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コロナウイルス連作短編その218「素朴な疑問」

「“黒人”って言葉を使ってるとき、そいつ自分のことを“黄人”とか言ってないでしょ。日本人とかアジア人のこと、黄人って呼ばなくない? それと同じ。私たちのこと、軽く“黒人”とかいわんでほしいわ。せめて“アフリカ系”とか言えっつうの」
 黄川田日々は同じクラスの由伽田ビネテがそう言っているのを、横で鼻を穿りながら聞いていた。この女がこんな知的なことを言うはずがない、おおかたどこかの意識高い系アクティビストだかからの受け売りだろう、これが日々の見立てだった。
 放課後、日々は聖福戴が廊下を歩いているのを見つけるとなると、後ろからバゴンと右肩を叩いた。情けない声をあげながら、一瞬体勢を崩し、何とか元に戻ろうとしながら、戴は彼の方を向いてくる。顔も髪も瞳も黒黒しいことこの上ないが、白目だけは白どころか黄ばんでいるのが愉快ではない。
「お前、自分のことアフリカ系って思ってる?」
 そんな不躾な質問に、戴はただ体を震わせた。
「素朴な疑問だけどさ」
 戴の返答も待たずに、日々はさらに続ける。
「黒人ってアフリカ系だけじゃないよな、カリブ系もいるよな? お前みたいにさ」
 日々は、戴の親のどちらかがアンティグア・バーブーダというカリブ海東部にある島国というのを前に聞いたことがあった。
 最初にアンティグア・バーブーダという国名を聞いた時、日々にはそれが何らかの不穏な呪文のようにしか聞こえなかった。だがネットで調べ、その国旗を見た時に驚いた。
 あの赤い山の間に青と白の海が広がり、そこから黄色い太陽がのぼっている紋様。
 幼少期の頃、子供用の地図帳を眺めていて見つけ、そこから一番好きになった国旗がそれだった。白い紙にクレヨンを使って何度も何度もその国旗を描いていた。そののめり込み具合は、今でも彼の母が子育てにおける印象深い思い出の1つとして挙げるほどだ。彼女の弟、つまり日々にとっての叔父が家に来る際は、特に毎回話していたのを覚えている。
 しかし国旗それ自体への興味が薄れて10数年後、日々は戴を通じてその国旗と再会を果たした。そしてアンティグア・バーブーダという国、カリブという地域との邂逅を果たした。
「アンティグア・バーブーダとか」
 日々はその名前を発言する。特に後半部を発音するのが好きだ。“バ”が唇で爆裂し、次の“ブ”が連鎖爆発を起こし、最後の“ダ”が全てを斬り捨てるかのように響く。気分がいい。
「グレナダとか、セントクリストファー・ネイビスとか、セントルシアとか」
 戴はオドオドしながら、日々を見るだけだ。
「“黒人”がダメで全部“アフリカ系”って呼べとかなったら、こういう“カリブ系”の存在抹消だよな? カリブってアフリカと違う独自の文化、いっぱい作ってるよな? なのにそういう違いを無視して、カリブ系も“アフリカ系”って括ったら、それもう文化ブン取っちゃってるよな?」
 戴はオドオドしながら、日々を見るだけだ。
 本当に情けない人間だと、日々は思った。少なくとも自分たちの学校でビネテの言葉に反論できるのは戴しかいないのに、そんな存在がここまで自分の文化への誇りに欠けているとはお笑い草だ。これでは彼女のような“アフリカ系アメリカ人”によってカリブの文化はもちろん、アフリカの文化をも奪われるのではないか。
「おい、自信持てよ、なあ!?」
 そう大声を出すと、戴はまた惨めたらしく体を震わせた。これではライオンというより、そこらの土の上を這いずるミミズだ。
「アンティグア・バーブーダの人で、ノーベル文学賞獲ってる人いるんだぜ。あとセントルシアとかにも文学賞獲ってるやついるよ、セクハラで訴えられたらしいけど」
 戴は、むしろうなだれた。これに関しては、これ以上話しても無駄だと思えた。
「それにさ、素朴な疑問だけどさ、俺は逆に何でみんな“黄人”とか言わんのやろとか思ってる、思わん?」
 戴は何も言わない。
「ピカチュウかわいいし、プーさん世界で人気者だし、善逸は普段はアレだけど戦う時は超カッコいいし。黄色ってそもそもめっちゃいいじゃん」
 戴は少しこちらを見た。「鬼滅の刃」に関しては、確か彼も好きらしい。
「そんで暇な時に、オンラインの英語の辞書とか引いてカッコいい単語ないかなとか探してたんだよ。そしたら何かめっちゃいいの見つけたんだ。俺もう一発で覚えたんだよ、x-a-n-t-h-o-u-sで“xanthous ザンザス”だってさ。カッコよくね?! しかもこの単語の意味なんだと思うよ?!」
 戴はまたオドオドしだし、何も言わない。
「“黄色人種”だってよ!」
 そう声量を最大にして叫んだが、戴はとうとう体をビクつかせるなどもしなかった。
「そんでさ、それ知った瞬間にめっちゃ色々おりてきて、めっちゃ描いたんよ」
 そう言ってから、日々は鞄からノートを取り出し、ある1ページを見せる。そこには漫画のキャラが描かれている。
「黄色のキャラはやっぱ雷属性だよな、それでめっちゃザザって感じでギザギザって感じでザーって描いたんだよ、このキャラ。名前はマジでそのまんま“ザンザス”!」
 そのザンザスを、戴はマジマジと見つめていた。その姿勢は、明らかに前のめりになっている。そしてザンザスを映す彼の目、その白目がより黄色くなっている。
「マーベルみたいなやつで、黄人ヒーロー作んだよ。相棒は、もちろん黒人な!……」
 ザンザスの漫画化計画を喋りに喋りまくるうち、戴の瞳は、さらに黄色くなっていった。
 その黄色は正に、アンティグア・バーブーダの国旗に描かれた太陽、赤い山の間に青と白の海が広がりそこからのぼってくる太陽の黄色だった。
「俺は黄人、お前は黒人!」
 それは同時に、酒を飲み過ぎて若くして亡くなった叔父の皮膚のような黄色だと、日々は思った。そして彼もネットでググって知ったのだが、肝硬変になった肝臓は文字通り死ぬほど黒い。

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