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一枚の自分史:「らんまん」に想う

NHKの朝ドラ「らんまん」が終わった。これまでで一番熱心に視聴したと思う。植物学の父・牧野富太郎(1862-1957)博士の物語である。
呆れるほどただひたむきに草花を愛して向き合い続けた博士の生き様も素敵でそれを支える寿衛子さんの姿に胸を打たれた。
そして、始まった時から、多くの草花を見せてくれた。週ごとに草花の名を冠していて、来週は何だろうと毎回楽しみだった。好きな花だったり、これまでこの目で見てきた花が出てくると、牧野先生じゃないけれど、「おまん、久しぶりじゃのう・・・」と語りかけてしまう。花に語りかけるのは、私も知らず知らずやってしまっていた。

昨年から高知にご縁ができて、5月にお遍路で訪ねたり、夏は仕事で3回も高知大学からお呼びがかかり合計で3~4週間ほど滞在した。
その間、なぜか牧野植物園に行って来ようと思いながらとうとうご縁がなかった。そうするとこの朝ドラが始まった。そうと分かっていればやっぱり行っとくんだった。ブームが去るまで時間がかかるんだろう、混雑した場所をブームに乗っていくのは嫌だ、早く世間が忘れてくれたらいいなと思った。

2年続けて同じ大学からお呼びがかかることは少ない。ところが今夏もスケージュールに入っていた。これは絶対に植物園に来なさいよということらしい。何かが都合をつけてくれたとしか思えない。

若い頃は山を跋渉した。その目的の中に高山植物との出逢いがあった。「らんまん」はそのことを思い出させてくれた。
あれぐらい好きだったのにすっかり無縁となっていた。20年前には、高山植物を撮影して、「ゆうすげの花の図鑑」というHPを作って載せていた。すっかり熱が冷めていたわけではないがとにかく余裕がなかった。
今なら、箸ペンで描いて載せていきたいなと、博士の植物画を見ていてワクワクする。やりたいことがまた見つかってしまったようだ。

今年の高知大学でのお仕事を終わらせて、朝一番に31番札所竹林寺を打って、後はのんびりとたっぷりと牧野植物園を楽しんた。山に入っては花を追いかけた日々が懐かしい。

13年前の3月にお遍路で高知を歩いた時、山の中に突然鉄の扉があってびっくりしたことがあった。その扉を開けると道路があり、その向かいにドーンと石段があり、それが竹林寺だった。
今回は竹林寺の裏側から入って、納経を済ませ御朱印をもらって正面から出た。石段の上から植物園の温室が見えて、南門が見渡せた。石段を下り、南門の鉄の扉の横を通過する時には既視感があった。
南門は使用できなくて、中央門から入った。
歩き回るうちに、見慣れた遍路道の案内がそこかしこで目に飛び込んでくる。やはり、そうなのか。あのころは、今のように整備されてなくて普通の山道としか見えなかったに違いない。
それにしても植物園の中に遍路道が通っているなんてさすがは四国だ。

真夏の植物園の暑さには閉口したが、広大な敷地に多くの草花を見ることができた。都会の植物園にはない、ごく自然のままに生き生きと花々が咲いていた。このご時世で工夫を凝らしたネームプレートが設置されていて、つい「自然の園の夢」を破られるが、花の名前を知ることができるのはごく有難い。つい暑さを忘れていられる。
キスゲ、ユウスゲ、ノカンゾウ、キツネノカミソリ・・・、時間も忘れた。

朝ドラの話に戻そう。最終週の月曜日、大泉の地を歩く二人がどんな草花をここに植えるかと話す。静かに心を揺さぶられた。私はその草花の名を全部知っていてすでに出会っていた。

山に通っていたころこんなことを放言していた。
「どんなに仕事ができる私より、高山植物の名前を多く知っている私の方が好きだ」

最終シーンに泣いた。愛しい人は森で草花と一緒に待っていると言う。最高の別れの言葉だ。
博士は森にいく。そこですえちゃんに会える。
「私に会いたくなったら「私の森」に来て、そこで待ってるから」と言って去りたいけれど、どこの森かぐらいは言っておきたい、日本中探させるのでは広すぎる。
私の森はどこにあるのだろうか。まずは私の森を探そうか・・・。

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