見出し画像

対話の中で見えてくるもの

オンライン授業の取り組みの中に「フィードバック動画」というものがある。受講者との双方向性を実現させるために、提出された課題にコメントなどをつけるのが一般的だが、僕は解説動画を作成してアップしている。

近畿大学に着任してから、毎年どこかで発表や講演をしているが、質疑応答がもっとも楽しい。想定質問を用意したことはなく、毎回頭を空っぽにして質疑応答に向かう。日本国際文化学会などは専門領域が大きく異なる人が多いため、予想しない方向から質問が飛んでくるが、それに対して即興で返すことが楽しい。

学生のコメントに回答するのも、学会の質疑応答に似た楽しさがある。ひょっとしたら、学生のコメントは一般性の高さにおいて学会以上の学びをもたらしてくれるかもしれない。

教員になった頃、授業で何をどうしていいかわからず、学生のコメントに答える時間を設けたところ、かなり喜ばれたことを記憶している。だが教員を続けている打ちに、授業時間を確保することに重きをおき、いつからかそのような試みは取りやめてしまった。オンライン授業では「授業後の解説」という位置づけでこのような機会を設けることができたわけであり、何が功を奏するかわからない。じっくりと調べて答える質問もあれば、学会発表のようにその場で答える質問もある。それを繰り返すうちに、学生の「言葉」から新たな発見がもたらされる。

今の自分の研究テーマは「個別主義の壁、普遍主義の壁」であり、もう長いこと模索している。「他」と向かい合うと、当然ながら「他」は自分と対立する存在となる。他方、「他」と結託すると、自分の本質が置き去りにされてしまう。自己と他者を貫く普遍性は間違いなく存在するが、同時に自己と他者の完全なる違い(他者性)がどうしようもなく目の前に立ちはだかる。この「壁」を前に、我々はどのような振る舞いを求められているのか。その答えは様々な「壁」を目の前に提示する学生の「言葉」の中に潜んでいるかもしれない。その言葉に対してフィードバックを行えないのであれば、それは「壁」の否認に他ならないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?