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【GSC福島スタディープログラム 2020】 現地訪問レポート➂総集編 ~東日本大震災から約10年。福島の今をもう一度みつめなおす3日間~

Global Shapers Community Yokohama Hubの牧野です。

2020年12月4日~6日にかけて、経済産業省や現地の企業の多くの方々のご協力をいただきながら福島スタディーツアーを開催しました!

グローバルシェイパーの皆さんをはじめとして約30人もの方にご参加いただきました。

この記事では
・震災から約10年たった福島の今
・被災地の取り組みや課題
・福島第一原子力発電所の廃炉までの道のり
などをお伝えできたらと思います。

福島の今を知っている人もあまり知らない人も東日本大震災後の福島の状況を知り、私たちにできることをちょっと考えてみませんか?

ツアーの目的

今回のツアーの目的は大きく3つありました。
➀今の福島を知り、私たちに何ができるかを考えていくことです。

➁原子力発電所の訪問を通してエネルギー問題について考えることです。

➂福島を知り、エネルギー問題を考えたうえで、私たちのできるアクションを探ることです。

これらの目的を持ちながら、初めの2日間は福島でインプットメイン、3日目は東京でアウトプットメインのセッションを行いました!

旅程1日目➀~東日本大震災・原子力災害伝承館~

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東日本大震災・原子力災害伝承館(https://www.fipo.or.jp/lore/

JR双葉駅に集合し、プログラムがスタートしました。
まず向かったのは東日本大震災・原子力災害伝承館です。
こちらの施設は2020年の9月に開館した東日本大震災と津波に伴う原子力災害を後世に伝えることを目的としている建物です。

こちらではまず震災後の状況や廃炉に向けた取り組みを映像で見たのちに展示場へ行きました。
展示場では、災害当時の臨場感のある映像や、県民の思いの詰まった当時の品物などの展示を見学しました。小学生の作文など、震災前の福島第一原子力発電所に対する思いなどが書いてある物もありました。
また、原子力災害の影響や対応などについても展示物を通してより具体的に学ぶことができました。

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福島イノベーション・コースト構想(https://www.fipo.or.jp/)のセミナー

その後、セミナールームで福島イノベーション・コースト構想についてお話しいただきました。

福島イノベーション・コースト構想とは、東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するために、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクトです。
この構想の主要プロジェクトは福島ロボットテストフィールドを中心にロボットやドローンなどの産業、廃炉の研究や農林水産業、エネルギー業まで幅広く取り組まれています。
今回は残念ながら現地を訪れて産業の発展などを実感することはできませんでした。
次回行くときはぜひロボットテストフィールドなどを訪れてみたいと思っています!

旅程1日目➁~水素エネルギー研究所を見学~

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福島水素エネルギー研究フィールドの水素タンク(https://www.nedo.go.jp/index.html)

次に、浪江町にある福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)を見学しました。
この施設は、再生可能エネルギーから水素を製造するために作られた施設です。再生可能エネルギーから作られる電力は出力の変動が大きいため、電力の需給バランスが問題となっています。太陽光を例にとって考えてみると、昼と夜では発電量がまるで違います。そのため、この施設では、変動の大きい再生可能エネルギーを利用して水素を製造し、貯蔵・輸送することでエネルギーの需要と供給の問題を解決しようとしています。

私は、この取り組みから福島が先頭に立って、日本のエネルギー問題を切り開いていこうという姿勢がひしひしと伝わってきました。水素は製造過程で二酸化炭素を排出せず、環境にもクリーンであり、化石燃料などの資源を輸入に頼っている日本のエネルギー源として最適なのではないかと思います。水素は扱いにくい性質もたしかにありますが、クリーンな水素社会を実現するために、ぜひとも研究を発展させていただきたいです。

旅程1日目➂~大熊町役場~

1日目の最後の訪問先は大熊町役場です。
福島の地理に詳しくない方もいらっしゃると思うので、少し大熊町の説明をさせていただきます。

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赤い現在地を示しているのが福島第一原子力発電所のある場所です。
福島第一原子力発電所は1号機から6号機まであり、そのうちの1~4号機は大熊町にあります。5号機と6号機は隣の双葉町にあります。
そのため大熊町や双葉町は原発による放射性物質の影響が大きく、街の復興が遅れている地域でもあります。2019年3月に町役場の新庁舎が完成し、8年2か月ぶりに本庁舎機能が町内に戻りました。震災前には約1万1千人ほど人口がありましたが、現在は800人ほどです。
大熊町役場では、現在の街の復興整備計画を聞いたのちに、ざっくばらんなディスカッションをしました。

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セミナー@大熊町役場

ディスカッションでは、さまざまな意見が飛び交い、議論は白熱しました。
主に出てきたトピックとしては、街づくりの方向性や教育、地域サービスなどです。その中でやはり多かったのは「人」に関する話題でした。事故から約10年たち、多くの人は新しい生活を始め、大熊町に帰還する人は限られているのが現状です。しかし、それを逆手にとって、大熊町の住民が全国に散らばっていることで何かできることはないかなど多くの意見が交わされました。ディスカッションを通して大熊町役場の方々からはこれからの大熊町を創っていく熱意がひしひしと感じられ、この街の「明るい希望」のようになっていると感じました。

