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よく、ジブリに出てる?…と言われる  by たゆ・たうひと

■コンプレックス…

それはだれしもひとつは持つ、だれもが抱える感情・問題ではないでしょうか。とはいえ、こうして公表してしまうと、怠惰な自分の悲観に過ぎない無益な行動に思えてしまうかもしれない。おそらく最終的には自己満足、開き直りです、自分ですから。それでもこうして向き合うのは、わたしたちが「書くひと」であり、書くことが好きだから…としか言いようがありません

対質、性質、遺伝…いろんな言い方ができますが、今までコレを人前で話すとき、それを相手に重く取られないよう自分を卑下し、開き直り、強がる自分がおりました。にこにこ笑って話していても、あとに残るのは罪悪感と羞恥心…。だからといってわたしは自分が嫌いではありません。そんな自分を受け入れ、そんな自分をかわいいと思えるようになるまでの葛藤であったりもするので、お付き合いいただけたらと思います



■よく、ジブリに出てる?…と言われる

それは遠慮がちに「トトロ」や「ネコバス」にはじまり、控えめにみて「オソノさん」もしくは「親方の奥さん」、怒鳴れば「ドーラ」わめけば「湯婆婆」汗をかいたら「荒れ地の魔女」…それはそれは多大な出演歴・・・・

って、っんなわけ、あるか~いぃ!!

・・・・ってなわけで、はじまりはじまり~♪


わたしが自分のコンプレックスを一番目の当たりにするのは、美容室でカラーリングや髪を切ってもらったあと、シャンプーをして濡れた髪のまま鏡の前に座る時・・・・

あぁ、なんてまんまるい…まるでだるまだ

「お疲れ様です」と言って美容師が背後に来るまでに、二重顎を強制すべく顔をあげたりひいたり、無駄な努力をする。通常美容室の鏡は、デコルテ部分から上が映るタイプのものだが、時々全身ミラーの美容室がある。顔ばかりか、足元まで見える。がっかりする。美容室の鏡は多少湾曲しているのだと聞いたことがある。きれいに見せるための工夫…それがわたしには苦行

思えばわたしが周りとの違いを感じたのは小学校高学年のことだった。登校後ジャージに着替えるのだが、当時は一年中半そで半ズボンが当たり前の時代で、着替えるとすぐに校庭を走った
当時のわたしは小柄だった。華奢だった。ちびだった。肩幅が狭いこともあり友達と並んでいる写真は実に貧層に映っている。が・・・・小柄で華奢でちびのはずなのに、胸囲の発育が早かった。だからいつも腕組をするようにして胸が揺れないように走った。痛かったから
思えばこの時、既に肥満傾向であることを疑うべきだった。4年生から膨らみ始めた胸は6年生の頃にはすでにブラジャーを要する大きさだった。でも当時は今のように小学生でつけている女子なんていない。いないどころかそこから2年も先になる。おかげでわたしは体育の授業のたびに乳首がすれて血まみれだったし、当然のことながら形も悪くなった。そんな経験から娘には早い段階でランジェリーショップに通わせた

さて、小柄で華奢でちびな子どもが胸だけ発達するとどうなるか? それは恥ずかしさのあまりに猫背になる。猫背になると胃の部分が引っ込み、下腹が出るらしいんです。そこで、高学年の時の違和感に繋がる
ジャージのお腹のあたりの様子が、周りと違うことに気づく。あれ? あたしって、もしかしてDEBU?と・・・・
そう思ってしまうともうその言葉は頭から離れなくなり、そこから体型に対する長い長いコンプレックス人生が始まった

子どもの頃は無邪気に、体系のことなんか考えずに成長できたならどんなにかしあわせだったかと思う。一旦気になり始めるといろんな方程式が出来上がる

「わたしはデブだから」+「わたしはブスだから」

「周りの女子と同じようにふるまってはいけない」
(+「彼氏なんかできない」)

思春期を迎え、更に悲観的になるこの時期に、ここからいろいろ派生していき、この方程式は年頃になって結婚できるまで、それはそれは長い年月、更には今に至るまで続く・・・・

わたしの身内に肥満はいません。肥満どころか中肉中背すらいない。だから、少しのぽっちゃりも「デブ」のうちに変換される。むしろ「ぽっちゃり」なんて中途半端な言葉は許されないくらいのレベルで、わたしの身内はみな痩せぎっちょん

 遺伝て、なに!?

