『白い世界が続く限り』 第六話 【失っていた時間とコーヒーの苦み】

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第六話
 ぽん。と腰を叩かれたその瞬間、私は何か不思議な感じがした。バレーボールの試合が始まる瞬間の、緊張感と期待と抑揚感が入り混じったような空気から、ふっと何もかも音も消えるような、サーバーの手からボールが空中に投げられ、それを皆がじっと見た瞬間――そんな感覚……。

 Yeaaaaaaaaaaahhhhhh!!!

 誰とも無く声が上がり、白いステージに変わったゲレンデに待ち構えていたサンタやトナカイ達が飛び出して行く!わたしたちの皮切りはみつまるさん!斜めにゲレンデの端の方に滑っていくとそのままゲレンデの脇の雪の壁を登るように駆け上がってジャンプ!空中でクルッと回って後ろ向きで着地して更にくるくるっと滑りながら回る!
 ゲレンデ中央の方ではナックさんが華麗な後ろ向き滑りから前に後ろにとくるくる切り返し、片足で滑ったりジャンプしてみたり、足がこんがらがるような見たこともない動きもあった!
 あきふゆさんは最初はひとりでくるくる回っているとそこにしおてんさんが近付いて行って手をつなぎ、まるで遊園地のメリーゴーランドかコーヒーカップみたいにお互いにぐるぐると回転しながら滑っていく!

 なにあれ、自由すぎる!

 一緒に滑りたいと交ざってきた高島さんたちも、あの足が固定されているスノーボードで負けじとピョンピョン跳ねたりくるくる回ったり、ひらひらと葉っぱが舞うみたいに滑ったりと見応えがある!そこにみつまるさんがまざっていって、三人でお互いに技を真似するみたいに滑ってる!
 私は……何も出来ないけどそうやって滑っていくみんなを見ていて楽しい気分になっていた。でもスピードを合わせて滑るだけで自分がその風景の一部になっている気がしていたら、いつの間にか後ろに来ていたあきふゆさんとしおてんさんが私の手を取る。三人で横に手を繋いだまま、ゲレンデを大きく使って左右に滑った!
 ただ滑っているだけなのに、手をつないでいるだけで何かやってる気がした。グラトリってまだ判んないけど、きっとコレもグラトリなんだ。
 見られてる。でも楽しい。握る手を伝って呼吸が合ってくる感覚。気がつくとしおてんさんとあきふゆさんの外側に、手を繋いでないけどあの凄い上手な着ぐるみとリアルサンタが速度を合わせて滑ってる!
 風景の一部だった自分が中心にいるなんて…。
 そして私達の前で、みつまるさんとナックさんが後ろ向きで滑り、高島さんたちや他のボードの人達も纏まっていく――。

 ――何?この感覚――。

 時間としてはどれくらいだろう?多分そんなに長い時間じゃない。でも、最後にみんなでハイタッチで喜ぶまでの時間は、何か凄く密度のある時間に感じた。
 と、脳裏に何となく思い浮かぶ――
 
 小さい頃から高校のあの瞬間までずっと続けていたバレーボール。肘の怪我で続けられなくなって、目的も判らないまま進学した大学生活。今まで費やしてきた放課後や休日の時間は空っぽの時間になっていた。あんなに憧れた友達との時間も、経験してみると思っていたものと違って感じた。楽しいけど、心が躍らない。楽だけど、楽しめない。
 だから、必然的に友達は居てもひとりの時間が多かった訳で。だって、時間とか場所を共有している感じがしなくて……。
 笑っていても、笑えてない。集中していても、脳裏に何かがよぎる。
 意識しないように努めていた喪失感……いつも傍らにあったものが失われてしまった現実。
 そっか。私って、失ってたんだ、呼吸すらしているのを忘れる時間を。