今回私が大熊町を訪れて感じたことがあります。私たちは「福島」と一括りにしがちですが、地域によって復興の段階が大きく異なっているということです。今回訪れた大熊町は10年たってやっとスタートラインに立てたという段階です。隣の双葉町に至っては駅周辺の一部を除き、ほぼ全域が期間困難区域に指定されており、住むことはできません。10年もたったので町の復興は結構進んでいるのだろうと思っていた私の予想は見事に裏切られました。地域のよって復興のスピードがまるで違うということを再認識させられました。福島のことを考えていく上では、福島の○○町というようにもう少し部分的に考えていく視点も必要だと感じました。

旅程2日目➀~株式会社ふたばさん訪問~

朝は株式会社ふたばさんを訪問しました。ふたばさんは、測量技術を中心に環境や建設などのコンサルティングをされている会社です。社長の遠藤さんから震災時の話とその後の事業の立て直しのお話をしていただきました。津波で家が流され、多くの社員が避難のために離職せざるを得ない中、震災からたった一か月後には郡山市で事業を再開されたそうです。そして、2017年には富岡町に本社を約6年半ぶりに富岡町に戻すことができたそうです。
お話の中で印象的だったのは、福島のことを「課題先進地域」ととらえられていたことです。多くの課題があるからこそ、課題に対応するために新たな技術やサービスなどがこの地から生まれてくると感じることができました。

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ふたばさんのワイン畑。右手の方には海が見えます。

その後、会社の活動の一環として取り組んでいるワイン畑を見学しました。高台から海の見えるワイン畑からは新たな富岡町の風景を垣間見ることができました。地元の海や山の豊かな福島の食材にワインという新たな組合せを提供することができたり、住民の交流の場になったり、新たな可能性が大きなとても素敵な取り組みでした。

旅程2日目➁~福島第一原子力発電所~

そして、このスタディーツアー最大の目的である福島第一原子力発電所を訪れるために、まずは東京電力の廃炉資料館へと移動しました。

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廃炉資料館。左手に見える西洋風の建物です。(https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/decommissioning_ac/)

こちらでは、まず津波の映像とともに現地の状況の再現を見ました。
その後、実際に災害発生時勤務していた方のインタビュー動画などを見たりするなどして館内を見学し、バスに乗り込み、福島第一原発へ。
身分証チェックなどを終えると、靴下やベスト、線量計を持ち、ヘルメットをかぶり、長靴をはいていざ原子力発電所敷地内へと向かいました。発電所内ではバスに乗り移動します。所内を歩いていたほとんどの方は軽装で、敷地内の大部分が安全になっていると実感しました。

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高台から原子力発電所の見学の様子

初めに降りた場所は、1号機から100mくらいのところにある高台です。そこから見た1号機から4号機は事故当時から、廃炉へ向けての片づけや設備の設置などが進んでいました。福島第一原子力発電所の廃炉には、次の4つの作業が必要になります。
・使用済み燃料プールから燃料の取り出し
・燃料デブリ取り出し。燃料デブリとは、燃料と構造物等が溶けて固まったもの
・原子炉施設の解体
・汚染水対策
これらのうち4号機からの燃料取り出しは終わっていますが、3号機の燃料は取り出し作業が続いています。そのほかの作業についてはまだ完了していません。震災から約10年たちますが、廃炉への道はまだまだ始まったばかりであることを実感させられます。廃炉には今後30年から40年かかる見込みです。

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処理水をためているタンク

原子力発電所の見える高台を後にした私たちは、次に放射性物質を含んでいる「汚染水」を浄化処理し放射性物質を取り除いた「処理水」にするために多核種除去設備(ALPS)を見学しました。
燃料デブリを冷やした水は汚染され、建物内にたまっています。この汚染水が建物の外に漏れないよう、周りの地下水位を高くし、水圧で止めて管理しています。その結果、地下水が流れ込み、建物内の汚染水が1日に180トンほど発生してしまいます。その汚染水のトリチウム(三重水素)以外をALPSで取り除き処理するのですが、問題はこの処理水の処理方法です。

詳しいことはこちらの記事にまとめますが、要点をお話しますと


・処理水は現在保管タンクにためているが、敷地面積の関係から増設できず、2022年夏ごろにいっぱいになってしまう
・処理水の取り扱いは技術的な検討に加え、風評などの社会的影響を鑑みた報告書が2020年2月に提出された。今後、処理水に対する基本的な方針の決定が国からなされる。
・処理水にはストロンチウムなどの放射性物質はほとんど残っておらず、トリチウムが主に残っている。
・トリチウムはごく弱い放射線を出すが、自然界にも広く存在しており、特定の生物や臓器などにたまることはない。
・トリチウムを分離する実用的な技術はまだ確立されていない。