って思いますよね?
「ぽっちゃり」とか「デブ」って、いじられキャラと言えば聞こえはいいのですが、100%の確率で会話のとっかかりにされるんです。お正月、お盆、お墓参り、親戚の集まる宴席で、何年も何年も刷り込まれる「また太ったんじゃないのか」「だらしないから」「少しは動け」「怠慢」・・・・と、それはそれはあらゆる言葉で別人格を作り上げられていく。だが、いくらわたしがのんきで打たれ強いと言っても、

年頃の娘が気にならないはずはない!

わたしは秘かに頑張っていた。Dietなんか気にしなくてもいい「ぽっちゃり」さんの頃から、ありとあらゆるDietを経験した。お友達にもさんざん言われた。「そんなに太ってないよ」「気にすることないよ」…なんて、散々刷り込みされた後に言われたところで、

信じられるわけがない!

だって、子どもにとっての身内って、親の次に信用に値する立場の人間じゃないの? それこそ、小さい頃から自分を知ってるひとたちだもの、そんなひとたちに「デブ」って言われたら、そりゃ、わたし「デブなんだなぁ」って思っちゃうよね? 
年齢を重ね、卑屈な年齢を歩んだ子どもが、大人の階段を上る途中で、気休め程度に「そんなことないよ」「太ってないよ」と言われたところでそんな言葉、うのみにできるわけはないのだ。それこそ悲観発症の娘は、きっと「同情だ」としか思えない。思えなかったよ、実際

なにこれ「勲章」? わたしに与えられた「称号」なの? 呪縛呪縛呪縛… 


ここからオチです・・・・数年前、従妹からLINEで写メが送られてきた…。
懐かしい、身内の結婚式の写真だった。「使用前」「使用後」と書かれ、わたしの実妹の結婚式の時の写真と、一番小さい従弟の結婚式の写真が2枚、グループLINE「いとこ部屋」に添付されてきた
1枚目の写真…わたしの妹が結婚したのは何年前だ? 今うちに下宿している甥っ子が19になるから、かれこれ20年になる。その頃のわたしは、今のわたしが見てもそれほど「デブ」ではなかった。20代、江戸褄を身にまとい、ばっちりメイクのわたしは、親戚のおばちゃんたちに「きれいになった」と言われ、離婚直前(妹の結婚式の一週間後に離婚した笑)で実に清々しい顔をして笑っていた
2枚目の写真…彼はいくつ下だろう? 10は違う従弟の結婚式のわたしは30代、黄色いワンピースを着てまさにデラックス! それでもわたしはしあわせそうな笑顔で(2度目の結婚前後だったように思う)

ほら、こんなもんだ

散々わたしを「デブ」扱いをしてきた、写真を送って来た従妹はひとこと「学生時代は痩せててイケてたのに…」と言葉を添えていた

な、ぬゎ、ぬゎ~ん、どぅゎとぉぉぉぉx~!?

って、なるよね?

てめ~ # ゚Д゚)そんなことっ、
あの頃ひとっ…ことも言ったことなかったじゃねーかよ? あぁ? 
あたしのこの運10年はいったいなんだったんだよ? おめーらのせいで破産寸前になるほどに金かけたっていうのに!! 

あたしの人生返せ!!!!

って、なるよね?

よくよく写真を見てみる。そうだよ、それほど気にならねーじゃねーかよ?
昔の写真を引っ張り出す。なぁ? あたしこの頃、すげーコンプレックスの塊で、好きな人の前でご飯食べることすらできなかったんだぜ? それどころか目を見て話すことすらできなかったんだずぇ? あんたらが彼氏作ってホイホイ遊びまわってた頃、自分の醜さに打ちひしがれ、同い年の女子より何周も出遅れて、いい時代を手探りで進んできたんだぜ? どうなのよ、それ。それってどうなのよ!?

