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一枚の自分史:ありがとうの学生

忘れられない学生さんがいます。

1990年代、私の40代の頃のお話です。ずいぶんと経ちました。
会社では、30年近くを採用の仕事に係わって、かのバブル採用も採用側として経験しました。

その頃 、会社訪問に来てくださった学生には自らお茶を運んでいました。
その時の学生たちの反応には五通りありました。
訪問カードを記入していただいている、その机の端にどうぞと声をかけてお茶を置いていきます。

先ず、カードの記入に気を取られていて、お茶を置かれたことにも気が付かないケース、このタイプはちょっとまずい。周辺視野が狭すぎる。これは仕事にも影響するのではという危惧がありました。
二つ目のケースは、気が付いているのに全く無反応、飲食店でお水を運んでもらって当たり前のレベルの無反応。おうちでもきっとしてもらって当たり前なんでしょうね。これは就職活動だからではなく、人への配慮として論外ですね。
三つ目のケースが、気が付いていたとしても挨拶はなし。こくんと首を折るだけ、この反応も結構多いのです。
四つ目が、気が付いて「ありがとうございます」と言って下を向いたままで首だけこくん!大抵、この場合が一番多かったと思います。

その男子学生は、どうぞと声をかけてお茶を差し出すと、すかさずぺンを置いて、顔を上げて、振り仰いで「ありがとうございます」と言って頭を丁寧に下げました。
中々、ここまでやってくださるのは想定外でした。その爽やかで自然なことにこころを打ち抜かれていました。
  
当然、その学生は、最終選考の手前まで残りました。社長面接の前に意思確認の必要があり、社外で面談することになり、レストランで食事をご一緒することになりました。
その時のことです。話し込んでいる最中に、「ちょっと失礼」というしぐさをして、なんと、お水を運んできた人に、やはり振り仰いで、顔をとらえて「ありがとう」と声をかけるのです。

おっと、気が付かなかった。自分の反応を恥ずかしく思いました。
そして、お料理が運ばれてきたときも同じように対応するのです。すかさず、ごく自然に。

そうか、彼は、就職活動だからよく見せている、お行儀よくしていたわけではなく、誰に対しても、どんな時もこうなんだ、同じだったのです。こういう対応が身に付いていたのです。
その時に思ったことは、「お母さん、上手に育てはったなぁ~」、私はここまでできていないなと心から嘆息していました。
お母さんは、そういうご挨拶ができる人で、ご家族もみんながそうなんでしょうね。

私の会社時代はバブルに翻弄されました。
バブルの崩壊は1991年といわれていますが、会社はその後の経済停滞をすぐに体感していたわけではなくて、事実として認識できずに楽観的に持ち直すと期待していたようです。
だから、大手企業が採用を手控えたことを中堅企業へのチャンスととらえて採用活動を続けていました。

バブル崩壊は就職活動をする学生の方が先に実感があったようでした。
その学生は、大手がだめなら地元密着の企業で自分を実現しようと決めていました。1994年に関西空港が開港。子ども時代からその経緯を見てきた彼は空港で働くことが夢でした。
ということで、内定は辞退ということになりました。
ご縁はなかったわけですが、忘れられない学生の一人となりました。

今年2月、関空を訪れました。営業をしている飲食店はほとんどなく、国際線はむろんのこと、国内線の窓口も灯が落ちてひっそりとしていました。
尋常ではない姿を目の当たりにして、コロナ禍中で最大のショックを受けました。
塞翁が馬、空港の管理会社に就職した彼はどうしているのでしょうか。
30年採用に係わって、人間力を感じた数少ない学生でしたから、きっと跳ね返せるほどの成長をしていると信じています。

あれから、カフェやレストランでお水やお茶を運んでくださったら、顔をみて、ありがとうと必ず伝えましょう。そこから始めたらどうでしょうかと就職活動支援ではずっとお伝えしています。

ありがとうの学生さんのことは、当たり前だけどできていないことを教えてくれた出会いのギフトでした。
これからも大切にお伝えしていこう、そう強く思っています。

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