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夢のような・・・・夢

見たことのある水槽だった。
よくよく考えれば水槽ではなく、500m強のプールだったようにも思う。だが、そのプールはとても深く、そう例えるならばシンクロナイズドスイミングをするような、とにかく深い、泳げなければ入れないプール。

プールの中にはシャチが泳ぎ、飼育員なのか黒いウェットスーツを着た人間が数人、プールサイドにいたりプールに入っていたり…。それを対角線上に遠めに見ているのはわたしと幼い娘だった。

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どういう施設なのかは解らない。ただ、水族館で見知っている丸い水槽ではなく、そこは四角いプールで、観客席もない。なぜそこに自分たちがいるかということはともかくとして、そのプールには以前にも訪れているという記憶だけは鮮明だった。

どういうわけかそこに、イルカの子どもが紛れ込んでいた。しかも、飼育員はそれをよしとはせず、処分に困っているような様子だったのだ。
なにを思ったか、その様子を見ていた娘が「連れて帰る」と言い放った。まるで迷子の子ネコや仔犬を拾って帰るみたいに、自分と同じくらいの大きさのイルカを「連れて帰る」と言ったのだ。その時の娘は幼稚園か、小学校低学年くらいの容姿をしていた。
更におかしなことに、その言動に対し多少の驚きはあったものの、わたしには拒否するという選択肢がなかったように思う。動物は苦手ではない、そう「仕方ないなぁ」だ。娘の突飛な行動に対するわたしの中の感情は、単純に「仕方ないなぁ」だったということだ。

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飼育員も現金なもので、ホイホイとそのイルカを手放した。ここに常識はあってないようなものだ。あちらはイルカがいらなくて、こちらはそのイルカを世話したいと思った。理由だけがあれば成り立つ世界、ただそれだけなのだ。

わたしたちはイルカを、アザラシでも抱くかのようにして家に連れ帰った。驚くことに、我が家には海にでも通じているのかと思うようなプールのような水たまりが家の裏手にあったのだ。
そうして連れ帰った時刻はだいたい夕方だったのか、わたしと娘は帰宅するなりそのイルカとプールの中にいた。まるでお風呂にでも入るかのように水に浸かり、それが初めてではなく、至極当たり前のようにイルカをしつけていた。

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月明りの下、プールのような、水たまりの中で、わたしは娘とふたり、イルカと戯れていた。それは陸上でなされるような、ペットにしつけをするときのように「おいで」と言っている。イルカは喜んで水の中をやってくる。顔を持ち上げ、わたしを見て微笑んでいるようにも見える。イルカは抱きかかえて帰ってきたときより、はるかに大きく成長しているように見えた。だがそこに疑問を感じることはない。そういう仕様なのだと納得しているようでもあった。
わたしはすり寄ってくるイルカに「おりこうさん。ちゅうは?」と、まるで愛犬をあやすように頬を突き出す。するとイルカはぬめっとした口先でわたしの頬にタッチする。実に自然に、当たり前のように、だ。

当然そこにも違和感は感じない。白々と明るくなってきたことを確認し、わたしは娘に「そろそろあがろう」と言う。頭の中では「学校に行かないと」とか「お弁当を作らないと」などと考えていた。
家の中には息子がいて、どこかに出掛けようとしていた。息子は高校生くらいだろうか「いってきます」と言って家を出る。隣の家の愛想の悪い奥さんに色目を使われながら、学校に行ったようだった。わたしにはその光景がとても不思議だった。愛想の悪い隣の奥さんとは交流もないのに、なぜか息子にだけは愛想がよかった。まるで恋でもしているかのように・・・・

弁当

娘と朝食の準備をしていると、外が騒がしい。そう言えば、夫に内緒でイルカを連れてきてしまった。朝方に仕事から帰ってくる設定の夫には、なにも言わずにイルカを庭で飼っている。だがきっと、なにか言われても上手く言い逃れられる程度の自信はあった。

だが、外の様子の騒動はどうやら夫が帰ってきたというわけではなさそうだ。窓から覗いてみると、裏の水たまりに人だかりができている。どうやらイルカを捕獲しようとしているようだった。
日の中でよくよく見ると、我が家の裏にある水たまりはどうも用水路に繋がっているようだった。先ほどまでわたしと娘がいるかと戯れていたそれとは様子が違っていたのだが、それに対する疑問はよそに「それも仕方のないことだ」と感じていた。
捕獲しようとしている人々は、イルカが用水路を通って田んぼに悪さをするのではないかと思っているのだ。連れて来たのはわたしたち親子だったが、その様子をただ見守るしかできなかった。それどころか、連れ帰ったことを知られてはならないとさえ思っていた。

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イルカは浅瀬に追い込まれ、猿轡をされて難なく捕獲されてしまった。わたしはその様子を、台所の窓からただ眺めているのだった。娘もなんとなく、出しゃばってはいけないという気が働いているのか、ただじっと家の中にいる。その時の娘はさきほど出掛けた息子くらいに成長し、大人の対応をしていた。

捕獲され、連れていかれるイルカになにも仕様がなく、ただ連れてきてしまったことを「申し訳ない」と思うばかりだった。考えもなく連れてきてしまった自分を無責任だと責めることしかできなかった。
イルカは泣いているようにも見えたが、わたしたちを責めている様子はなく、甘んじて境遇を受け入れているようだった。


そこで目が覚めた

あとあじの悪い夢だ
すっかり目が覚めた
なんでイルカを家で飼えると思ったのか、無責任極まりない
本当に夢というのはおかしなものだ


都合のいい解釈をすると・・・・

イルカが泳ぐ姿を夢に見るのは「幸運」の予兆らしい
更に、イルカと一緒に泳ぐ夢は「新しいチャンスの訪れ」で、なにか良いことがやってくるらしいのだが、イルカが死んでしまったり、ケガをする夢はそのまま「チャンスを逃す」ということに繋がる
イルカを助ける夢は、自分がやんごとなき状況にあり「助けて欲しい」と思っている状況なのだそうで、よい機会を待っているとも言えるのだそう

これを踏まえて都合よく解釈するに、とりあえず幸運はやってくる。だが逃すかもしれないから、足踏みせずに「行動あるのみ!」ということだ
そしてイルカを助けようとした娘は、どうも他力本願に良い方向への変化を期待しているようだが、現実は自分で変えていかなければならないという啓示ではないかと思われる。自分で乗り越えなければならいなにかがあるのだろう
なににせよ、もうすぐやってくる幸運を手放さないようにしようと思う

夢の中で「水」の意味するところは生命力や感情のシンボルなのだそうだ
キレイな水の中で泳ぐのは心の充実を暗示しているらしい
水が汚ければその逆ということだ
プールが出てくる夢は、人工的に溜まっている水=生活の中の不満を貯めるところと解釈するらしい。その中で溺れれば、ため込んでいる不満のために不幸になる…ということらしいが、水がキレイであれば解決するということらしい
水の量、水の透明度はその時の良しあしを表している

深いプール(深層心理)であることが気がかりではあるが、そこは置いといて
とりあえず、シャチが泳いでいたプールには入っていない。そしてそこは見えなかったとしても、汚くはなかった。更に、月明かりの下のプールは夜の海といった感じで、とても広々としていて、しかもわたしはイルカと戯れているので、心身ともに満たされていると判断していい
なにかし不満はあれども、現状に満足していると言ったところか・・・・
ただ、そのあとイルカが捕獲されてしまうので、もしかしたら今の幸せを失うのではないかと心配になっているのかもしれないと判断する
なので、それは取り越し苦労だから気にするな…と、受け止めることにする



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