 気がつけば色んな人とハイタッチしてた。きっと私、今笑ってる。
「いつみ~ん!楽しかったねぇ!」
「はい!」
 チビッコサンタがきらきらと輝いて見える。このちびっこサンタにはとても大事なプレゼントを貰った気がする。
「やっぱサイコーっすね!」
「あー、マジスキボ買うわ、俺」
 高島さんたちも笑ってる。
「君たち、運がいいねぇ~。ここにスキボメーカーの代表が居るんだよなぁ~」
「え?マジっすか?」
「どうも代表です!」
 なんだろう。年齢とか過去とか関係ない。敷居も何も感じない。昔から馴染みの人達と過ごしてる気がする。
「どうだった?滑ってみて」
 みつまるさんが尋ねてきた。表情は相変わらずの無表情にも見えたけど、少し頬が赤くなってる気がする。
「なんか……凄い楽しいです。」
「俺も一番最初そうだったよ。楽しいよね、滑るって」
「これって、スキーボードだからですか?」
「どうだろ?でもきっかけだよね。最初楽しければずっと楽しいじゃん。」
「いいきっかけって感じですか?」
「だろうね。ん?写真撮るみたいだから行こうぜいつみちゃん」
「いーつみーん!写真撮るからおいでよー!」
 何も知らなかった白い世界。そこは、私にとって楽しい世界になった。100人くらいいる中の独りの私は、青と白を背景にみんなとスキーボードを掲げて笑ってた。

 イベント記念の写真撮影があってその流れで参加記念の抽選会になった。もう一回くらいこのみんなと滑りたい気持ちがあったけどそこは我慢。抽選会はイベントスタッフがくじを引いて、その番号が特製リフト券と同じなら景品を貰えるものだった。
 そこでなんと私は佐久穂高原スキー場の一日券をゲットしてしまった!何となく欲しいな~と思ってたら私の番号が読み上げられた。
「いーなー、あたしなんてトイレットペーパーよ!」
「良かったじゃないっすか。いつでも拭けますよ」
「良かないやい!いつでも拭かないわ!」
「え、拭かないんすか?きったな。」
「拭くわ!念入りに拭くわ!」
 残念ながらあきふゆさんはトイレットペーパー。ナックさんとみつまるさんはネックウォーマーをゲットしていた。しおてんさんはクレープ券を貰ってニコニコしている。
「ねぇしおさん?しおさん花粉症ひどいんだよね?このトイレットペーパーがあれば――
「――一口ならあげるけどトイレットペーパーは要らないよ」
「ううう。」
「ナックさん!これ首に巻くと暖かいんだよ!」
「そうだね~。でも俺は白は好みじゃないなぁ~」
「ううううう。」
 この人、ホントは子供なんじゃないかな?泣き顔なんだけど。
「いつみん。みんなが大人気ないんだよ!」
「大人は我慢しますものね」
 突っ込んでみた。
 あ、泣いた。
「いいもん!ハナかみながらひとりで滑るもん!」
 ちびっこサンタがトイレットペーパーと板を手にリフト乗り場に走っていってしまった。
「あきふゆちゃん、トイレットペーパー持ったまま滑るのかなぁ?」
 そう言って追いかけるナックさん。
「はっはっは。じゃ、もうひと滑りしようか。高島君達も行くでしょ?」
「モチ行きます!」
 しおてんさんたちがあとに続き、そんな感じで再びゲレンデに向かう事になった。
 だいぶみんなとの関わり方が判ってきたような気がする。なんか、そのままでいいんだ。
 包み隠していないような、そんな感じ。大人の世界ってもっとモヤモヤしていて面白味が無いような気がしてたけど、こういう世界もあるんだ。
 私はますますこの白い世界に興味を持った。そうして乗ったリフトの上で、ひとりで乗っていてもひとりじゃない気がした。
 バレーボールとかそう言うのは関係ない。白い雪の世界で滑るのが楽しい。そんな人達の中で、自分の何かが大きく動いた。
 それがどんなものかはまだよく判らないけど、大人の世界を目前にしていた私が、初めて大人の世界に興味を持った瞬間かもしれなかった。
 
