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コロナウイルス連作短編その217「広背筋、大円筋や僧帽筋など」

 西東薫は,今バガンド・ガジイェフという男に自分の首筋が荒々しく貪られている状況が夢のように思えた.こんなにも筋骨隆々で,オーバーヒートする巨大な精密機械さながらに息遣いも野太く激しく,輪郭を取りまく髭も爆ぜているかのごとく鬱蒼たるこの同性愛者の男に求められているという事実は,自分が男であることを何よりも雄弁に証明してくれているように思えたからだ.
 細胞を1つ抹殺するかのような注射の鮮烈な痛み.
 背中にできた大量のニキビへとセナキュアを噴塗した時の触感.
 骨伝導によって耳を揺らす自身の声の爽快たる重苦しさ.
 コレステロール値が高くなっていると医師に言われた時の言い様なき不安.
 全身に点在しながら自分を日々貫いていった様々な感覚が,まるで走馬燈のように薫の脳裏に浮かんでは消えていく.
 そしてバガンドは,薫の体を凄まじい力で抱きしめる.
 自分の肉体が完膚なきまでに潰されるのではないかという恐怖.
 別にバガンドにだったら潰されても構わないという高揚感.
 薫はその極から極へと振り回され,今までになく動転していた.
 そんな状態に体を震わせるなかで,バガンドの腕にされるがままに服を脱がされていき,そうして胸の手術痕が露わになる.
 普段これは“男の勲章”だと誇りつづけているが,その姿勢に応えるかのように,傷痕は未だに濃厚な赤紫の彩りを艶めかせている.
 もちろんバガンドにも前からこの痕については話していた.だが今,少しの恥ずかしさを覚えている自分に気がつき,驚いてしまう.実際に彼がこれを受け入れてくれるか不安で,そんな心配をしてしまう自分を情けなくすら思ってしまう.
 バガンドの視線が,薫の傷痕を射抜いた瞬間,かすかに体が震えた.
 スッと世界が静寂に包まれる.バガンドは蒸気を噴出する巨機から透き通った水晶玉のような佇まいになったかと思うと,その指で薫の指を優しく撫でてくれる.それが傷に喰いこむなどということは一切ない.皮膚と皮膚が溶けあうほどに滑らかだった.動転していた心が歩くような早さで落ち着いていき,その安心感から途方もなく柔らかな気持ちよさが湧いてくる.
 薫はバガンドの手に自分の手を重ねあわせ,その皮膚と骨,肉と細胞ごしに自分の傷に触れる.そんなこと,今までしたことなかった.

 遠足で疲れはてた小学生が響かせる類の,なかなかド迫力で本当に無邪気.
 バガンドの寝息を横で聞きながら,薫はそんなことを思い,笑みが溢れた.
 安らかな心地でそれを聞いていると,自然と彼と出会った時のことを思いだす.
「ダゲスタンって,格闘技強いところですよね?」
 とあるバー,マスターもどの客も分からなかった“ダゲスタン”という言葉に唯一反応したのが薫だった.
「ああ,よく知っています」
 バガンドは流暢な日本語でそう言ったが,少し違和感を抱いた.そして気づくのは,語尾の不足感だ.おそらく“よく知っていますね”と驚きを示したかったのではないだろうか,薫はそう予想する.同時に“よく知っています”と“よく知っていますね”で文章の意味がかなり変わってしまうことを実感し,日本語の難しさを想った.
「いややっぱ,ダゲスタン軍団は格闘技界で超有名ですから.ハビブ・ヌルマゴメドフ,イスラム・マカチェフ,マゴメド・アンカラエフ……」
 そうしてちょっとした高揚のまま名前を挙げていくと,バガンドは目を丸くして驚いていた.その時の眉の動きかたが,可愛らしかった.
「あなたも格闘技やってるんじゃないですか.こんな男らしくてムキムキなんだから」
「……“ムキムキ”?」
 バガンドはきょとんとした表情を見せてくる,まるで流氷の上でゴロゴロしているゴマフアザラシの赤ちゃんのようだった.
「ああ……えっと,筋肉がとても鍛えられているって感じ……」
 “ムキムキ”という言葉の説明などもちろん初めてで,思わずしどろもどろになってしまう.
「そういう言葉ですか,オノマトペですか,日本語のオノマトペはムズい」
「そうやって“ムズい”って言葉が使えるなら,オノマトペだって簡単に覚えられますよ!」
 そう言ってから,薫は笑う.そしてバガンドも笑った.
「そういえば,僕は格闘家ではありませんね」
 バガンドが言った.今度は語尾に“ね”をつけていたが,これはこれで違和感があった.
「格闘技はとても好きではないです」
 今度は再び語尾に“ね”がついていない.代わりに“とても”という場違いに思える副詞がついている.
「あのような闘いの文化,好きじゃない.だから日本に来ましたね」
「ああ,そうなんですか」
「加えて」
 バガンドは言う.
「この“ムキムキ”は“男らしい”ではない,“僕らしい”なんです」
 バガンドはシャツより堅く隆起する二の腕の筋肉を,微笑みとともに優しく撫ぜながら,そう言ったんだった.
 その後,薫とバガンドは酒を飲みながら様々なことについて語りあった.特に覚えているのはBTSについての話だ.ダゲスタン共和国ではBTSのドキュメンタリーが上映禁止の措置を受けたのだという.“BTSのドキュメンタリーも韓国人7人の同性愛者の映画だ”……“私たちはBTSの非道な振る舞いを止める必要がある”……“度を越した不道徳な行動に断固として反対する”……バガンドが見せてくれたYahooニュースの記事には,そんな言葉が並んでいた.
「爆笑,だろ?」
 唐突に砕けた口調になってそう言うと,バガンドは実際に爆笑を始めた.まるで胸ぐらを掴まれてグラグラと全身を揺さぶられるような勢いだ.それに巻きこまれ,薫も爆笑する.そして爆笑しながら,日本もそう理想的ではない現状でありながら,その現状ですら相対的にマシに思えてきて,悲しくなった.
 ふと,薫の右の指が,テーブルに置かれたバガンドの左の指に触れた.ビッと静電気の走るような感覚があった.驚いた.しかし,例えばショッピングモールの金属製のドアに触れた時と同じように,瞬時に指を引っこめるということが起こらず,薫の右の指はバガンドの左の指に触れたままだった.それに,より驚いた.バガンドも彼の指を振り払うことはなかった.
 今,薫はバガンドの横顔を見ながら,その感覚を思いだす.
 敢えて,実際に指に触れようとはしない.曖昧なものを曖昧なままにしながら,その幸福感を静かに味わう.

 夕方,薫はいつものようにジムへと赴く.どんなに素晴らしいことがあろうとも,逆にどんなに酷いことがあろうとも,このルーティンは絶対に欠かさないようにしている.
 ストレッチ後,まず行おうと思うのはラットプルダウンでのトレーニングだ.広背筋を中心に,大円筋や僧帽筋といった主に背中の筋肉を鍛えるための器具であり,逆三角形の背中を築きあげるにはこれが欠かせない.肩凝りの予防,姿勢の改善にも繋がるゆえ,この器具を使わない手はない.
 まず座面の下にあるレバーを引いて,座った時に足の裏がキチンと床につく高さにまでそれを調整する.そして座面に腰を据えた後には,柱についた太ももを押さえるためのパッドの高さも調整し,両足を堅く固定できるようにする.
 こういった調整は,ここまで丁寧にやる必要はない.だが薫にとってこの一連の作業は筋トレ前の儀式のようなものであり,これによって日々使用する器具への感謝を表し,そして同時に心を厳粛に落ち着けることができる.このさりげないながらも丹念な準備が翻っての自分自身の肉体への労りにも繋がると,薫は固く信じている.
