日本は何故アメリカと戦争したのか?(14)日中戦争だけは日本の勝利で終わらせたいという思惑・その4・昭和16年12月1日の御前会議

 昭和16年(1941年)12月1日、日本は11月5日の決定に従って開戦を最終決定する。今回の記事は、その日の御前会議での、ハルノートに対する外務大臣・東郷茂徳の説明の一部↓(東郷茂徳は、その著作『時代の一面』でも説明しているが、それはかなりニュアンスが異なる。また、東郷茂徳が本心から↓のように考えていたか疑問の余地があるが、とにかく)。

 ここでは東亜新秩序建設という言葉になっているが、要するに満洲と日中戦争を失うことは出来ない、そのためにはアメリカとの戦争もやむをえず、ということだった。そしてそれは、日本はアメリカに勝てるという判断(ないしその捏造)からでもあったと考えられる。当時の日本は全員一致制で、すなわち東郷茂徳を含む文官たちも合意の上で、日本はアメリカとの戦争を決定したのだった。

(前略)米国政府ハ終始其伝統的理念及原則ヲ固執シ東亜ノ現実ヲ没却シ而モ自ラハ容易ニ実行セサル諸原則ヲ帝国ニ強要セムトスルモノニシテ、我国カ屡々幾多ノ譲歩ヲ為セルニ拘ラス七箇月余二亘ル今次交渉ヲ通シ当初ノ主張ヲ固持シテ一歩モ譲ラナカツタノテアリマス。
 惟フニ米国ノ対日政策ハ終始一貫シテ我不動ノ国是タル東亜新秩序建設ヲ妨碍セントスルニ在リ、今次米側回答ハ仮ニ之ヲ受諾センカ帝国ノ国際的地位ハ満洲事変以前ヨリモ更ニ低下シ、我カ存立モ亦危殆ニ陥ラサルヲ得ヌモノト認メラレルノテアリマス。即チ
一 蒋介石治下ノ中国ハ愈々英米依存ノ傾向ヲ増大シ帝国ハ国民政府ニ対スル信義ヲ失シ日支友誼亦将来永ク毀損セラレ延テハ大陸ヨリ全面的ニ退却ヲ余儀ナクセラレ其ノ結果満洲国ノ地位モ必然動揺ヲ来スニ至ルヘク斯クノ如クニシテ我支那事変完遂ノ方途ハ根底ヨリ覆滅セラルヘク
二 英米ハ此等地域ノ指導者トシテ君臨スルニ至リ帝国ノ権威地ニ墜チテ安定勢力タル地位ヲ覆滅シ東亜新秩序建設ニ関スル我大業ハ中途ニシテ瓦解スルニ至ルヘク
三 三国条約ハ一片ノ死文トナリテ帝国ハ信ヲ海外ニ失墜シ
四 新ニ蘇聯ヲモ加へ集団機構的組織ヲ以テ帝国ヲ控制セントスルハ我北辺ノ憂患ヲ増大セシムルコトトナルヘク
五 通商無差別其ノ他ノ諸原則ノ如キハ其ノ謂フ所必スシモ排除スヘキニ非スト雖モ之ヲ先ツ以太平洋地域ニノミ適用セントスル企図ハ結局英米ノ利己的政策遂行ノ方途ニ過キスシテ我方ニ於テハ重要物資ノ獲得ニ大ナル支障ヲ来スニ至ルヘク
要スルニ右提案ハ到底我方ニ於テハ容認シ難キモノテ米側於テ其提案ヲ全然撤去スルニ於テハ格別右提案ヲ基礎トシテ此上交渉ヲ持続スルモ我カ主張ヲ充分ニ貫徹スルコトハ殆ト不可能ト云フノ外ナシト申サナケレハナリマセヌ。

 付け足しだが、「我国カ屡々幾多ノ譲歩ヲ為セルニ拘ラス」と言ってはいても、それはアメリカの意思や主張を全く考慮していないものだった。これは既述だが、このページしか見ていないお方もいるだろうから、念のため。

 また、「我不動ノ国是タル東亜新秩序建設」という言いぐさもおかしい。これまた七面倒くさい話なので今回は説明しなかったが、満洲事変にしろ日中戦争にしろ、場当たり式に始めたものであり、そこに確固たる戦略は無かった。


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