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コロナウイルス連作短編その207「桃色、黒色、黄色」

「今日もまっピンクの服着てんな!」
 待ち合わせ場所にやってきた川田神牙公のド派手に過ぎるピンクのジャケットを見て,西塔越智子はそんな叫びを投げ掛けた.これを聞いた牙公は両手を広げながら,胸をドンと張る.
 彼のジャケットは果てしなく濃厚なピンク色に包まれている.眼球がこれを視認した瞬間に色彩そのものが網膜へと強襲を仕掛けてくると,そんな重みすら感じさせる代物だった.その圧力によって視覚を司る細胞が次々と弾けていく感覚をも越智子は覚える.不思議と不愉快ではない.
 だが彼がこちらに近づいてくるごとに“まっピンク”という形容は少し誤っていたのではないかという気分となっていく.当然だが“ピンク”と言えどもその色彩には諸相が存在する.
 例えば牙公と初めて会った時,彼はやはり“まっピンクな”ジャケットを着ていると越智子は認識した.しかし精査するのならばあの暴力的な明るさを伴った色味は,越智子の言語感覚において“蛍光ピンク”と形容したくなる彩りだった.これを視認した時の衝撃はレーザー砲に眼球を撃ち抜かれるような感覚だった.
 しかし今回の“まっピンクな”ジャケットは前よりも重苦しく,燻した金属さながら渋い影すらかかっているように思える.ここにおいて越智子の頭には“マゼンタ”という言葉が思い浮かぶ.そういえば妹と一緒に見た特撮のヒーローがきついほど濃いマゼンタの駆体をしていた.それを“ピンク”と表現されるたび「ピンクじゃない,マゼンタだ」と主人公は訂正していたような気がする.
 だが“まっピンク”と“蛍光ピンク”,そして“マゼンタ”という言葉を,何を以て使い分けていたのかというのを自分で自分に説明できず,越智子は戸惑った.感覚で使い分けている,そうとしか言えないのだ.だが何とはなしに“まっピンク”と“蛍光ピンク”,つまり“ピンク”とはより軽薄で,“マゼンタ”はより重厚で格調高いもののような気が,越智子にはした.
「今回はマゼンタって感じやね」
 牙公が目の前にまで来た時,越智子は自然とそう言っていた.
「いや,これピンクっしょ」
 わざわざ彼が軽薄な方の言葉を選んだので,少し戸惑った.
「ピンクっていうのは,前に着てきた方のこと言うんじゃない?」
「いやいや,前のもピンクだし,今回のもピンクだろ.何?」
 最後の問いにどう答えていいか分からず,越智子は思わずヘラヘラした笑顔を浮かべる.その時,ニュースに惑わされずマスクをしてきておいて良かったと予想外な安堵を覚えた.牙公もマスクをしている.場違いなまでに白い.
「何だよ,コチコチ,君もピンクナメてんの?」
 わざわざマスクをずらしニヤつきをこちらに露出したうえで,牙公はそう言った.
「君もあれだ,“ダサピンク”とかいう言葉に洗脳されてとうとうピンク自体がダサいと思っちゃってる系女子だろ.主体性の欠片もねぇ~ッ系女子」
 牙公はジャケットのピンクをこれでもかと見せつける.
「ああいうフェミは強い言葉使って“家父長制打倒!”とかなんとか言って,間抜けな大衆煽るだけ煽って,後始末一切しないから最低だよな.“ダサピンク”とかマジで“ピンクは本質的にダサい”って印象植えつけるだけでしょ.君も惑わされてるよ,つーか君もフェミ?」
「は? ああいう“トランス女性は生物学的男性”とか言ってる,それこそイギリスと韓国の馬鹿に洗脳されてるクソと一緒にすんなや.ああいうやつらのせいで,妹が実害被ってんだから」
 へいへいへい,そう言いながら牙公は頭を下げる素振りを見せる.
「だがこんなカッコいい色をさ,“ピンクを女に押しつけるな”だなんだ言って自分から拒否ってるフェミの気が知れないよな.その反感がもはやピンクへの憎悪になってんだよな,ピンクフォビア.これだからフェミは」
 そして牙公は“(笑)”という語を表現するため,律儀に“かっこわらい”と口に出す.
「色に勝手な偏見押しつけてんのはどっちの方だよ」
 そんな言葉を聞いた後,越智子は自分の服を見た.
 黒かった.ただただ黒い.
 越智子はとにかく黒が好きだった.ゆえに余程のことがない限り,着る服は黒い.
「そういうのだとさ……」
 今度は越智子が口を開く.
「私,“黒歴史”って言葉好きなんだよ,何かカッコいいから.でもこの前私がこれ使ったら,意識高い系の馬鹿が“黒歴史みたいに黒を悪い感じで使う言葉は黒人への差別!”みたいなこと言ってきて,は?とかなったよね.あと本読んでたら“ブラック企業という言葉は黒人差別! ちゃんと労基法違反企業と言え!”とかも見つけてさ.メンドくせえなって.ほんとこういうのウザい.でもより最悪なの,こうやってウゼーって思ってんのに何か私も使うのに罪悪感抱いちゃって,実際どっちもあんま使わなくなっちゃってさ,ダブルでムカつくわ」
 越智子は服の黒い袖を掴む.
