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一枚の自分史:夢と決別してからも

一九八八年、秋口のことだった。 私は三十八歳で息子が小学校五年生娘は一年生だった。市民会館では表彰式が行われていた。一年生の妹が代表で壇上で表彰状をもらった。その後ろには佳作の兄も控えていた。講評では、どちらも画材選びの妙を取り上げられていた。
 
その年の夏休みに港で親子スケッチ大会が行われた。何人かの友人親子と誘い合わせて参加した。多くの親子が思い思いの場所で 画用紙を広げていた。
何といっても人気はサンフラワー号だったが、私たち親子は中型のタンカーを何となく選んで描いた。その船を選んだのは私たちだけだった。
「お母さん、 僕は画用紙を縦にして書いたけど、どういいでしょ」
「お~、いいね。いい構図やね」
兄は画用紙いっぱいに前から見た船を描いていた。大胆な構図だった。それからは、ものも言わずに集中していた。やたら楽しそうだった。
「海の色はこの青、空もこの青やったら、さかいめがわからへんし・・・」
妹の方は、クレヨンを替える度に何かぶつぶつ言っていた。やはり楽しそうだった。
夏休みが終わろうとしていたが、まだまだ暑い日が続いていた。二人とも日焼けした顔に汗を滴らせていた。
他にも、夏休みは、毎年、保険会社が主催する全国子供絵画コンクールに出品していて、兄は賞の常連で、妹も追いかけるように大賞に入った。だからといって学校での図画工作の成績は平凡だった。
 
私の子ども時代もよく似た感じだった。小学一年生の時に大阪府知事賞をもらったが、学校での評価は普通で、絵を描くことをさほど得意なことと認識することはなかった。
中学生になり、二年の担任は新任の美術の先生だった。 それまで出会った先生のタイプとは少し違っていた。
授業で石膏レリーフを作る時間があった。何度も先生からダメ出しされた。泣きたい気持ちで一人学校に残って制作を続けた。なのに、作品はふざけ過ぎた男子達に壊されてしまった。先生はその男子たちに、壊された本人が驚くほどの怒りをぶつけた。
絵を描くことを職業にしたいと思ったのはそれからだった。美術の成績は格段に上がった。
高校生になって美術部に入った。もちろん美術の成績は良かったが上には上がいた。 美大に入るには石膏デッサンが必須だった。明けても暮れても石膏デッサンばっかりだった。どれだけ描いても私の描くギリシャの哲学者は情けない顔をしていた。一年生の早い時期に美大は諦めた。
教育大を目指して美術の先生になることも考えたがやはり実技の実力に難ありだった。
次に目指したのが府立の大学にある住居科だった。家業がインテリア家具の卸商をしていたこともあり、インテリアに係わる仕事ができたらいいなと思ったが数理系に難があり過ぎた。国公立を目指すことは二年生で諦めた。
思えば私の高校時代は諦めることばかりだった。自分に自信を持つことができなかった。そんな高校時代を支えたのは本を読むことだった。ある日、私にはまだ文学があると気がついた。三年生の一学期だった。それから古典文学に夢中になった。かなり偏った受験勉強だったが、何とか地元の私大に潜り込むことができた。
 
大学で学んだ国文学が直接就職や仕事に結びついたかというと難点があるが大学時代はとても楽しかった。国文学の学びは劣等生ながらも頑張ったし、やっておいてよかったと晩年になって思っている。大した論文は書けなかったが、調査して紐解いていくことは楽しかった。おかげで五十年を経てやっと、執筆し編集するという創造していく愉しみを味わうことができるようになった。 
 
色々な夢を手放してきたように思っていたけれど、それも全部がプロセスだった。思っていたカタチではなくても努力してきたことはすべて成っていた。
そのことを教えてくれたのが、子どもたちの絵だった。子どもたちと楽しく描く。そうやって、子どもたちに光を当てていた。絵を描いて暮らすことは最初に諦めた夢だった。けれどカタチを変えて叶っていた。人生のある時期にどれぐらい命を燃やしたか。そうしてきたことはカタチこそ変われど世代間を継承している。
 
文学とは遠い会社時代を送ったが本だけは読み続けていた。六十代では質問読書会を始めた。十年やり続けているうちに人生は変わっていた。
そして、自分史に出会った。『100人と書く一枚の自分史』プロジェクトは多くの人の人生の一瞬に光を当てている。そのことが自分の人生も輝かせている。執筆と電子書籍の編集に時間を費やす。これからの時間はそれをやり続ける人生でありたい。
キャリアカウンセラーとは自分史活用アドバーザーとは人に光を当てる仕事である。いろいろなことを諦めて人生の多くの時間をライスワーカーとして働いて、定年退職後は好きを仕事にライクワーカーになった。そしてライフワークを見つけることができた。
七十三歳、秋の日、ふと、私はもうとっくにライトワーカーになっていたかもしれないと思った。
大丈夫、雲上は蒼天だ。

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