タイプ別4つの世界観

●前置き

この記事は、16タイプ分類(MBTI)における各タイプへの理解をさらに深めてみようという試みになります。
今回は、内向機能の違いによって「世界の見え方=自分との付き合い方」を4つに分類し、それぞれについて、掻き集めた知識をもとに検証していこうと思います。

この記事に辿り着いた人は、もうすでにMBTIや心理機能についてとっくにご存知かもしれませんが、「なんのこっちゃ?」って人でも一応ちゃんと読めるように書くつもりです。
要するに、人によって自分自身や物事の捉え方はさまざま異なるけれど、それが実際どのように異なっているのか、ざっくり4種類に分けて考えてみようというものです。
自己理解・他者理解に役立ててみてください。

※あと、いつものごとく学術的根拠もへったくれもない個人的見解の範疇ですので、予めご了承くださいませ。(まあ、大きく間違ってはないと思いますが)

●結論

さっそくですが、4種類の世界観とは、以下のようなものになります。

1、自分が介在する一人称の世界観「Fi」

2、自分が不在の一人称の世界観「Ti」

3、自分が介在する三人称の世界観「Si」

4、自分が不在の三人称の世界観「Ni」

唐突に出てきた謎のアルファベットは、さらっとスルーしていただいてかまいません。
が、もし気になるようでしたら「MBTIの心理機能」で検索してみてください。
……。
……今、ちょっと試しに検索してみました。
難しすぎてぜんぜん意味わかりませんでした。
まあ、人間誰しもこの4つの機能のうちどれか1つが突出していて、あなたも例外なくどれかには当て嵌まりますよ、ということです。

では各論に移りましょう。

●自分が介在する一人称の世界観「Fi」

16タイプでいう、
ISFP INFP ESFP ENFP
がこれに該当します。

自分自身がちゃんと存在していて、且つ一人称的な世界観。
このタイプの人たちは、まさに一人称小説の語り手のような世界観で生きています。

「自分の内側から、自分の内側を観察する」。そういう視点です。

「Fi」タイプは自分の内面と自分の視界がほぼ一体化しています。するとどうなるかというと、自分の内面が周囲の世界とダイレクトに接することになります。
外界から得た刺激や情報が、すべて直接内面世界にフィードバックされるため、それが自分の心の中でどう処理されたのかを精緻に知覚できます。
つまり、自分の感情を正確に認識できます。

「さっきから、そんなの当たり前じゃないの?」と思った「Fi」のあなた。
違うんです。残りの3タイプは自分の内面についてほとんど何も知らないし、自分の心の中に起きたこともほとんど知覚できていません。マジです。
「Fi」タイプは、内面で知覚した情報を描き出して保持できるエリアが他タイプに比べて圧倒的に広大なんです。
残りの人たちは、自分が今何を感じているのかすらよくわからずに日々を生きています。もったいないですよね、こんなにも彩り豊かで、奥行き深くて、精巧で繊細な“感情”というものに、ほとんど目を向けずに通り過ぎてしまうなんて。

自分が何を好きで、何を嫌いで、どういうものが不快で、どういうとこが心地良くて、何が怖くて、何が幸せか、というのも「Fi」タイプは熟知していることと思います。
自分の内面を熟知している。自分自身を知っている。
なのでこのタイプの人たちって、自分のことが大好きですよね。
というか、好きでなきゃやっていけないでしょう。だって、「Fi」タイプの世界観っていわば常に自分と同居生活しているみたいなものですから。

だからなのかもだけど、「Fi」の人たちって、「誰かと同居する」ということに、あまり抵抗なさそうな感じします。めちゃ偏見ですが。

同時に「自分の嫌いなところ」をはっきり自覚できるということでもあります。
「こんな自分、嫌いだ」。
って、思ったことありますか?
そもそも、今の自分が自分を好きかそうでないか、そんなことを自覚できるのは「Fi」タイプの人たちだけです。あとの75%の人たちは自分を客観的に眺めてたりそもそも視界にすら入ってない人たちですから。