という課題があります。
廃炉への道はまだまだ始まったばかりということを改めて実感させられます。

旅程2日目➂~富岡町出身者のお話と夜ノ森~

数時間の原子力発電所の見学を終え、次に富岡町出身の秋元さんから家のあった場所や思い出の場所などのお話をバスツアーのような形式でお聞きしました。途中バスがUターンできず、バックで数百メートルほど走るというハプニングもありましたが、1時間ほどお話を聞いたり、ディスカッションなどをしました。
その中でも印象に残っていることは、東電を恨み切れないと言っていたことです。親族が東電で働いていたということ、また、原子力発電所ができて地域が豊かになったことなどを加味して考えると、恨み切れないといっていました。
ここからは推測ですが、これは震災から10年たったから出てくるようになった言葉であり、震災後には現実を受け入れることはできず、また違う感情があったのかもしれないとも感じました。

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夜ノ森の桜並木イルミネーション

最後に訪れた場所は、夜ノ森です。ここは桜並木が有名なところで、冬の期間は「町の賑わいが戻るように」とイルミネーションが企画されていました。カラフルなLEDが100メートルほど続く夜の桜並木を見ると、
この景色は何か暗いことや嫌なことがあってもそれを吹き飛ばしてくれる力がある場所だと感じました。春には桜まつりがあるそうで、ぜひ訪れてみたいです。

旅程3日目~東京でワークショップ~

旅程の3日目は東京に戻り、ワークショップを行いました。
・2日間の振り返り
・福島に対して私たちができること
・サステイナブルな社会に向けて私たちのできること
という内容で行いました。

詳しくはこちらの記事を読んでみてください!

アウトプット以外にも経済産業省の方と電力会社の方の日本のこれからのエネルギー政策の在り方についてというパネルセッションも開催しました。

非常に学びが多く、実りのあるセッションになったと感じています。

ワークショップでもいろいろな意見が出て、いくつか面白いプロジェクトが生まれてくるのではないかとワクワクしています。

スタディーツアーを通して感じた風評被害の大きさについて

今回のスタディーツアーを通して私が一番発信しなければいけないと思ったことは、「風評」についてです。
風評被害とは、情報が正しくないもしくは不完全な場合に、自分自身の身を守ろうとする人間の性質上不安になり慎重な行動をとった結果、風評による経済的な被害を受けることです。

福島は多くの部分で風評被害に悩まされていると感じました。例えば、農産物や処理水の廃棄などが当てはまると思います。
今回福島を訪れて感じたことは、情報は正確性、透明性がとても高く、風評被害を生むような内容ではないと私は感じました。それでも風評被害が起こる背景には、情報の送り手と受け取り手の関係性にも原因があると個人的には思いました。

なぜなら、福島にゆかりや大きな関心がない場合、情報の受け取り手は自分から情報をとりに行こうとはしません。その結果、あいまいな判断材料しかなく、実際の福島の状況を理解していないために風評被害がおこると考えています。十分な判断材料を得たうえで、自分の判断を下せるように情報を取ることができれば、風評被害は減るのではないかと私は考えています。

私が身の周りの人に福島の農産物を食べたいかと聞いたところ、様々な反応が返ってきました。

「もう原発事故からずいぶん経つし、問題ないでしょ」
「検査もきびしくしているし、安全だから食べたいよ」
「怖いから食べない」

その中でも、3番目の答えを聞いたとき、私はこれがまさに風評被害であり、だからこそ今の福島を発信する必要があるのだと感じました。
よくよく話を聞いてみると、やはり正確な情報は持っておらず、先入観で福島の農産物はまだ危険だと考えていたため、そのような回答をしたとのことでした。

今回のツアーでは、農産物の出荷検査などに立ち会うことはできませんでしたが、2021年度に行くときはそのような場所にも立ち会い、情報を発信していきたいと思います。
そして正確な情報を知らないために発生する風評被害を減らしていきたいと思っています。

自分事として

最後に私個人としてなぜ今回のスタディーツアーに参加したかについて少しだけ触れたいと思います。
実は私はこれまで福島を訪れたことはなく、今回が初めてでした。
海外に留学していた時、福島のことを何度も聞かれ、自分の言葉で話せなかったことがすごくもどかしく、ずっと自分の中でもやもやしており、いつかは行きたいと思っていました。
今回参加したことで、やっと自分の言葉で、自分事として福島に関われるようになったと感じています。
2021年度も11月に第4回福島スタディープログラムの企画をしていくので、このnoteを読んでくださった方はぜひ参加してくださいね!

そして、私たちは今後も福島と継続的にかかわっていける場を新たに企画しています!
一緒に福島にできる範囲で関わり、より「自分事」にしていきませんか?そして「福島のため」ではなく、「自分のために」一緒にアクションを起こしてきませんか?

最後までお読みいただきありがとうございました!

福島民報「若手リーダーが原発事故学ぶ WEF組織、福島『伝承館』訪問」
https://www.minpo.jp/globalnews/moredetail/2020120401001973

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