F Leonhardt

たまに日常の書きつけ

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最近の記事

6.穴

一番古い記憶はたしか2歳のころ。 向こうに梅の木が一本うわってる、烈風に揺さぶられてはガタガタ鳴る、風を遮る機能もないガラス戸のついた長屋。 なにがあったのかは覚えてない。 ひたすら怒りと哀しみの中で、自分の口におでんを詰め込んでいた。 ごちそうだったおでんを。 そして窒息して救急車で運ばれた。 生きるか死ぬかの境目だったらしい。 目一杯に「詰め込む」こと 目一杯に「満たす」こと 自分の中の「穴」を埋めるための代償行為だったのかもしれない。 人は20年かけて大人へと成長

    • 5.おにぎり

      ここ最近、おにぎりばかり食べている。 なんとなく嬉しくて。 でもふと気づいた。 一旦冷めたおにぎりを食べてる自分に。 ああ、そうか。 あの山盛りのおにぎりは残飯だったんだ。 米の白、海苔の黒、タラの芽の緑。 たしかにその色彩は間違ってはいない。 違っていたのは食感、歯ざわり、まとわりつく弾力。 人の手で弄くられ、圧縮され、時間の経ったおにぎりは、ゴムのような、搗いた餅が冷めたような。 自分はわりあい記憶を、特に食に関する記憶は鮮明に覚えていられる方だ。 それでも自分

      • 4.Raining

        CoccoのRaining 俺はあの曲がとても好きだ。 あの曲は「だれかのための怒り」だと思っていた。 Coccoは赤毛じゃない(染めているのかもしれないけれど) 「泣くことさえできない」ほどの怒り。 「未来なんていらない」と吐き捨てるほどの怒り。 「私は無力で」「言葉も選べずに」 あなたが「赤毛のおさげを切り落とした」ときにも。 怒りに寄り添いたくても。 何も出来なかった。 「あなたが もういなくて」 「そこには 何もなくて」 俺の子ども時代の記憶とどこかリンクさ

        • 3.みんなでお茶を(母の日に)

          萩尾望都の漫画「みんなでお茶を」 超能力者狩りの話。 異質な者は迫害されるということ。 でも全体の雰囲気はスラップスティックコメディ。 のほほんと幸せに満ちている。 とても好きだ。 読んだのは24歳のときだった。 24歳の時にはTと出会った。 Tとは大学で同性愛者サークルを作った。 彼とのつながりの中で、沢山の「嬉しい」ものがみつかった。 沢山の「嬉しい」人に出会った。 沢山の「嬉しい」本を読んだ。 その嬉しさはどこか虚ろだった子ども時代の隙間を埋めてくれた。 子どもの時

          欲望

          俺は32歳で本格的なニチョデビューをした。 都会で会ったゲイは軽い雰囲気で共産党シンパを名乗る人が多かった。 それを聞いて???と頭が疑問だらけになった。 彼らは恋愛、消費を人生の第一目標として、どっぷり資本主義の享楽に浸りまくってるのに。 今思えば「遅れてきた左翼」世代どころか、自分のほうが「戦後のまま取り残された左翼世界」からタイムスリップしてきた人間だった。 アッと驚く小野田ショーイである。 共産党員であることは無欲清貧であること。 資本主義の恩恵を受ける者は共産

          2.彼のこと

          「今度、うちの例大祭に来てみない?俺が神楽踊るよ。」 定期的に身体の関係を結んでいたYが言ってきた。 俺が神社仏閣に興味があること、とくにそこに残る伝統芸能に興味があることを知っての誘いだった。 その日は、4月のうららかな朝、と呼ぶにはあまりにも激しい地元特有の烈風が吹きすさんでいた。 例大祭の神社は二宮と呼ばれ県内で最も格の高い神社に次ぐ格式を持つ…と聞いていたが、古色蒼然とした社と神楽の舞台を除けば意外にもすっからかん。 あとはひたすら広い、学校の校庭のような土色の空

          2.彼のこと

          1.己

          父方は共に産み出し、分け合うことをモットーにした人たち。 母方は社会のために、清貧でいることをモットーにした人たち。 祖父は海を渡り多くの人たちを連れて行った。 そして多くの人たちを救えなかった。 自分も祖父も母も父も叔父も、その恨みをもって殴られ続けた。 でも自分たちを殴った人も、また恨みで殴られ続けていた。 一族全ての人間が罪を背負い、人生の大半を贖罪に費やした。 その一族の一人。