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一枚の自分史:「おかん、今年はいくらぐらいおせちにかかったん?」

我が家のおせち料理の写真からお話は始まります。
50年近く手作りをしています。
一流料亭のおせちとかに比べたら見劣りしますけれど・・・

まだ会社勤めをしていた頃のことです。
一度だけ、子どもたちが成人して、いつも母さん忙しそうだから、また料亭のおせちの味も経験したいからといって、二人が大枚を叩いて注文をしてくれたことがありました。

結果は、正月に母さんのおせちがないと寂しい。 やはり母さんのおせちの方がいい。我が家の味三種、棒鱈と数の子とごまめだけあればいいからと・・・。

母親から受け継いた味ですが、棒鱈の煮付けは甘煮にせずに、 身がほろほろとするぐらいにあっさりと柔らかく、何時間もかけて煮ています。だから市販のものでは口に合いません。しかも大量消費したいので、年末に大きな干した形のまま買ってきて何日も水につけて戻します。年末に残業をして締め切った家に戻ると棒鱈の匂いが家中に充満している。これも年末の恒例になっていました。
他には、数の子とごまめ、これも家族の好物で大量消費します。かなりあっさりめに味付けをしています。
元々おせち料理は保存できるように濃い味付けが定番ですから、お惣菜を買ってくるとすぐにバレてしまうので手を抜けません。

ずっと仕事を持っていて、普段、掃除とかサボっていたので、歳神様をお迎えするために、年末はいつもバタバタと掃除していて、年越しギリギリまで、おせち料理を作っています。作るのも大変ですが、お正月は大盤振る舞いするので、結構これが物入りで、10万円ぐらい吹っ飛んでしまいます。
娘たち家族も完全に実家の料理をあてにしているので、ついついあれもこれもになってしまって、年金生活者としては痛い出費となります。

そういえば、母は一人で自立して暮らしながらも、盆暮れのもてなしは毎年変わることなく、期待を超えて喜ばせてくれました。
人数も比べものにならないし大変だったろうに、スケールが違っていました。
結局、親にしてもらったように、子どもたちにしている。それを繋ぎたくって、無理しながらやってしまっているようです。
まあ、労力も出費も、美味しい顔が見たくて、自分がやりたくてやっていることなんですよね・・・。

息子も娘たちも当たり前のように思っている様子だけど、もっと美味しいとか、いつもありがとうとか、もっと忖度してよね・・・。
とか、心とは裏腹にぼやいたりしていました。

それをどうやら聞いていたのか、息子も四十を過ぎて思うところがあったのでしょうか。

孫達が来ていると楽しいけれど、結構体力を消耗するのですよね。孫っ子の甲高い声で耳鳴りしている。帰ってくれると正直ほっとする。
楽にはなるけれど寂しい。

そんなとき、息子がいきなりこう言うのです。
「おかん、今年はいくらぐらいおせちにかかったん?」
これまでは、私の 愚痴を聞いても知らんぷりしていたくせに、いきなり費用を聞いてきた。
「うーん、 今年はまあ10万はかからんかったかな~」
少しふっかけてみたところ、
「うっ!ごめんやけど、これで辛抱して」
と言って、5万円くれたのです。

えっ!えっ!えっ!
どうしたことでしょう?
年末の有馬記念で大当たりしたのか?

年が明けて、 叔母が急逝したときも、おかん、いくら包んだん?他には?と聞いてきます。
これからは金は全部出すからな。けど、親戚の付き合いは仕事とかでできんことが多いから、まだまだおかんがやっといてなと言うのです。いっときの気の迷いではありませんでした。やっと長男として自覚したようです。

いきなりの変身でしたが、思い当たることがありました。その前に、実は私の方が変わっていたのです。

マンダラエンディングノートを書いています。どうしたいのかという想いに特化したノートです。例えば、介護状態になった時どうしてほしいかとか、財産管理をどうしたいとか、誰に看てもらいたいかなどという質問に答えていきます。

最初の頃は、子供達には迷惑をかけたくないという気持ちが前に出ていました。
数年後、やはり一番気心の知れた長女に看てもらいたいと本音を書くようになっていました。
ただ、長女は遠方で暮らしています。しかも夫の両親のそばにいることもあり、私の介護は難しいだろう。後でノートを娘が見たときに、私と同じ親への未完了を背負わせることになるのも嫌だしな・・・。ならば誰に看てもらいたいのか。
最終的には長男しかいないのでは?それまでは、マイペースで頑固な性格で相性が良いとは思ってこなかったし、どちらかというと無理だなという軽い拒否があったけれど、そうも言ってられない。
このお正月を迎える暮れにノートには修正を加えていたのです。

そのことは話していないし、ノートのありかも誰も知らない。だけど変化が起きていました。こうなりたいを書いた。そうしたら叶っていたのです。

折しも、小林麻央さんがこの世を去ったことが話題になっていました。
子どもたちが哀れでならない。けれど、幼い子どもを残して去る母親の心情を思うと胸が塞ぎました。
親としての未完了と子は子で親への未完了を想うと切なくなりました。

親子のテーマって何だろう。
自分なりの答えを出しながらいい関係を築いていきたい。
残されたものを未完了に苦しませるような最期は迎えたくない。
最期は尽きない感謝の中で終わらせたい。

今年もあと三ヶ月、まだ三ヶ月。さてどう生きましょうかねぇ。

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