まとめ>
「Fi」タイプは、自分自身をよく知っている。
「自分とは何か?」という、過去のあらゆる偉人もその著書の中で最終的に辿り着くことになる永遠の問いを、問われる前からすでにわかっている、唯一のタイプです。
のちに出てきますが「Ti」タイプは自分が何者なのか一生かけて考え続けるし、「Si」タイプにわかっているのは「他者から見た自分」だけだし、「Ni」タイプに至ってはその問いをされると即宇宙猫みたいになります。

個人的には、「Fi」タイプの方の作品を読むと「知覚情報ってこんなに豊かなんだ……」って新鮮な驚きがあります。作家の吉本ばななさんとか。漫画家のさくらももこさんとか。好きです。

●自分が不在の一人称の世界観「Ti」

16タイプでいう、
ISTP INTP ESTP ENTP
がこれに該当します。

自分自身が介在せず、且つ一人称的な世界観。
まさにアレです、論文とか、哲学書みたいな世界観です。「私」という一人称がほとんど登場しないけど、主観的な文体。
twitterとか掲示板とかもそうですかね。匿名性が高まるほどこの世界観に近づく気がします。

「自分の内側から、世界の内側を観察する」。そういう視点です。

「Fi」タイプと違って自分の内側に自分はいません。従って、自分は何者なのか? 自分の内面とはいったいどういうものなのか? という問いを思考しうる唯一のタイプと言えると思います。その問いすら客観的に分析できるのは「Ti」タイプだけです。
自分の内界すら研究対象にしてしまう。自分の内部を問い、分析し、表現に変える。
ゆえに、「自分の意見」をしっかりと持っている。「自分のスタイル」を確立している。それは、自己分析という高度な裏付けあってのことなのです。
だからこそ「Ti」タイプは、
「自分はこうだ。さてあんたはどうなんだ?」
ということを、自信たっぷりに言えるわけですね。カッコよすぎんか。

え、そんなの当たり前じゃないのかって? いやいや、「Ti」以外のタイプは、「自分のスタイル」なんて持ってません。なにしろ根拠がないので。
この「Ti」タイプ以外の自己分析っていうのは、あくまで世界との接し方についての分析なだけで、本当の意味で自己を分析しているのは「Ti」タイプだけです。
持ち物にしろ、使うアイテムにしろ、身に付けるファッションにしろ、考え方にしろ、「Ti」タイプほど明確に自覚的に選択しているタイプはほかにいません。

同時に、「Ti」タイプは「世界の内面」という謎概念についても思考できます。
平たく言えば「他人の意図や企み」、難しく言えば「対象物の内部構造」を把握・検証できうる視界なのですね。
要するに自分の内面に向けている思考メソッドを、外界に向けても適用できるわけです。
本当の世界とウソの世界をよく見通せる。
一人称視点、且つ自分不在型の強みです。

……ちなみに偏見ですが「Ti」タイプってFPSゲーム得意な人多い気がする。偏見ですが。ちなみに私は苦手です。あんなに視界が目まぐるしく変わると、すぐ酔うので。

まとめ>
「Ti」タイプは自分を「探究」し、自分のスタイルを確立する。
何に出会うか、何と遭遇するか、何を発見するか、常に探究日々探究。というか「探究」こそが使命なんですね、この世界観って。
探究した経験を自分の経験値として蓄積できる。得たものを自分の意見や価値観として所有できる。自分自身のものにできる。
これも、他のタイプ……とくに「Si」や「Ni」には、あまりない感覚かもしれません。自分の意見なのかそれとも他人の意見なのか、その区別に、あまり重きを置いていない気がします。

