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一枚の自分史:姉弟の珍道中

2021年6月、71歳の夏。
上諏訪温泉のユーペンハウスで弟と私、こちらのユーペンハウスの売りの枕木ハウスの前で朝出発の前のひとときを過ごしていたら、 話し好きのオーナーさんが写してくれた。

今年あったことでよかったことはと聞かれて、ベスト1は「弟と旅ができたこと」と思わず語っていた。

私は3年前から父の戦争の物語「永遠のハルマヘラ~生きて還ってきてくれてありがとう」を執筆している。 なかなか遅々として進まず、行き詰まっていた。

父への反抗期がきつかったということもあり、父の話には背を向けていた。それに比べたら弟は、男同士だったということもあり、また歴史について興味を持っていたということもあって、色々と聞かされていた。

3年前の福井の大雪で叔母が亡くなった。それまでは疎遠というほどではないが、私たちは1年に1、2回会う程度だったのが、ともに福井まで出かけたりするうちに、父の物語に深く関わってくれるようになった。

おかげで筆は進み始めた。 特に弟は 父の満州時代に興味があり、その地を求めて中国を旅をしている。彼はこう言った。
「そうか~、僕が知らべたことを、姉ちゃんが書くことになってたんやな」

足跡をたどって現地に訪れると不思議なことが起きる。まるで目の前で起きたようにイメージができるのだ。
満州には行けないけれど、長野県の阿智村にある「満州開拓平和祈念館」に父の義勇隊の日々をを訪ねることにした。それに一緒に行くというのだ。

大阪で新型コロナの緊急事態宣言が解除になり、まん延防止措置に移行する隙を狙った。感染者が四ケタになる少し前のことだった。数週遅れたら行けないところだった。

弟との旅は、私が大学生で弟が中学生だったころに金沢に行った時以来のはず。
お互いに山が好きで歩くのが好きで、人のいない馬籠宿を恵那山を見ながら歩いた。旧甲州街道を歴史の講釈を聴かせてもらいながら歩く。これまで一緒に歩く機会はなかった。こんな日が来るとは思ってもみなかった。

彼は子ども時代に、学生時代に戻って旅を楽しんでいた。こうやって、50台でパートナーに先立たれた後も一人でも楽しんでいたのだと、いい人生を送っていることに姉ちゃんとして大いに安心をした。

さて、これをお読みの方はもうお気づきだろう。この姉弟の珍道中は父からのギフトだということに。

そして、「父の戦争の物語」を書くのに3年以上かかったのは、弟も巻き込み、そして妹も巻き込まれつつある今やっと完成に近づいている。

きょうだいで仕上げることに大きな意味があった。そういうことらしい。
さあ、3月9日まで完成に向けて大いに楽しめそうです。


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