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「生成AI」と「創作AI」

「生成AI」という言葉を耳にしたとき、『創作じゃ無いんだ。と思った。創作は人間だけがするものなんだと、AIの研究者は思っているんだな。と思った。一方で、「生成」という言葉に興味を持った。
一般に「創作」はオリジナルで、他者からの影響もなく、個人がゼロから創るものだと考えられている。しかし、この創作観はゴッホやピカソが活躍した19、20世紀の近代の幻想である。
無から有は生じないし、オリジナルはどこまで辿って、遡行していっても、ここが原初の始まりという地点は見つからない。
いままでの「創作」と思われていた作品は、すべて、過去や、同時代の他地域の制作物の影響を受けているし、過去の制作物の断片の組み合わせで出来ている。断片を選択したり、組み合わせるとき、作り手の思考の他に偶然性が掛け合わさることで、今まで見たこともない様なものが「創作」される。全てが制作者のコントロール下に置かれると、既視感の強い制作物にしかならない。既視感もありながら目新しい制作物にするためには、偶然性の効果も受け入れる必要がある。
AIの生成と似ていて、人間の創作も過去の色々な断片(データ)を組み合わせ、ハイブリッドする。AIと違うかもしれないところは、人間の創作には偶然出会った断片、偶然気付いた組み合わせ方を取り入れる「偶然性の効果」が必要になる。
AIが偶然性を受け入れることができる様になると、「創作AI」が可能になる。

くどい様ですが、大事なことなので、ここで、もう一度、「なぜ、創作のために偶然性を取り入れることとが必要なのか?」という疑問に対して回答します。これは創作活動をした人だけが、実感を伴って理解できることなので、創作活動をしていない人には理解できないかもしれませんが。

創作というのは「いままでに見たり、知ったりしていないもの(今までに無いもの=未知のもの)を作ること」です。
制作は、「生成AI」と同じ様に今までにあるデータ、部品、断片などを取捨選択し組み合わせることで成立する。データもない、部品も材料もかけらもない、「無」の状態からは「有=制作」は生じません。今までに既にあるものを取り入れて制作は可能になるのですが、それは、あくまでも、現在の自分が想像できるもの(=つまり、見知っているもの)しか制作できません。これは、未知なるものの制作=創作 には結びつきません。創作のためには、考えて、計画的に、準備して作ることに加えて、偶然性も取り込まないと想いもよらないもの=未知のもの=創作には結びつかないのです。  


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