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ペットのいる暮らし

雲ひとつない秋晴れの今日は、シーム♀の命日でした
あれからもう、5年も経つのですね・・・・

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この日、わたしはシーム♀の傍にはおりませんでした
5年前は5月にむーちょ♂がやってきて、6月に父が亡くなった年でしたので、ハツヒガンでお客様を迎えなければいけない都合もあり、わたしは単身むーちょ♂と実家に行っていたのです

最期を看取ったのは娘でした
シーム♀は娘の膝の上で眠りについたのです。さみしい最期でなかったことがせめてもの救い

好き勝手に書いておりますが、当時そんなに心穏やかなわけでもなかったのです。でも、そんな風に見ていてくれたらいいなと思い、シーム♀目線のまま記事をupしました
子どもの頃はただかわいいってだけで「ペットを飼う」ということを軽く考えていたんだと思います。ご飯が面倒になったり、たまのトイレ掃除にドヤ顔したり、面倒を見てくれていたのはいつも母だったのに・・・・
しかもわたしったら、母は「世話好き」と思い込んでいたものですから(まぁ、実際そうなんだけれど)、都合よく解釈してはもろもろの世話を押し付けていたことになります

例年通り、今日はむーちょと一緒にシーム♀のお墓参りに行ってきました。慰霊碑を前にすると、腕の中のむーちょがそわそわする。そしてまたわたしの心もざわざわする。先のことは考えたくない。だけど、胸において、真摯に向き合いたい

そんなわたしは無責任にも、ペットを絶やしたことがなかった ↓ ↓ ↓

物心ついた時には野うさぎが3羽おりました。家の敷地の狭いところに段ボールを引いてもらって、その上でうさぎ相手にままごとをしていたことを思い出します
セキセイインコは母親が好きで飼っていました。母は子どもの頃カラスを飼っていたそうで、肩に乗せたり話をさせたりと、芸を仕込むのがとても上手でした
その後、2階建ての小屋(すぐ子どもができてしまうの)でモルモットを数匹…多い時には20匹近くいたので、商売をしていると勘違いされたりしましたが、欲しいひとには無償で譲っていました。でもちょいちょい盗まれることが増え、世話をできずに死んでしまったモルモットを戻してきたりする事件があり飼うのを辞めたのでした
金魚は常に、金魚鉢というものはどの家庭でも当たり前にあるモノ…と勘違いするほど玄関先や家の中にありました。時々どじょうを入れたりして、母親に怒られましたっけ


月曜日でしたね。こんなお知らせが届きました ↓ ↓ ↓

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みなさま、いつもありがとうございます。たくさんの方に可愛がっていただき、むーちょはしあわせものです


こちら、今日のむーちょです。助手席の窓越しに、サイドミラーに移った笑顔を撮りました。彼の目線の先は黄金色の田んぼです。ぼちぼち稲刈りが始まりました。あまりに天気がいいので、本当はお花の写真を撮りに行きたかったのですが、いつも通りドライブで終わってしまいました

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わたしは周りの人間からすると、よほど冷たく見えるのか、それとも鬼にでも見えているのか、むーちょと対峙する姿に旦那さまはいつも「信じられない」といいます。旦那さまにいわせると、わたしのそれは「溺愛」なのだそうです。わたし自身、最初こそ家の中で犬を飼うことに抵抗がありましたが、もともと嫌いなわけではないから、寝床を一緒に暮らしてみればそんな抵抗など初めからなかったものになりました


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