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中東で死にかけて人生観が変わった話

どうも、ぐちを(@guchiwo583)です。

先日のツイートでちょっと反響があったので、久々にnoteを更新することにしました。

今回は、僕が海外で死にかけて人生観が変わった出来事を記します。


2016年、僕は中東のオマーンで死にかけました

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事が起こったのは中東のオマーンという国です。

中東で死にかけると言えば

テロ?戦争?

かと思うかもしれませんが、オマーンは中東でも指折りの治安が良い国なので、皆さんの期待を裏切り(?)その類いではありません。

じゃあ何で死にかけたのかと言うと、足を滑らしたことによる転落です。

要するに不慮の事故で転落死しかけたということですね。

事は2016年に訪れた、オマーンの首都マスカットから車で1時間半ほどの場所にあるワディ・シャーブ(Wadi Shab)という観光地で起きました。

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ワディ・シャーブは切り立った断崖絶壁がそびえる渓谷で、オマーン三大オアシスの1つ。

自然景観が素晴らしく、オマーンを訪れた際はぜひ行って欲しい場所なのですが、切り立った断崖絶壁というのが本テーマの鍵になります。


九死に一生を得た記憶を振り返る

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風光明媚なワディ・シャーブには、泳いで行ける洞窟があります。

そして、その洞窟内には水量の少ない滝があり、その滝沿いに設けられたロープをつたって洞窟の上部へ自力で上がる事ができました。

好奇心旺盛な僕は当時、そのロープをつたって洞窟の上に行ってみたいなと思いました。

てっぺんまでの高さはおよそ10メートルくらい。

ビルだと3〜4階程度の高さでしょうか。

日本だったらおそらく危ないのでそもそもこのようなアクティビティーは存在しないはずなのですが、ここは海外、全てが自由と自己責任でまかり通る社会です。

もちろん、恐怖はありました。

しかし、海外マジックでしょうか、その恐怖心に好奇心が勝ってしまいました。

滝の流れる崖をロープで登る

こんな経験、日本ではあまりできないことですからね。

登っている時の感覚はあまり覚えてないですが、普段ではできない経験ともあって、激しくアドレナリンが出ていた気がします。

自分でも信じられないほど順調に登っていたので、ひたすら「楽しい」という感覚でいっぱいでした。

8〜9メートルほど登り、もう少しで頂上に辿り着く......そう思った瞬間、僕は水で濡れた岩に足元をとられ、ロープから手を離してしまったのです。

その瞬間は考える間も無く、ただ「あっ」という言葉だけがあったような記憶。

2〜3メートルほど落ちたでしょうか。

右膝に痛みこそあったものの、それ以上落ちることはなぜかありませんでした。

数秒たって我に返り、状況を確認すると、僕は崖の中ほどにたまたま存在した岩の凹みに落ちていたことが分かりました。

まさに九死に一生を得ました。

もし、1番下まで落ちて頭を崖にでもぶつけていたら、僕は変わり果てた姿で無念の帰国をしていたかもしれません。

たまたま崖の中腹に凹みがあったからこそ、右膝の擦り傷だけで済み、無事生きながらえることができたのです。

その瞬間は、大事に至らなくて済んだ...という気持ちだけに支配され、今まで経験したことのない初めての感覚が僕を包みこんだことだけはハッキリと覚えています。

余談ですが、転落したその後はまた崖を登り、最終的には無事に登りきって洞窟の上部まで辿り着けました(懲りなくてすみませんw)。

しかし、滑り落ちる前にあった楽しいという感覚は既に抹消され、ただ恐怖心にまみれながら右膝の痛みを我慢し、ひたすら慎重に登らざるをえませんでした。


自分は単に運良く命があるだけの存在である

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海外の辺鄙なところをうろつく以上、死にかけるのはよくある話。

ましてや死にかけるなら良い方で、場合によっては普通に死にます。

僕の知り合いを見ても、直接の繋がりでは

・中米を移動中にバスジャックにあり、AK47を突きつけられる(その後身代金を払いことなきを得る)

という経験をした人がいます。

また、知り合いの知り合いまで広げると、コロンビアで銃殺されてしまった人にも辿り着きます(この件は日本でもニュースになりました)。

僕はまだオマーン以外でガチで死にかけた経験はありませんが、

・トルコで訪れてた場所が3ヶ月後に自爆テロの現場に
・ミャンマーで訪れてた場所の近くが10日後に紛争状態に(現在はその場所も紛争地帯に)

といった経験はあります。

こうした経験を踏まえると、自分は本当にたまたま命あって生きているだけなんだなと思うしかありません。

豊かになった現代では古代と違い死と隣り合わせであるなんて常日頃意識することは少ないですが、それは身近に存在せずあまり意識できてないだけであって、本質的には人間生活において死が隣り合わせというのは今も昔も変わっていないはずなのです。

いつどこで誰がの命が失われるかは分かりません。

それは神のみぞ知ること。

今自分がこうして生きていられること、それは偶然の産物と言えるのでしょう。


人間死ぬときはどんな時でも死ぬ、だから今を楽しもう、やりたいことはすぐやろう

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日本は海外と比べ

・老後は〇〇したい
・定年退職したら〇〇したい

と考えている人が多い印象があります。

しかし、それはすごくもったいないことだなと僕は思います。

未来のことを気にするのはごく自然なことですが、その時まで自分が絶対に生きていられるかの補償なんてどこにもありません。

ずっと先の予定を考えることが悪いと言いたいわけではないですが、僕は今回の経験を境に、

いつ死ぬか分からない人生なのに、今やりたいことを後回しにする意味って何だろう?

今を1番重視しない人生って果たして有意義なのだろうか?

と強く感じるようになりました。

かく言う自分も、それまでは別に今すぐにできることを10年先にでもやろうと、何となく考える人間でした。

しかし、海外で九死に一生を得たあとに、僕の人生観はまるっきり変わったのです。

・せっかくの与えられた命が尽きるまで、精一杯人生を楽しもう
・やりたいことは後回しにしてはダメだ

そうした感情で生きるようになりました。

この記事の読者の多くは、死にかけた経験はまだないかと思います。

そうした人にこそ、

「将来いつかやろう」などと考えず、自分が本当にやりたいことは今すぐにでもやるべきである

と強く伝えたいです。

だって、人間本当にいつ死んでもおかしくないですから。


最後に

以上、オマーンで死にかけ、人生観が変わった僕の話でした。

やりたいことを後回しにしがちな人にこそ、このnoteが届ければ何よりです。

なお、現場となったワディ・シャーブは本当に綺麗で楽しい場所なので、怖がらずにぜひ訪れてみてくださいw(滑りやすいのでくれぐれも足元にはご注意を)

あと、当分は日本にいるので、ぜひ人生2周目の僕と遊んでもらえると嬉しいです!笑

それでは。

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死にかけた後にマレーシア人の友達と笑顔で撮影(オマーンのワディ・シャーブにて)












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