遺書を書いてみた 4

思えば行動が遅い人生でした。

祖母に会い、今後の人生について軽く話した。お前は教師がいいんじゃないかと言われた。

そうだ、俺は確かに人に物を教えることが好きだ。
人の上に立てるから、という理由ではない。せっかく自分の持っている知識を共有できるなら、相手にとってそんなコスト削減はない。

俺は教員になるのか?固定された職場の、今時どちらかというと堅い部類の職業。公務員だ。
いや、そんなことを言っている場合ではないのかもしれない。

じゃあこれから大学に編入して教員免許を取るのか?そんなことをしていると、卒業時点で俺は28だ。
そうさ、いつだって俺は行動が遅い。

もし仮に、大学を留年した20歳の頃に教師に転向していれば、きっと22,23で、遅くとも24で教師としてまともに働けていたんじゃなかろうか。

そうさ、俺はいつだって遅い。小学校の給食も、掃除が始まっているのによく最後まで残って食べていた。
図工の時間に何を描くか、何を作るかで悩んで、本当にいつも作品の提出が最後だった。
今も彼女を待たせている。すぐ東京に行くと言ったのはもう一年半前。
お金がたまらず、だからと言って働こうともせず、当時もそれなりに頑張っていたつもりだが、きっとこれは行動が遅いのだ。今もまだ引越し資金は貯まっていない。

いつも行動は早くしたいと思っているが、何も考えずに動くのは昔から苦手なのだ。

その翌日、祖母から手紙が届いた。やっぱりお金がいただけると思った自分が情けなかったが、開けてみると手紙と一万円が入っていた。

『自分の道を選択しなさい。少し遅いけれども。
2人で話せて良かったです。』

祖母と2人で話したいと昔から思っていた。せめてこの行動だけは、遅くなってはいけない。

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