「何か思わん? 黒に関連してる,色んな国で積み重ねられてきた文化が全部黒人に奪われてる感じしない? アジア人がドレッドヘアーやんのは“かるちゅらる・あぷろぷりえーしょん”とか言ってるけど,お前らの方が世界から黒の文化を奪ってんだよと,特に言葉狩り的な意味で.そもそもあいつらの肌の色,黒じゃなくて茶色じゃない? 茶人だろ茶人.あいつらが黒とか所有する資格なくない? つーか黒人のラッパーとか映画監督がめっちゃドラゴンボールとかNARUTOとかネタにしてんの日本人っていうかアジア人からの“かるちゅらる・あぷろぷりえーしょん”じゃね?」
 牙公は爆笑を始める.
「めっちゃ分かりますわ.でもあいつらが茶人になったらなったで“へそで茶を沸かす”とか“怒りを茶に結びつけるのは茶人差別!”とか,あと“茶道”も文化簒奪とか言い始めるぞ,どうせ!」
 越智子も爆笑する.
「いや,それは飲み物の“茶”やん,色の“茶”じゃないし.“tea”と“brown”はさすがに違うっしょ」
「おいつーか,もう“brown”はいるやん,インドのやつ.“茶人”はインド人とかやん.黒人が“茶人”になったら,あいつらどうなるの」
「えーっと,それは……“tea”人じゃない? 最初の字を大文字にして“Tea”で,そんで“Tea People”」
 我ながらつまらないことを言った気がして,越智子はまた爆笑した.
 ふと,鼻の先に何かが触れたような感覚がある.怪訝に思い,鼻に乗ったものを摘まんでみると,それが桜の花びらだということに気づく.そして頭上に満開の桜がほとんど炸裂するような勢いで咲いているのに,やっとのことで気づく.
 風に晒されて,大量の花びらが舞い散っている様は豪快でありながら,どこか切なさすらも感じさせる.四季という概念自体,自分の体調を翻弄するゆえ唾棄していながら,こういった風情ある春の光景を見ていると思わずほだされてしまう自分に気づく.綺麗であることは否定しがたかった.
 と,ふと越智子が思い至ったのは,あの花びらの色もまた“ピンク”と表現される類いのものであるということだ.
「は? 何言ってんの,そりゃそうだろ」
 これを言うと,牙公は鼻で笑った.
「いやさ,ピンクの日本語訳って“桃色”じゃん? だからピンクっていうのは日本で言えば桃の色っていう思いこみがあったというか.それ以外考えたことなかったというか.でもそういえば“桜色”ってピンクやん.あれは“まっピンク”ってより“薄ピンク”だけど,でもピンクやん.今まで何かそういうの気づかなかった.桜ってピンク色やん」
「意味分かんね,やっぱ君,フェミに洗脳されてるよ」
 そして彼はポケットからスマートフォンを取り出し操作を始める.だがすぐに越智子の方を向いた.
「野球で,日本がアメリカに勝って優勝したらしいよ」
「へえ」
 越智子は特に野球に興味がなかったので,特段目立った反応を行わなかった.しかしあることに気づく.
「アメリカチーム,黒人いる?」
「えっ,知らんけど.でもいんじゃね,黒人,スポーツとかヤバイし」
「日本人,黒人ボコったかもね」
 そう口に出してみると,嬉しさが込みあげてきた.
「ねえ,日本優勝記念に花見しない? 近くのコンビニで酒でも買ってパーッとお祝いしようよ」
「マジ? 昼から酒飲むの?」
 そんな当惑を尻目に,心が浮きたち,自然と頭に浮かぶ歌がある.
 さくら……さくら……赤白黄色……
「何その曲?」
「ハ?『さくらさくら』でしょ,音楽の授業とかで歌わされたやつ」
「知らね,まあでも,酒飲むかあ,最近ぼくチャミスル嵌まってんのよ」
 牙公はピンクのジャケットを振り乱しグルグルと回り始める,既に酔っぱらっているかのようだった.
「でも,さくらさくらの後の“赤白黄色”って何? 桜関係なくね,チューリップっぽくね.つーか歌詞間違ってるでしょ,絶対」
「え,確かに.私も分かんないわ。でも間違いじゃないよ、私こう覚えてるし。で、赤は……共産主義者? 斎藤幸平かぶれのやつら……いやまあ,無難に桜じゃない? 桜の歌で“桃”って言うの何かおかしいでしょ」
「じゃあ白は……白人?」
 牙公はプッと吹き出す.
「それだったら黄色は……ぼくらアジア人なわけだ」
 牙公はまたニヤつく.
 取り敢えず越智子もスマートフォンを取り出す.Twitterを眺めていると,大谷翔平が“日本の野球がますます世界で注目されますね?”と記者に質問された後に“日本だけじゃなくて,韓国もそうですし,台湾も中国もその他の国ももっともっと野球のことが好きになってほしい”と答えた,そんな記事を見つけた.
「時代は今,アジアだね」
 越智子が言う.
「韓国は映画とかK-POPみたいな文化で世界を圧倒し,中国はすごいことになってる経済で圧倒し,そして一時期より勢いは落ちたけど日本は野球で圧倒.黄色人種なの,今や誇りやね」
 越智子がそう言うと,牙公は笑いながらこう返す.
「これからはネオ黄禍論の時代だな! 前はあっちが勝手に攻めてくるとか言ってたけど,今度からはこっちから実際攻めていったれと!」
 と,越智子の肩が何者かとぶつかる.後ろずさるなかで,彼女は通行人を睨みつけた.褐色の肌をした男は謝罪の言葉を口にし,足早にその場を去るが,越智子にはその言葉が「ア,ゴメナサイ」と片言にしか聞こえなかった.
「この前,香港のアクション映画観てたら,東南アジア人が麻薬密売してて,主人公に全員ボコボコにされてたよ」
 越智子は首を掻く.
「その雑魚と同じ死んだミミズみたいな顔色してたね,あいつも」

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。