個人的には、「Ti」タイプの方のドキュメンタリーを見るのが好きです。「人生観ってこんなに奥が深いんだ……」って感動します。映画監督の宮崎駿さんとか。尊敬します。

●自分が介在する三人称の世界観「Si」

16タイプでいう、
ISFJ ISTJ ESFJ ESTJ
がこれに該当します。

「自分の外側から、自分を含めた世界を観察する」。そういう視点です。

自分の背後から、自分を見ているもう1人の自分がいる。

ふと思ったんですけど「漫画」って、ほぼすべてがこの「Si」タイプの「自分が介在する三人称視点」なんじゃないかな。
基本的に主人公、つまり自分自身の姿も常に視界の中にあって、そこと自身の内面世界または思考世界を往復するような世界観。
自分を含めた登場人物の仕草、今立っている場所、口をつぐんだタイミング、それらすべてが、意味のある情報として「Si」タイプの目には映っています。
というか、その視覚情報から捉えられる情報量の多さが、範囲も種類も他タイプに比べて圧倒的に膨大です。

「自分を見ているもう1人の自分がいる」。
言い換えると、自分の行動や発言をシミュレーションできる。ということですね。その場その場でこういうふうに喋って、こういうふうに笑って、こういうふうに振る舞っている“自分の姿”というものを、リアルに想像することができます。

え、そんなの誰でもそうなんじゃないのかって?
いえ、じつは違うんです。
ほかのタイプは、社会の中にいる自分の姿というものを、「Si」タイプほどハッキリとイメージすることができません。
ていうか「Si」タイプのシミュレーションって、「相手の発言やリアクションも込み」なんですよね。自分がこう言う、相手がこう返す、そしたら自分はこう言って、相手はこう言って……、みたいな、その領域って、自分を見ている三人称視点の「Si」タイプだからこそ、踏み込める領域なんじゃないかと思います。

「Si」タイプのそんな世界観なればこそ、「こういうふうにすれば、こういうふうに人から見られる。だからこうしよう」という意思決定ができて、それを積み重ねることによって、「Si」タイプの人たちの仕草はとても洗練されていますよね。

また「Si」タイプは、自分自身を、世界の一部として捉えている。と言うこともできるかと思います。
ゆえにこのタイプの人たちに見えているのは、あらゆる物事の「関係性」です。
自分と人との関係性、人と人との関係性、自分と社会との関係性、あらゆる概念や考え方との関係性、そういった相関図を、ぐちゃぐちゃにこんがらがらずに綺麗な直線で描くことができます。

え、そんなの当たり前のことなんじゃないのかって?
いえ、そもそも、「関係性」というものを把握するためにはまずその場における自分の立ち位置を把握する必要がありますが、それは自分を客観視できないことには始まりません。
そしてそれができるのは自分を第三者目線で観察できる「Si」タイプだけです。ほかのタイプは、およそ他者から聞いた情報をもとにざっくり把握してるに過ぎません。

また、視覚情報の量もさることながら、それを記憶として保存しておける期間も圧倒的に長いです。

きっと「Si」タイプの方は写真を見たら、そのときのことをまるでついさっきの出来事のように詳しく話せるんじゃないでしょうか。逆に他のタイプが同じ写真を見てなんにも思い出せないことに「そんな綺麗サッパリ忘れることある??」って不思議に思った経験も数知れずだと思います。

まとめ>
「Si」タイプは、自分も、周りも、よく見えている。
個人的に、「Si」タイプの方が進行を務める企画は理路整然としていて好きです。話題がどれだけ脇道に逸れたとしてもスムーズに本題に引き戻してくれるの、とても心地良い。YouTuberの虫眼鏡さんとか。好きです。

●自分が不在の三人称の世界観「Ni」

16タイプでいう、
INFJ INTJ ENFJ ENTJ
がこれに該当します。

「自分の外側から、自分のいない世界を観察する」。そういう視点です。

たとえば心理学とか、まさにこういう類型学とか、あと科学系の学問ってだいたいこの「主人公の存在しない三人称」視点ですよね。
書き手とは関係のない、誰の意見でもない、誰が喋ってんだかわからないような文章。
それがなんだかしっくりくるのがこの「Ni」タイプです。

