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my blue heaven〜ジョルが創作カレーを作る理由

「何でカレー屋を始めたんですか?」

とはよく聞かれるが、

「なんで創作カレーなんですか?」とはあまり聞かれない。

今日はなぜ「はらいそSparkle」は創作カレーをやっているのか?みたいな話をしようと思う。

カレー屋を始めたきっかけを話す際に

「サラリーマンを辞めて味園ビルで知り合い(オーナー)の新しい店を立ち上げから参加した。そのお店でカレーイベントをしたりしていて」というくだりがある。

このイベントは、よくカレーの食べ歩きを一緒にしていた友人と「私のカレーは左利き」という名前で開催し、毎回バンドとDJとカレー屋さんをブッキングして行っていた。

何回か開催する中で、お呼びした「マタタビ」さん。今となっては知る人ぞ知る存在かもしれないが、当時まだ大阪にゼロワンカレーがあった頃、同じビルの上の階にある「日本酒うさぎ」さんを間借りして営業されていたお店である。

店主の石井さんは、「蒼空」と言う日本酒を作る藤岡酒造さんで「蔵人」として務められていた。蔵人は期間工のようなもので、酒造りの季節が終わるとお暇ができる。その時期限定で出店される間借りカレー屋さんと、発酵料理とスパイス料理と日本酒のペアリングをイベントで行われていた。

そんなに仲が良かった訳でもなく、一緒に飲みに行った事もない石井さんだが、寡黙ながらお店に行くと気を遣ってよく話しかけてくれた。間借りで店を始めた時にも何度かお店に来てくれた。ありがたくかっこいい先輩である。

さて、話が戻るがそんなマタタビの石井さんに「私のカレーは左利き」への出店をお願いした時に「豚軟骨の筑前煮ビンダルー」と言うカレーを持った来てくれた。

抜群に美味しいそのカレーを食べながら、今でこそ百花繚乱に咲き乱れる大阪の創作カレーではあるが、当時からしたらなかなかエッジのきいたカレー。どうしたらこんなカレーを思いつくんですか?と聞いたら、寡黙な石井さんはハニカミながらこう答えてくれた。

「いや、筑前煮がインドを旅したらどうなるんかな?って思って」

その答えに僕は目から鱗が落ちまくり「カレーってこんなに自由でいいんや!」と衝撃を受けた訳です。

当時の食べ歩き先は現地系が多く、自分で作るカレーも東京カリ〜番長水野御大のレシピ本をそのまま作っていた自分に、ブルースブラザーズのジェイクよろしく光が刺した。I see the light!!

そこからは好き勝手にやってきた。根本にあるのはあの時の石井さんの言葉。「◯◯がインドを旅したら、スリランカを旅したら、ネパールに行ったら」「△△(南アジア料理)が日本に観光に来たら」というテーマでカレーを考えてきた。

あの日から8年が経って、売り上げはイマイチだけど賞をいただいたり、メディアに出していただける創作カレー屋さんに成長した。

そして、そんな石井さんは4年前の今頃お亡くなりになられました。急な事で、石井さんは若かったのに。今の俺よりちょっと上くらいやったかな?今何かあったらすぐ病院に行くようにしてるのも、この事があったから。

石井さんが亡くなって、一年が経った時に石井さんの親父さんが、石井さんの手書きのラベルの貼ってある蒼空を届けてくれた。大切に飲んだ一升瓶は今も大切に残している。

その瓶の裏のラベルには

“青空を見上げるとホッとできるように飲んだ人が優しい気持ちになれるようなお酒を創りたいと思いつけた名前は「蒼空」”

と書いています。

石井さんのカレーってまさにこんな感じでした。、バチバチのスパイスじゃなくて、優しくってホッとする。

夕焼け空が好きなんですけど、夕日の反対側の夜空になる手前の深い青い空ってなんだか昼の空と違ってまた素敵なんですよね。昼間の明るいきれいな空とはまた違ってね。なんか懐が深いってのか、優しく感じるんですよ。

ほんとそんな味でした。石井さんのカレーも、蒼空も。いつかそんなカレーを作れるようになりたいなと思ってやってきました。

忙しくってそんな志も忘れてしまいそうになるけど、一年に一回だけ「豚軟骨の筑前煮ビンダルー」を作る一週間はそのことをしっかり思い出してカレーを作るようにしています。

とは言え、こんなけ石井さんの名前出してる、けど別にそんな仲良かった訳でもなくって。会話はいつもカウンターを挟んでの関係で、膝突き合わせて飲んだこともない。交わした言葉も少ないけど、その少ない言葉に突き動かされて僕はここにいます。

いつそっちに行くかわからない人生ですが、そっちに行ったらもう少しだけ仲良くさせてください。それまでもう少しだけまたカレーを作ります。

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