 だが今日,妙なことに太ももを押さえるパッドの位置がシックリこないという感覚がある.黒いツマミを引きながら位置を調整しようとするのだが,押さえが弱すぎるか強すぎるか,そのどちらかにしかならない.
 少しイライラする.だが瞬間,自分を求めるバガンドの切ない表情が頭に浮かび,思わず唇がほころぶ.器具の不具合というよりも,幸福感で指の精度が鈍っているのだなと薫はそう心で自嘲する.
 ピンを差して重さを調節した後,薫はラットプルダウンを始めようとする.バーを持つ時の姿勢として手幅は肩幅の1.5倍ほど,上体はやや斜め後ろ倒しながら同時に胸を張る,猫背にならず背筋は伸ばしたまま,そういったことを意識する.こういった基本姿勢はいつであっても重要だからだ.
 そして胸郭の内部で肺が震えるのを感じながら息を吐き,同時に肩甲骨を寄せるように肩を下げていき,鎖骨のやや下にまで肘を下げていく.この時,腕の力でバーを引いてはならない.それでは背中の筋肉への負荷が少なくなってしまうからだ.同様に肘を伸ばしきることも避けた方がいい.こうしてから,肺を再び震わせるように息を吸いながら,肘を伸ばして元の位置へと体を戻す.
 最初はこういう動きをいちいち意識してゆっくりと反復を行いながらも,その過程で徐々に自分の心から言葉が消えていくことに薫は気づく.この感覚が鍛錬において心地よい瞬間だ.心やそれが生む思考の枷から逃れ,自らの肉体が自律駆動するのが分かるからだ.そして駆動すればするほど,肉の内奥から筋肉が,雛が卵の殻を突き破らんとするかの如く,皮膚を巻きこみ隆起していく.これが堪らない.
 この反復のなかで,だがしかし薫は違和感を抱き始める.肩回りの調子が少しおかしい.疲労感の溜まり具合がいつもより明らかに早いのだ.いつもなら反復が11回で限界になるよう重さや動きを調整しているのだが,8回で既に疲れが濃厚だ.背中全体がわなわなと,糞尿を漏らした落ち武者さながらに震えてしまい,敢えなく9回で限界が来た.そのままバーから手を離してしまう.
 いつもよりも筋肉の張りが悪いのか,何なのか.
 背中を丸めて無様なまでに激しく吸って吐いてを繰り返していると,突然背中からドゥルワドドゥルワと汗が噴きだし始める.止めどなしに溢れる汗がウェアを呑みこんでいくのを感じながら,また厭な違和感があった.
 体臭を感じない.汗が噴きだす時,同時に込みあげるあの饐えたような体臭を,鼻で感じることができないのだ.鼻をとにかく警察犬さながら動かしてみるのだが,やはり匂わない.
 コロナかもしれない,薫はそう思い,ポケットからミント香料つきのウェットティッシュを取り出して匂いを嗅いでみるのだが,鼻の粘膜に草原の風を暴力的に注ぎこんでくるようなあの匂いは,むしろいつもより強く感じられた.不愉快だった.
 そしてそこで初めて,背中と同じく顔も汗まみれになっているのに気づく.なし崩しに指が頬に触れるのだが,この感触もまたいつもと違った.ただただ水っぽいのだ.サタサタとして,皮膚の脂が少しでも溶けているとは思えない.皮膚ごと触っても,そこにもぬめりが存在しないのだ.
 呼吸が落ち着いてくるのと反比例して,しなやかな不安は肥大していく.
 文字通りに頭を揺らしてそれを振り払おうとしながら,バーを握りしめてラットプルダウンを再開しようとする.そして薫は,自分が親指をしっかり握り締めるという形でバーを持っていることに気づいた.これは理想的な握り方ではない.その握り方では腕にこそ力が入ってしまい,背中ではなく腕でバーを引いてしまうからだ.これでは背筋を鍛える精度が落ちる
 薫は手のひらの中手骨と呼ばれる部位でグリップを包みこみ,親指では握らずに人差し指の横に添えるに留めるという,通称サムレスグリップでバーを掴もうとする.そして握ったと思ったのだが,彼は当然のように親指を握り締める形でバーを掴んでいた.一瞬,何が起こっているのか理解できなかった.こんな単純なことを間違えるはずがない.
