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外資系転職なら任せろ・4

この項目では、果樹園の会社からお絵かきの会社を経て2年間の海外生活を経て、元の年収ではないけど新しくて面白そうな希望の職についた経緯について記載いたします。



お絵かきは2年で辞めた

お絵かきの会社では、新設のポジションという事もあり、またその内容も、マーケからITに至る、社内のあらゆる人々の協力を得なければ成し得ない仕事でした。データベース管理からレガシーの商流に至るまで。おかげでとにかく顔が広くなりました。(顔でかいからや!)
ちなみにこの会社では、Salesforceの導入とユーザ向けトレーニングも担当しました。そしてディストリビューターとTier 1, 2, 3 の商流構造も理解しました。レジュメに追記できる事が飛躍的に増えました。ありがたい。

グリンゴはお酒が飲めない下戸属性ですが、部内外含めて飲み会にはほぼ100%参加しました。苦手なタイプの人がいたとしても、いつもにこにこ気遣いと、座持ちよく話していればどんどん交友関係が広がっていきました。
ちなみに今も元同僚とはずっと仲良くしています。果樹園時代も然り。

色々社内の問題を見聞きしました。どこでもありそうな話です。
一つだけ書くと、いじめられました。ごく一部の女の人から。根に持つというよりは、教訓として心の中にしまっております。
いい年してイジメって何やねんとも思いますが、あるんですねぇ。

大切なのは、通過点から何を得るかという事。

さて、お絵かきを2年で辞めて(ちなみにこの時もうまく事が運び、パッケージを貰って退職しました)、当時30代に入ったところだった私は、よっしゃここで一つ、アーティストとしてのキャリアも積むぜと考え、アーティスト・イン・レジデンスの制度を使って

海外で2年間作家活動

に入ります。仕事では曲がりなりにも積んできたつもりですが、他方、作家としてのキャリアは大学以降何も無かった為、全てイチから、全て自費でした。ここでは2つの会社のパッケージが大いに役に立ちました。


渡航中の話は端折りまして、

帰国後の就活。

一旦東京の生活を引き払っていたので、帰国後すぐは実家にいました。ああこの場所を拠点にするのもありかもしれない、と思い、まずは銀行でアルバイトをしました。そして地元で就職することを仮定して幾つかの求人情報を見てみました。総じて安い。これが地方だ。
う〜ん、ここは私が長くいるところじゃないなと思い、約半年の期間満了を以て東京へ戻りました。

何がやりたい?

今すぐにやりたい事、自分がやれる事を見つけるのってちょっと大変です。
でも、既に築き上げた(というには激弱ですが)キャリアもあります。
それでも、最初の2社のお陰で、既にレジュメはキラキラし始めていました。確か当時はLinkedInを中心に2つ程の転職サイトに登録して、エージェントが色々持ってくるのを取捨選別していました。
その中で、ある日サイト内検索をしていたら、おっこれおもしろそうやん!ちょっと給料安いけど!という物に目が止まりました。
という事で、駆け抜ける系ドイツ車のEV(電気自動車)マーケットの開発、というオープンポジションを見つけました。
う〜ん、年収600万、しかも契約社員・・・。
安いしポジションもいまいちだなと思いましたが、自分の実力でこれらの両方を上げていく事は出来るだろう、入って半年で先が見えなければ別のところに行けば良いと思い、アプライしました。

ちなみにこの時は、付き合いのある外資専門の2 〜30人でやっている外国人ばかりが在籍しているエージェントへ、その転職サイト情報のURLを送って、「この案件カバーできる人いる?」と尋ねました。
いなければ自分でトライしていたかもしれません。そして撃沈していたかもしれません。

結果から言うと、エージェントを使って良かったと思います。

30代でリクスーを初めて買った

エージェントから言われた事:
・ラグジュアリー系はとにかく礼儀が大切なので、インタビューの時は絶対黒いスーツを着て行ってください。
・社名の起源を聞かれて答えられるようにしてください。
・言われるまで座らないでください。
・椅子は浅く腰掛けてください。

これらに加え、ドイツと日本のクルマ市場についての基本的な知識、EVに特化したサプライチェーンやトレンドのマーケティング手法についてレクチャーを受けました。

これまではカリフォルニア系の朗らかTシャツビーサンカルチャーにいた訳ですので、「えっ?スーツいるん??」という感じでした。
後の2つは理解できますが、社名の起源とかもいるの?社是とか暗唱しちゃう系なの!?と思いましたが、さにあらず。

アタシ達ブランドですから

「三つ子の魂百まで」と言います。
最初に勤めた会社のエデュケーションというかしきたり、トレーニングされた事とは随分違う世界でした。
「あたし達、ブランドですから」という感じの事を平気で言う人達がいました。
なんやそれ、と思わなくもないですが、
今なら理解できます。そうじゃなきゃ立ち行かない部分があるのです。なんとなくね。

見事にオファーレターが出ました。
入社したは良いけど、年収は600万で契約社員です。
これは、入社後半年でおとずれたパフォーマンスレビューの際に、「このままの契約内容だと私、辞めますね☺」と言って

CTO に年収を交渉

して、680万円で正社員に上げてもらいました。
(すみません、読みづらいですよね。ちなみに別にCTO直下ではありません)

それでもまだ年収が低い。結構たいへんな時もある割に、安い。
あとダレてきた。というか慣れちゃった。公正取引委員会も入っちゃったし。ビジネスモデルを上から見ていると、遠心分離機にかけられた気分になっちゃった、という事で転職を検討。
十分ラグジュアリー気分にさせてもらったので、楽しかったです。アウフ ヴィーダーゼーエン!

次もリファーラル採用を使って、(銀行を除き)4社目となる、半導体の会社に転職する事になります。外資系転職なら任せろ・5へ続きます。


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