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ユダヤ人とユダヤ教の関係とは?

以下著作『物語ユダヤ人の歴史』のほか、

『ユダヤ人の起源(シュロモー・サンド著)』『ローマ人の物語(塩野七生著』も読むと「ユダヤ人=ユダヤ教ではない」ということがどんどん明らかになってきます(そうは言っても、もちろんユダヤ教徒の大半はユダヤ人ですが、ユダヤ教徒でないユダヤ人は多数)。

それでは「ユダヤ人とは誰か」と問えば『物語ユダヤ人の物語』著者レイモンド・シェイドリンによれば、それは厳密に規定できるはずもなく「ユダヤの歴史を共有する人たち」という程度でいいのではないか、と述べています。

私はここでは、ユダヤ人とは宗教を共にする人たちではなく、歴史をともにする人たちであると規定したが、それはあながち的外れではないと考える。

『物語ユダヤ人の歴史』13頁

歴史に鑑みれば、ユダヤ教に改宗したユダヤ人以外の人もいれば、キリスト教に改宗したユダヤ教徒も当たり前のように存在するなど、近代ユダヤ民族としてのアイデンティティの拠り所は、調べれば調べるほど、学問的には「虚構」だということです。

「改宗」ということであれば、マリリン・モンローもユダヤ教徒の旦那と結婚したのを契機にユダヤ教に改宗し、敬虔なユダヤ教徒になったらしい。

遺伝的にも、アインシュタイン(科学者)やキッシンジャー(政治家)、スピルバーグ(映画監督)やボブ・ディラン(音楽家)。そして経済界のザッカーバーグ(旧facebook創業者)やハワード・シュルツ(スターバックス創業者)など、今のユダヤ人をみれば、見かけは西欧の他のヨーロッパ系白人とまったく見分けがつきません。

この辺りは、明治維新政府が発明した国家神道を拠り所にする「単一民族の日本」という虚構と同じ構図で「近代という世界観」は、近代が発明した新たな共同体概念としての虚構「近代国家」と「民族」のセットによって成立している、というのがよくわかる典型例。

ディアスポラ」というユダヤ人の悲劇も、バビロン捕囚や古代ローマ帝国によるディアスポラはもちろん歴史的事実として存在するも、自らの意志によるディアスポラも普通にある一方、数々の迫害を逃れてイスラエルの地にとどまったユダヤ人も多く、一概にディアスポラの悲劇がすべてのユダヤ人に共通の悲劇というわけでありません。

にもかかわらず「イスラエル建国宣言」曰く

故郷を離れなければならなかったにもかかわらず、ユダヤ人は、すべての離散体験を通じ、つねにイスラエルの国に忠実でありつづけ、政治的自由を回復する希望を持ち、そこに戻るため絶えず祈った。この歴史的愛着を同機とし、ユダヤ人は何世紀にもわたり、父祖の国への帰還をめざして努力してきた。

『ユダヤ人の起源』「第3章:追放の発明」より

近代国家の「民族を束ねる共通の神話を創造することによって国民のナショナルアイデンティティを醸成する」という作業は、イスラエルにおいても日本においても同じ、ということですね。

以上、まだまだユダヤの勉強は始めたばかりなので、今後見解は変わってくるかもしれませんが、現時点で率直に思うのは、「近代国家の虚構」つまりベネディクト・アンダーソンのいう「創造の共同体」(=近代国家のこと)が、いかに強く私たち世界中の現代人に無意識に根付いているか、ということです。

アンダーソンの考察では、ナショナリズムは「俗語口語を共有することがキーになる」とのこと。

したがって「現代日本語」の創造と同様、イスラエル人は、ユダヤ教の教義記述のための書き言葉でしかなかったヘブライ語を「はなし言葉」として復興させ、ユダヤ教の神話やディアスポラの神話創造とともにナショナルアイデンティティを醸成したのでしょう。

*写真:イスタンブールとマルマラ海(2023年撮影)

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