日本は何故アメリカと戦争したのか?(16)改めて石油禁輸は何だったのか?その2・日本海軍にとっては大問題ではあった

 よく知られているが、石油の禁輸は日本海軍にとって大問題だった。

『木戸幸一日記』(昭和16年7月31日)には、その頃の軍令部総長・永野修身の上奏について、こう↓記されている。


一、戦争に関する考へ方は伏見宮前総長宮と同様、出来得る限り避けたしとの意見なり。
一、三国同盟には強く反対なるものの如く、之ありては日米国交調整は不可能なりと見居る様なり。
一、国交調整不可能なりとし、従って油の供給源を失ふこととなれば、此儘にては二年の貯蔵量を有するのみ、戦争となれば一年半にて消費し尽すことなるを以て、寧ろ此際打って出るの外なしとの考へなり。
一、然らば両国戦争となりたる場合、其結果は如何と云ふに、提出したる書面には勝つと説明しありたる故、自分も勝つとは信ずるが而し日本海々戦の如き大勝は困難なるべしと御下問になりたるに、永野は日本海々戦の如き大勝は勿論、勝ち得るや否やも覚束なしと奉答せり。
一、斯くてはつまり捨てばちの戦をするとのことにて、誠に危険なりとの御感想にて、真に恐懼に堪へざる次第なり。

 関連して『杉山メモ』(7月30日御下問奉答)より↓


二、昨二十九日永野総長カ南方作戦及対英作戦ノ経過並対英米決意ノ必要ト現下ノ情勢トニ関シ上奏セル際ノ印象ハ 天機極メテ御不満ニテ対英米戦ノ不可ナルヲオ考ヘノ様子ニ拝察セラレタリ
右ノ様子ニヨリ及川海軍大臣ハ南方武力解決乃至ハ対英米戦争決意ハ永野総長個人ノ考ヘヲ奏上セルモノニシテ海軍全般トシテハ来タ斯ク考ヘアラス御心配ナキ様申シ上ケタル趣ナリ

『杉山メモ』の8月1日の記述↓

七月三十日永野軍令部総長カ上奏セシ際
上 伏見総長ハ英米ト戦争スルコトヲ避クル様ニ言ヒシモ オ前ハ変ツタカ
永 主義ハ変リマセヌガ 物ガ無クナリ逐次貧シクナルノデドウセイカヌナラ早イ方ガヨイト思ヒマス

 以上のように軍令部総長・永野修身は、「石油禁輸が禁輸されるなら戦争しか無い」と、ほぼ主戦論だった。その言動がふらついたところがあるので、ほぼ。
 しかし海軍大臣・及川古志郎は、そうではなかった。(ただしアメリカとの戦争に同意はしないが反対もしないという支離滅裂な態度でもあった)。

 海軍の決意は、東条内閣成立後に及川古志郎の後任となった嶋田繁太郎で、それも臥薪嘗胆や交渉妥結に望みが無いので仕方なくアメリカとの戦争に同意するという消極的なものだった。では何故望みが無いのかというと、要は石油の備蓄がつきることと相手の軍備が強化されてしまうことだった。ここからすると、理屈としては海軍も陸軍と同様、石油を禁輸されなくてもアメリカとの戦争を決意していたのではないかと考えられる。


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