って、なるよね?

すっげ~損した気分


って、なるよね?

おそらく金額に換算すると高級車が数台買える程度のお金は使ったんじゃないだろうか・・・・?
気にするあまり、わたしはニートを経て「体型補正の下着」の会社に勤めたこともある。それこそここで一回の金額が高級車並みのねん出することになった。だから、採寸得意です
娘の便秘と、息子の弱い胃腸のため、薬膳の勉強をしたこともある。これはcafeで薬膳をいただきながらの講習で、ランチ代で済んだ。これはこれで食べ併せとか、季節を取り入れた健康食なんかもたくさん知ることが出来た。
まぁそれなりに得るものはあった

社会に出てからもいじられキャラは変わらず、話のとっかかりはいつも同じ話題。「自分ばっかり食べて、子どもに食わせてね~んじゃね~のか」「いくら食ったらそんなになるんだ」「動け」・・・・それこそ大きなお世話を焼いてくれる心無い上司や同僚相手に「食糧難になっても葉っぱ食って生きていける」とか「台風が来てもあたしは飛ばされない」とか「膝の裏にえくぼがある」なんて攻防も生み出した。もちろんそんなの開き直りの何物でもない。でもその都度落ち込んで振り回されるのもばかばかしいと思った。それに、結婚出来たわたしはもう、そこを頑張らなくてもいいと思った。だからバカになることにした。バカになってうまい転換を考えた。とても頭を使って自分を守った。挙句「オマエはなんも悩みなさそうでいいな」なんて言われたけど、自分がバカになることで落ち込むことは少なくなった

今さら「この頃に戻れるよう頑張ったら?」って言われても、むしろデラックスでいいと答える。だって今は「デブ」でもいろんなおしゃれができるし、温泉も好き💛 ひとは見掛けかも知れないけど、それほど不快感を与えてるとは思えないから・・・・(多分)

                             おしまい

〈 著者ぷろふぃ~る 〉たゆ・たうひと(平沢たゆ) 
森鴎外とエドガー・アラン・ポーと誕生日が一緒なのが秘かな自慢の「書くひと」。リレー・エッセイをあおった張本人だが、少々プレッシャーを感じつつ、これによる繋がりを大いに期待しております
少々、いやかなり長すぎる長編小説『オスカルな女たち』を小出しに毎日更新中。最近では「平沢たゆ」名義でまとめ読みも開始。最近やっと昔の勘を取り戻しつつある、昼間はご飯作って昼寝をするだけのただの「主婦」

こちら、リレー・エッセイのスターター『文坂ノエ』さま

さて、いかがでしたでしょうか?
思い込みも刷り込みもコンプレックスのうち…結局は開き直りですが、わたしは今、年頃であった自分ほど思い詰めてはおりません。ただ、あの頃のわたしと同じように悩む娘に、こんなくだらない思い込みや刷り込みをしないよう、大事に育ててまいりました。早い段階で体型を気にし、きちんとしたブラを買い与え、健康管理もさながら自分の経験から「それは気のせい」と若い今を楽しみなさいと言える。それだけが強みです
コンプレックスに限らず、自分が失敗したことを子どもたちや、若い後輩に助言できるだけの経験を重ね、たとえ今デラックスなわたしでも、それはそれと受け入れられる。ただ、健康面は気にしなければいけない。逆に太れないことをコンプレックスに感じているひともいるしね

ここまで読んでいただきありがとうございました。他人のコンプレックスなんてつまらないかもしれないけど、わたしは楽しかった。書いていて気づきもあったし、すっきりもしました


では、次のバトンをお渡しします

第3回目 娯楽ないみ様 よろしくお願いいたします

みなさま、楽しんでいただけますように・・・・(*^-^*)

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです