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一枚の自分史:出会いなおし

2019年5月、60代最後の年の春でした。
大学の部活の同期の昔男子9人を引き連れて私のどや顔が輝いています。

快晴なれど風寒し、山頂付近は冷えていた大和葛城山へカタクリの花の群生を求めて。もう20年来、カタクリを求めて登るとっておきの場所に案内しました。好きなところにすぐ人を連れて行きたくなる悪い癖が出ていました。

その日の記録では、
どうなることやら~、頼むから歩いて~!もちろんロープウェイですがね〜
カタクリは寒いからか、曇っているからか、全部が俯いて顔を見せてくれませんでした。あのそっくり返った小娘はどこにもおらず・・・
なんとかイカリソウは発見!
山の桜、他にもスミレやコバノミツバツツジなど山は春のハーモニーを奏でていました。
風も光もそれぞれがさやけき楽器。
あのおっちゃんたちにどれぐらい響いたかは謎ですが・・・

それでも、シンドイだけでつまらなかたったら「また、山に連れて行ってくれ」とは言わないでしょう。そのあたりはとっても正直!当たり障りなく人をおだててなんてできないから。どうやら、よかったらしい・・・。

そうそう、たまには、こんなきれいなものを神様はよくぞお創り給うたと心を震わせることはシニアにとって大切!
よっしゃ~!また行こう!次は秋やね・・・。
しゃ~ないな、大好きなとっておきの場所に案内することにするか・・・。

11月には大好きな曽爾高原にご案内。皆で元気に登りましたと言いたいところですが、当の私が大ブレーキ、みんなの足を引っ張ってしまいました。
その後、リベンジする機会は訪れないまま、12月、1月は定例の宴会のみ。
以降はコロナ禍で ウォーキングも宴会もできず、顔を合わすこともなく2年近くが過ぎています。

コロナ禍がやってくるまでの前年まで、学生時代の部活の仲間とこんなふうに共にする時間がよくありました。
同世代で頑張っているアーティストのコンサートに行ったり、何倍も私より生きていたような人でも、こうやってコンサートは今日始めてや~とか言って感動していました。

あのとき、山歩きをして、山の花を始めて目にして感動してる同級生のおっちゃんたち。
私の世代の人たちは仕事とその周辺でしか生きて来なかった人がほとんどです。だから、私は同世代の中では時々変人扱いされていますがね。
子どもが成長するのに友だち関係が大切な以上に、私たちセブンティにとって、友だちは不可欠だと色々な人を見ていてつくづく思います。

自分たちが、あの頃、どうだったか、そんなことを取りとめなく話す。
昔話ですが、それがまた楽しい。
自分の過去を自分以上に覚えている人たちがいて、夢中で人と接してきた日々が蘇りました。
リタイアするまでの過去の栄光やしがらみも、この歳になると違う力学が働くらしいです。同級生たちを見ていると、仕事時代の関係の繋がりはほぼなさそうで、そういえば私も定年退職した会社の人とは全く交流はありません。
今を充実して暮らしている人ほどその傾向があるように思います。

セカンドライフを扱った本がたくさん出ていますが、ほぼ異口同音に、会社での自分とは決別すべしと書いています。だとしたら、あの時代は何だったのでしょうか。人生の重荷が少なくなって、自分に感ける時間ばかりになって、そんな時、やっと立ち止まって、自分を見詰め、周囲を見直したとき、そこにいた人たちでした。

それまでは、足も向けてこなかった人が仲間に入れてもらえるのかと問い合わせてきても、もちろんやで~と受け入れている気のいい人たちです。
学生時代に出会って、卒業して別れたけれど、人生の折り返して、また出会いなおしていました。今はまたお別れ中です。
シニアは家にいるしかないのが現状ですから、月に一度の交流があるのとないのとでは全然違っているなと感じています。

すでにバラバラになっていても当然なのに、これまでお世話をしてきてくれた人がいるからこうして集まれてきた。
一つ一つ欠けないうちに、気難しい人だけど、この感謝をみんなできちんと伝えておこう。
それに、曽爾高原でのリベンジが終っていない・・・。
と思っているのですが・・・。

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