見出し画像

【折々のギフト 令和6年2月号】カタログギフトの誕生

百貨店でのお客様の購買目的は、自家需要(自家使い)か贈答品(ギフト)である。
終戦直後は、当然のこと自家使いが主な購入動機であったが1964年の東京オリンピックを境にして、ギフト需要は徐々に高まった。特に団塊の世代が結婚適齢期に入った1970年代は結婚ブームとなり、百貨店の贈り物相談所と儀式用品の売場は最盛期を迎えた。
当時の結納や結婚は戦前生まれの親世代の要望もあり、しきたりが重視され格式や形式を重んじた。

その当時の結婚式披露宴の引出物は豪勢を極めた。
鯛を模った砂糖菓子、かまぼこ、食器や鍋、和菓子や地域の名産など多くの返礼品を風呂敷や大きな紙袋に入れて出席者にお渡しするのが慣例だった。70年代後半になると、披露宴はさらに豪華になり、結婚式場やホテルの宴会場で大勢の来賓、友人、親族らを招いて開催された。披露宴後の二次会もブームとなり、ホテルのみならずレストラン等のパーティールームも完備されていった。大安吉日には大きな袋を抱えた酔客が家路についた。

百貨店はブライダル需要を取り込むための施策を始めた。
結納のシンボルである指輪の購入がスタートになるため、購入客の囲い込みを狙ってブライダルクラブを発足させた。今で言うところの顧客管理である。結納~結婚~新居~出産~七五三~入学までのフォローアップである。置き換えるならば、宝飾・時計→家庭用品→インテリア・家具→ベビー用品→呉服→子供売場である。

なかでも家庭用品売場の引出物の売上は1980年前後にピークを迎えた。
和洋食器、金属食器、鍋などのキッチン用品は飛ぶように売れた。相まってリビング業界に、ブランドのライセンス商品が登場した。ジバンシー、イヴ・サンローラン、セリーヌ、ピエールカルダン、森英恵等、名だたるアパレルブランドがリビング製品に張り付く事態になった。もちろん引出物を選ぶ側には好都合なギフトだが、いただく側は当初喜ばれたものの徐々に「またか!」の感があった。またギフト好適品として質より量の詰め合わせが出回り、ぎっしりと詰まった食器やキッチン用品のセット物の商品は、受け取り手には迷惑千万であった。

1980年代に入って百貨店は知恵を絞った。
受け取る側が選べる「チョイスギフト」があってもいいんじゃないか。
同じような課題が弔事ギフトでもみられた。七七忌のお返しにはタオル・寝具が主流だったので、ライセンスもののタオルや寝具で箪笥のストック在庫は溢れ始めた。

そこで家庭用品売場でまず誕生したのが慶事の「選べるギフト」である。
今でこそ仕組みになっているが、当時の百貨店の売場では難しいシステムだった。カタログづくりはお中元やお歳暮で実績はあるものの、家庭用品の各売場を跨いで商品構成し、新しいカタログをつくるのである。その「選べるギフト」を顧客Aに販売し、受け取った顧客Bが商品を選び同封されたハガキで百貨店に送り返す。送り返された情報は売場に渡され、熨斗紙をつけ梱包し顧客Bに送る。最後に顧客Aに配送完了をハガキで伝える。
カタログギフトの誕生第一号は、商品が欠品したら差し替えられるよう、絵葉書のような写真と裏に説明文がついた単独の20枚程度の「選べるギフト」だった。
そして、この新しいシステムをベテラン社員の多い贈り物相談所が受け持った…

贈り物相談室は、次回もカタログギフトの誕生から発展を掲載します。


~About us~

ギフト研究所とは?

今後の活動予定と1月の振り返り

会員募集中!!

企画型共創コミュニティに参加しませんか?
会員同士一緒になってギフトの価値を創り出していく場です。

ギフト研究所公式サイトが開きます


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?