こういう世界観なので、「それが誰の意見か」というのをあまり重視しない傾向にあります。
Aさんの意見、Bさんの意見、Cさんの意見……、それらを重ねて共通点だけ抜き出して「だいたいこんな意見」という形で記憶します。
そしてそこに「自分」という情報が関与しません。そのぶん、そういったパターン情報を保存しておける領域が他タイプに比べて広大なんですね。

自分にまったく関係ない他者や物事、現象についていつも考えているし、またそのために没頭したり、本気を出すことができます。
広い世界を見るというか、どちらかというと、世界の裏側や法則を見ている感じです。
見も知りもしない「他人対他人の関係性」や「出来事と出来事の繋がり」がよく見えたりする。
まさに「遠視」です。遠くのものはよく見えるのに、近くのものは見えていません。

そんなわけで、「Ni」タイプの人たちは、自分自身のことについては、あまり意識することもないし、ほとんど何もわかっていません。
三人称且つ自分が介在しない、つまり「自分すら他人」。
それがこのタイプの世界観です。

自分の内部を覗きこんでも、そこには何もないので、考えても仕方ありません。なのでもう、自分がどう感じているのか、どういう人間なのか、どう見られているのか、あるがままのランダムにお任せするしかない。そういう感じで生きています。

「自分がいない世界」。
しかしながら、現実問題、自分という者はそこにいるわけで、自分と付き合っていかなければいけません。ではどういう付き合い方になるかというと、「Si」タイプのように自分を第三者視点から眺めるんですが、あくまでそこにいるのは「赤の他人としての自分」みたいな感じになります。
「この“キャラクター”を、どうやって生かそう? 活躍させよう?」みたいに外向タイプは考えるし、内向タイプはなるべくこのキャラを人目に付かないよう隠そうとします。

この、「自分という知らんキャラクターの育成ゲー」をしてる感。「Si」タイプと決定的に違うのは、やはりどこか他人事という感じがするところです。「Ni」タイプは、自分の過去の言動を、まるで他人の言動のように語ることがよくあります。というかそもそも自分の過去の発言や、その場面自体を憶えていないことが多いです。

また「Fi」タイプと真逆で、「誰かと同居する」ということに一番抵抗のあるタイプかもしれません。少なくとも「1人になれる空間」が絶対に必要になってくるタイプだと思います。
誰かと一緒にいる。→少なからず「自分」に関する情報について考える必要が出てくる。→「自分」に関する情報を考え続けると疲れる。って感じです。

まとめ>
「Ni」タイプは、自分のいない世界を生きている。
結局のところ、気がつけばそこにいる、よくわからない自分という他人と一生付き合って生きていきます。

●総まとめ

「Fi」タイプ=「一人称且つ自分介在」型>
→ISFP INFP ESFP ENFP
自分の内側で、そこにいる自分と同居している。自分を好きになり、自分と仲良く寄り添い生きていく。

「Ti」タイプ=「一人称且つ自分不在」型>
→ISTP INTP ESTP ENTP
自分の内側から、自分という他人を探究している。いつか理解できる日が来るのを信じて。

「Si」タイプ=「三人称且つ自分介在」型>
→ISFJ ISTJ ESFJ ESTJ
自分の外側から、自分のいる世界を見ている。自分を見守り、自分とほどよい距離感で付き合っていく。

「Ni」タイプ=「三人称且つ自分不在」型>
→INFJ INTJ ENFJ ENTJ
自分の外側から、自分のいない世界を眺めている。自分という謎の他人と一生付き合っていく。

……こうして「世界観」、というもので考えてみると、FPが自分を大事にしている理由も、TPの日常に刺激が必要な理由も、SJが身の振る舞い方に気をつけている理由も、NJが自分の足下見えてない理由も、なんとなく、想像つく気しませんか?

というわけで、各心理機能の差違を、倫理、論理、感覚、直観、という(わかりづらい)ワードをあえて使わずに考察してみました。
あなたはどれが一番近かったでしょうか?
ご自身のタイプ診断の参考にでもしていただけたら幸いです。

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