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亡くした誰かを想うことにタイムリミットなどない

歌舞伎の市川海老蔵さんのこのブログを昨日ある方のツィートで知りました

おそらくは亡くなれたパートナーの、小林麻央さんのことについて書かれたのだと思います。どうしてこのタイミングなのかな?と思いましたが、ドラマの『アライブ』を観られたからでしょうか?

海老蔵さんの文章を通じて、きっと多くの方がグリーフケアに関して抱いている「大きな誤解」を改めて感じました。今日はそれについて書いてみます

その誤解とは

死別や離別から生じる悲しさや苦しさは時間とともに薄れていき、消えていく
誰もが自然とそうなるものだ

というものです

いつまでもクヨクヨしてないで
そんなに悲しんでいると亡くなったひとも悲しむよ
時間が解決してくれるから…

といった言葉がご遺族に向けられるのは、上記のような誤解が元になっている。つまり、一時は悲しんだりしても。時間さえ経てばそれは収まっていくのが当たり前、という前提です

ですがグリーフケアに関わっていれば、それが大きな誤解であることに気付きます。海老蔵さんの今回のブログは、それを素直に表現さていて

あぁ、そうだよね。そういうものだよね…

と素直にわたしは感じました

わたしは当然、海老蔵さんの悲しみや苦しみの深さや。海老蔵さんの想いは一切分かりません。グリーフケアに関わっているからといって、そんなもの簡単には分からないです。もし、分かりますっ!という方がいたらむしろ、疑ってかかります

このブログから感じるのはただただ、パートナーの方への深い想いと。これまでそれを思うように表現し、伝えることの出来なかった苦しさや辛さのようなものです。それを今回多少でも表現が出来て、もしかしたら、ほっとされたでしょうか…

ただこれも、わたしの想像です

話は変わりますがわたしはある団体で、ちょっとだけ、亡きお母さまへの想いを綴る活動に関わっていました。そこには、直近でお母さまを亡くされた方から。亡くしてから何十年も経っているという方までがいて。それぞれに、想いを綴られていました

何十年経っても、自分が亡くなれたお母さまの年齢をとっくに超えても、お母さまはお母さまであり。亡くなった方のことを昨日のように語ることが出来るんだ…

そういうことを改めて教えてもらいました

そうした方々が大切な人を亡くした直後ともし異なるのだとすれば、それは亡き人のことを想う間隔が伸びていったり。かつては涙を流していたような場面でも涙を流すようなことが無くなったり。思い出話をすることが減っていったりしたことかもしれません

でもそれは、亡き人を忘れてしまった。思い出すことが全く無くなる、ということではありません。死別や離別から生じる様々な感情や想い、グリーフは、消えて無くなるものではなく。徐々に徐々に受け止められ、自分の中で折り合いが付いていくだけなんですね

だから突然悲しくなったり。思い出にひたったり。時に泣き出してしまうことだっていまだにある。なぜなら悲しいし、苦しいし、何よりもう一度会いたいんですから…

それは亡くしてから何十年経ったって。それこそ自分が死ぬまで、あり得るんです

海老蔵さんのブログを読みながら、でも、グリーフケアに関してはまだそんなことも十分には知られていないんだよね。元気にそうに振舞っているから、ついつい、もう乗り越えたんだね。吹っ切れたんだね。もう大丈夫だねと周りは言ってしまう

だからこそ伝えていきたいこと。知って欲しいことが、グリーフとそのケアにはいっぱいある。そこにまつわる誤解を減らしていきたいんだよなぁ…と気付かされたブログでした

そして最後になりますが

海老蔵さんのパートナーさまに安らかな眠りがありますように。。

デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています