見出し画像

【折々のギフト 令和6年3月号】カタログギフトの歩み (1990年代)

1980年代に誕生したカタログギフトは90年代に弾みをかけた。
カタログギフトは選べるギフトとして顧客ニーズを得た。当初は返礼ギフトのプライスラインである3000円・5000円に絞られて百貨店主導でカタログがつくられた。掲載商品は100点未満で、家庭用品などの実用品が主体であった。用途に加えブランド、デザイン、サイズが選べるのが利点であり、カタログをもらった人にとっては選ぶ楽しさも増した。

返礼ギフトを大別すると慶弔の用途がある。
慶事の返礼品は内祝ギフトに分類され商品には掛け紙と紅白の水引が結ばれた。カタログギフトはブライダルの引出物をターゲットとして開発されたので、掲載商品はそれを意識したものだった。ブライダルブームもあり、カタログは製本化され商品の量や写真撮りなど見た目のイメージがアップされた。その後は広く慶事の内祝ギフトに使われ始めたので、一部のカタログでは食料品も加わることとなった。
仏事の返礼品はお葬式の当日返しと忌明けの香典返しに分かれた。特に香典返しではタオル・寝具が主体となっていた。80年代、百貨店ではオリジナルの商品開発が盛んになり、競って商品づくりが始まった。繊維商品は粗利が高く数量も多く出荷できるので、香典返しの価格帯である2500、5000、10000、15000円などの商品企画は仕入先の協力もあり大きな商品戦略となった。そして90年代に入ると香典返しにもカタログギフトが使われるようになった。

80年代まで進物ギフトの主流は商品券だった。
昭和の時代、百貨店の一等地には必ず商品券売場があった。60年代は自社や連携する百貨店の商品券を販売していたが、全国百貨店共通商品券が発行され、ビール券と共に進物用のギフトの双璧だった。しかし、90年代に入りバブルの崩壊とコンプライアンスの遵守で金券類の需要が急速に減速した。また商品券の発行元の衰退で金券類が後退したことがカタログギフトの飛躍を加速した。

ギフト商品には色や習慣に影響されることがある。
百貨店では、贈答品の知識を顧客に伝えていた。例えば、慶事の色は紅白や明るい色が喜ばれ、黒色やダークな色彩は避けられた。反対に仏事では、ブルーやイエローなど寒色系の色彩が中心となり、重箱などの重ねもの、及び生ものは避けられた。しかしながら、ライフスタイルの変化によって色や食品の概念は多様性を帯びてきた。そこに対応が出来たのがカタログギフトであった。

90年代にカタログギフト制作会社が大きく成長した。
百貨店のカタログギフトは80年代にロジ(物流)面でアウトソーシングした。中元歳暮期を活用する百貨店の物流倉庫では、弔事ギフトを除き慶事ギフトを扱うことは出来なかった。
従って、カタログギフトのロジは地方の物流会社に委ねた。いわゆる分業型のカタログギフトビジネスである。

80年代にはカタログギフトを一貫して制作する専門会社が誕生した。
90年代はリンベル(山形)、ハーモニック(新潟)、大和(長野)のカタログギフト御三家が百貨店のギフトコーナーに満を持して進出した。

次回、贈り物相談室はギフトカタログの歩み2000年代を綴ります。

~About us~

ギフト研究所とは?


今後の活動予定と2月の振り返り


会員募集中!!

企画型共創コミュニティに参加しませんか?
会員同士一緒になってギフトの価値を創り出していく場です。

ギフト研究所公式サイトが開きます



この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?