 疲れるまで滑った。スキーボードで滑るのはだいぶ慣れたと思う。転んでも板が短いお陰で立ちやすいし、転ぶのもグラトリとかナックさんが言ってた。
 イベントはもうおしまいで、あとは一日自由に滑って良いと言う話だけど、サンタの格好のままで滑っている人がまだたくさん居て、イベントの余韻が残っていた。
 疲れたのでみんなでクレープを食べながら休憩しようと言う話になり、センターハウスの横でケータリングしてるクレープ屋さんに向かった。近付くと甘い香りがして、そこで初めてわたしはずいぶんお腹が空いている事に気がついた。
 お腹、鳴ってないよね?
 クレープ屋さんはなかなか盛況で少し待つ感じだったので、注文だけして先に飲み物を買う事にする。先ほどの失言の罰はクレープ代と言うことになったので、わたしもあきふゆさんも遠慮なく注文させてもらう。
 こういうとこのクレープとかって、高いんだよね。遊園地とかだと自販機アイスで満足していたわたしにはずいぶん贅沢に感じる。注文して自分の順番の券を貰ってからジュースの自販機を探すと、自販機はセンターハウスの中にあった。
 私は迷わず缶コーヒー。ミルクたっぷりの甘いコーヒーが好きなのだ。
「コーヒー好きなの?」
 後ろから話し掛けてきたのはしおてんさんだ。
「はい。お茶が苦手で……コーヒーの方が落ち着ける気がしてます」
「へー、俺も。お陰でカフェイン中毒だよ」
 そう言ってガチャンと買ったのは同じコーヒーだ。
「スキボどう?」
 缶を取り出しつつ、しおてんさんが訊いてきた。
「楽しいです。それに皆さん、子供みたい……って、未成年の私が言う言葉じゃないですが」
 かしゅっと缶を開けて一口すする。いつもの甘い味だ。
「はっはっは。そうだよね、みんな子供のまま大人になった感じだよな。」
 しおてんさんもその場で缶を開けて飲む。
「ホントそう思います。大人って楽しそう。」
「いいねぇ。大人として嬉しい言葉だね。身体の中と言うか頭の中は多分15歳くらいのままじゃね?」
「全然子供じゃないですか。」
「そうなの。ここにいるのはそのまま大人になっちゃった子供たちばかりだね。特にスキーボードは」
「何か理由があるんですか?」
 率直に訊いてみた。するとしおてんさんはあまり間を空けず答える。
「距離感かな?近いからねスキーボードは、滑ってても普段でも。子供って手の触れる距離感で遊ぶじゃん?そんな感じ。」
 その言葉を聞いて腑に落ちた。
「……近いけど、嫌じゃないんだ……。」
「無理もしてないしね。スキーボードはスポーツだけどライフスタイルでもあると思うんだよね。だからうちのブランドはGR ski lifeって言うんだぜ。」
「結構意味が深いんですね。」
「そうだね。人生って大人の時間の方が長いんだから、楽しまないと損でしょ?」
「確かに。そうだ、しおてんさんって40代なんですよね?」
「え、誰に聞いた?」
「あきふゆさんとナックさんたちに。」
「アノヤロウ……。ま、子供のまま頑張ってたらもうこんな歳だよ。まったく。」
 そう言いながらしおてんさんは気分が良さそうに見えた。
そんなタイミングでセンターハウスの外からあきふゆさんが駆け込んできて、
「しおさーん、クレープ番号呼ばれたから貰っちゃうよ~!」
「え、マジ!もう食っただろ!」
「一口頂いたよ~!あとはみんなに渡しといた!」
「絶対食われる奴じゃん!」
 と、しおてんさんは外に出て行った。
 ホント、子供のままなんだなぁ。そう思って啜ったコーヒーはほんの少しいつもより苦味を感じた。
 
 

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