 もう一度,バーを握る.だが薫の眼球の前で,薫の手は堂々と親指を握り締めながらバーを掴んだ.目を疑ったが,それが現実に起こったことだった.
 だがここで握っているとしても,その握りしめた拳から親指をスライドさせて,そのまま人差し指の横に添えればいい,薫はそう思う.ゆえにそれをやろうとする.
 親指が,しかし動かない.ただ当然のように不動を保っている.不動を保ち続ける.

 結局,薫は家に帰ってきてしまった.そして今,洗面所の鏡で自分の体を確認しようとする.
 悪くない肉体だ.ジムに通い始める以前の,白アスパラガスのように貧弱な,そのくせ一時期は胸部もまた無様に肥大していた極端な造型の体とは比べ物にならないほどに引き締まり,雄々しい.今は常に脂肪の下には確固たる筋肉が存在していると思えるようになった.
 だが文句をつけようとするなら幾らでもつけられる半端さをも感じざるをも得ない.ネットなどでよく見掛ける,綺羅びやかなまでに筋肉を躍動させ,輝かせるトランス男性たちと比べるとなると,自分の体など遠く及ばない.どれほど多く鍛えようとこの劣等感は拭いされず,肩甲骨の間でのたうち回る.
 今,劣等感のその蠢きがいつもより激しく思える.
 薫は右腕を掲げて,力こぶを作らんとする.二の腕に左手を置きそのまま力を入れるなら,手のひらを圧迫するほどのこぶが出来上がる.だが思ってしまうのだ.これはホルモン治療で脂肪が減ったことで,筋の存在を感じやすくなったとただそれだけではないのか.前からこのくらいの筋肉は存在しており,鍛錬で得られた筋肉など実は無に等しいのではないか.
 そう考えながら,左の手のひらでこぶを押し潰そうとすると,意外なまでに容易にそれは凹んでしまう,スポンジケーキでも潰すように.結局,昔と何も変わらないのではないか.
 そしてこうして掲げている腕には,毛が生えていない.もみあげがなかなかに逞しくなり,それに連動するように口髭も黒々しくなっていき,加えて足では太ももにすら太い毛が生えてきたというのに,腕にだけは一切毛が生えてこない.
 血管すらも浮かびあがっていない,白くしなやかな腕.この部位は今でも際立って,白アスパラガスのままだ.
 ふと,薫の視界に自分の胸部が映る.どことなく,そこに刻まれた傷痕が小さくなっているように思えた.その瞬間から,傷跡が本当に小さくなっていく.目を疑った.だが輝くような赤紫もまた,見る間に精彩を欠いていく.こんなことは有りえない,有りえるはずがない.薫の焦りを嘲笑うかのように,傷は肉のなかへと埋没するように消えていく.いや,むしろ肉が膨らんでいるのか?
 女々しくなるなよ.
 そんな言葉が頭に思い浮かんだ.これは女性差別的な言葉だと,薫の理性は刹那に認識できた.ゆえに頭から振り払おうとしながら,アスファルトにこびりついた噛みかけのガムさながら,心の襞に張りつき逃れられない.
 洗面所から這いだし,薫は寝室でタブレットを起動する.そうしてYouTubeで観るのは,手塚裕之とムラド・ラマザノフによる戦いだった.ムラド・ラマザノフはダゲスタン出身の総合格闘家で現時点で11戦無敗という強さを誇るが,そんな彼は2021年に“Japanese Beast”とも称される日本出身の手塚裕之と試合を行っていた.
 その試合最初から,ラマザノフは猛然と手塚に喰らいつく.その様はまるで異常な増殖を繰り広げる蔦さながらだ.手塚の肉体に絡みつき,殴打を加えに加えていく.
