらない質問で、当たり前だけど多少の挑戦もこちら側にもあり、万が一うまくいかなかった責任はすべてこっちがとるのだから。挑戦もせず結果だけを知りたい人っていったいなにがしたいのかまったくわからない。

閑話休題。
僕がやりたいのは、水平方向に広げつつ、わからないように垂直方向に少し掘るというものだ。
「水平方向はカルチャーみたいなもの。垂直方向は庭の文脈や歴史だ。」
垂直方向にどれくらい掘るのかというのも”場所”や”今という時代”や”じぶんの興味”などで合わせて変えていく。
ゼロなら園芸家さんのされたような今っぽいものになるし、そこをどんどん増やせばコテコテないわゆる"和っぽい"ものになっていく。
素材もそうだけど、技術の見せ方に対する考えも同じで、そこを踏まえてそれに合った最善のものを選んでいく。

それをどう重ねていってるか。
まず見るべきところはそこであり、素材の一つや技術の一部分ではないのだ。
レイヤードの気持ち良さだったり違和感だったりズラしだったりがそのへんがつくり手のセンスであり個性だと思う。
もちろん建築やインテリアやクライアントの個性などを想像しながらそこに今書いたことを考えながら庭をつくっているのです。

つまり水平感覚と垂直感覚に優れたものだけが"イカした庭"をつくれるということです。


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