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努力は積み木じゃなくてベクトルの総和

みなさんこんにちは。
やっと前居での手続きが一通り住んで、少しホッとしてます。
大学2年生の大杉です。

この肩書きができるのもあと10日ほどとなってしまいました。
そこからはもう3年生です。

就活、教育実習、など、いよいよやらなければいけないことが増えてきます。

今日はそんな中で、努力について少し話したいと思います。

努力の量=成長?

私は正直いうと、努力の量はそれなりにあると思っています。
傲っている訳ではなく、自分の体感、相対評価から、そうではないかと思っていました。

ただ、だからと言って、人より優れているとも思えませんでした。

自分の能力が単純に足りない、伸び代がないということでもあるのかなとずっと思っていたし、ずっとそれに対してモヤモヤしていました。

積み木ではなく、ベクトルの総和

しかし、昨日バイト先の社員の方とお話をしていて、そうではない要因もあるのではないかということに気づきました。

社員さんにそのモヤモヤを話していると、こんな言葉をいただきました。

「努力っていうのは、自分の目指すところに一直線に積み上げられる訳ではなくて、色々な方向に向かった矢印のベクトルの和だよ。」

それを聞いてハッとしました。
そのイメージを図にしたので載せておきます。

努力の積み重ねの「積み木イメージ」と「ベクトルイメージ」

この図では、真っ直ぐ一番上を自分の目指すところ、努力した先のゴールと考えます。

すると、努力一個一個が全て目標に真っ直ぐ向かえている訳ではなく、少しベクトルの逸れた方向に向いていることがわかると思います。
当然ゴールは真っ直ぐ上なので、その努力の方向を高さで見ると、明らかにその量よりは少なくなります。

むしろ、この場合だと逆の方向に矢印が向くこともあるかと思います。
これがいわゆる「不必要な努力」というものになるのではないかと思います。

努力の向き合い方

もちろん、無駄な努力なんてないと思う人もいると思います。
私自身そうだと思っています。

ただ、この話を聞いて、負担になる努力、辛くなる努力があることも理解できました。

私自身、そもそもベクトルがたくさんあるし、その方向も真っ直ぐ上に近い形になっているかと言われるとわからないです。
むしろそうでないと思います。

どんな努力をしていくことが目的地により大きく向かえるのか、もちろんたくさんの失敗もしながら、もっともっと考えていこうと思います。


今日は短めですが、言語化したかった話題なので書かせていただきました。

それではまた!他の記事もぜひご覧ください。

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