 もろともに床に雪崩こんだ後にはしばらく膠着状態が続く.決定的ではない,かなり泥ついた殴打を互いにブチ込みあうその光景を観ていると,昨日のバガンドとの親密なひと時を思い出し,生唾を飲みこんでしまう.
 そんな中で,ラマザノフが手塚の側頭部をボコボコに殴りまくっているのを目撃していると,頭蓋骨ごと脳髄を圧迫されるような高揚感を抱いてしまう.その一方で,途中からはあんなにも一方的に攻められながらも,表情を一切変えずに耐えに耐える手塚の盤石さに,憧れをも抱かされた.
 そして第2ラウンド,互いを床へと組み伏しては一緒に立ちあがり,それを繰り返した果てにラマザノフが手塚の体を抱きかかえて,今まででも最も壮絶な形でそのまま床に叩きつける.
 そこでは,筋肉を鎧のごとく纏った彫像たちが,何よりも美しきバレエを舞っていた.
 薫は指を震わせながら,画面に触れて動画を巻き戻す.互いを床へと組み伏しては一緒に立ちあがり,その果てにラマザノフが手塚の体を抱きかかえて,今まででも最も壮絶な形でそのまま床に叩きつける……互いを床へと組み伏しては一緒に立ちあがり,それを繰り返した果てにラマザノフが手塚の体を抱きかかえて,今まででも最も壮絶な形でそのまま床に叩きつける……互いを床へと組み伏しては一緒に立ちあがり,それを繰り返した果てにラマザノフが手塚の体を抱きかかえて,今まででも最も壮絶な形でそのまま床に叩きつける.
 涙を流していた.
 それに気づいて,薫は自分で驚いてしまう.何度もこの動画を観たことがあったが,涙まで流すのは初めてだった.
「バカじゃねえの」
 そう実際に口に出した.だが涙は止まらなかった.
 タブレットの電源を急いで消し,床に叩きつける.絨毯が引いてあったゆえ,際立った騒音が響くということはない. 

 薫は夢を見る.
 夢のなかで,彼はどこかの山岳地帯にいた.バガンドも一緒だった.
 バガンドはまるで少年のように辺りを駆け回り,凄まじく反り立っている巌壁すらも器用に駆け上っていく.その無邪気さを見て自然と,ここがバガンドの故郷なのだろうと薫は思った.
 自分も彼に付いていこうと走ろうとするのだが,険しい山岳に阻まれてほとんど進むことができない.彼とは露骨なまでに体幹の盤石さが違うのを思い知らされる.
 バガンドの背中が遠くなっていく.自分も切り立った山壁の上で踏ん張りながら,とうとうバランスを崩して滑落しそうになる.
 瞬間,手を掴まれた.
 気がつけば,バガンドが自分の細い腕を掴み,助けてくれていた.嬉しかった.
 だがすぐに別の感覚,恥の感覚が込みあげてきた.
 薫は,バガンドの手を離そうとしてしまう.だが相手の握力が相当なまでに強く,これではもう落ちるよりも離す方が難しいようだった.
 こうなると恥よりもさらに,怒りが込みあげる.
 情けない.この自分の情けなさ,か弱さを,己自体を克服してやりたい.
 今日はラットプルダウンで無様なところを見せた.今がそのリベンジをする時らしい.
 薫は広背筋,大円筋や僧帽筋などといった背中の筋肉を意識しながら,全力で以てバガンドの右腕を引っ張り,そのまま下へとブチ落とす.
 その勢いで薫の体も後ろに向くが,そうして彼の眼球はバガンドが無様なまでにバゴッバゴと斜面を滑落していき,地面に強かに叩きつけられて,そのまま動かなくなる様を捉えたんだった.
 達成感とともに,彼を落としてやった自分の腕を見るのなら,それが小麦色の逞しいものと化しているのを発見する.興奮した,最高の気分だった.
 そしてすぐに違和感を抱いた.
 ハッとして,地面の方を見る.そこに叩きつけられ,もはや微動だにしないのはバガンドではない.薫自身だ.

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。