4.Raining

CoccoのRaining
俺はあの曲がとても好きだ。
あの曲は「だれかのための怒り」だと思っていた。


Coccoは赤毛じゃない(染めているのかもしれないけれど)

「泣くことさえできない」ほどの怒り。
「未来なんていらない」と吐き捨てるほどの怒り。

「私は無力で」「言葉も選べずに」
あなたが「赤毛のおさげを切り落とした」ときにも。
怒りに寄り添いたくても。
何も出来なかった。

「あなたが もういなくて」
「そこには 何もなくて」


俺の子ども時代の記憶とどこかリンクさせて捉えていた。
保護するはずの大人が自分より幼い者を虐げる構図。
正義の名の下に異端が裁かれる、大衆の「胸がすく」ような構図。
侵略(占領)した「思想上の敵」の子を正しき人が糾弾する構図。

国が、肌が、言葉が、思想が。
自分と違う人間を排泄物でも捨てるかのようにネガティブな感情の便器にする構図。

よりによって表では高潔を気取る人物さえもが。
右も、左も、正しき人の誰もが足元を見ない。
みんな自分のことばかり、自分の痛みばかり。

彼ら、彼女らの痛みに、もしつまらないこの身を切り裂いて、それが僅かでも慰めになるのなら、喜んで切り裂きたかった。
己にむかって涙なんか流す暇はない、自分に価値のあるものが僅かでもあれば捧げたかった。
いつの間にかいないものとされた存在。

よその国じゃない、この国の、あなたの隣に居るのに。
「ねえ聞いて ちゃんと聞いて」

でも、言葉に出来ない、言葉にしてみせたら、より傷つく人を増やすしかない怒り。
「でたらめな願いを 託して音を捧げましょう」

一回目の引退のMステで「もう歩けないよ」と歌ったCoccoを見て、無性に涙が流れた。
その理由が最近解ったような気がする。

二回目に見た彼女はとても強くなってた。
「初花凛々」

まだらな記憶 棚にあげて 無差別級に祈った
暗い夜にも 悲しい朝も 世界の どこかで消えてく
このまま 吹いて吹かれて
笑い 泣き 眠る
届くかな

俺はすごく嬉しかった。


ずっと勘違いかもしれない。
作品はクリエイターの手を離れた瞬間に鑑賞者のものになる。
解釈の相違もまたひとつの作品。


太陽 眩しかった
それは とても晴れた日で

大地は果てしなく 全ては美しく
それは とても晴れた日で

今日みたく雨ならきっと泣けてた

【追補】
焼け野が原の歌詞を間違って覚えていたことに今気づいた。
「ねえ言って ちゃんと言って」Coccoは問いかけてる。
「ねえ聞いて ちゃんと聞いて」俺は呼びかけてる。

俺は「痛み」を与えられた側の意識。
でもそれは欺瞞だ。
本当は間接的にでも「痛み」を作り出した側の人間。

<誰もそんなこと望んじゃいない>
<稚拙な思考回路>
<どうしようもないナルシストな発想>
「私は馬鹿だ。ぶっ殺してくれ」

【さらに追補】

「多様性」や「ダイバーシティ」はこれから目指すべき目標なのではなく、すでにそこにある現実なのである。

下地ローレンス吉孝