イ・チャンドン『バーニング』

まだ書き途中。


最高の映画だった。


一見無駄そうに見えるが、何一つ無駄なダイアログやショットが存在しない。しかしそれは現代大衆カルチャー特有の浅い「伏線」という詰まらない効果の事ではない。これは村上春樹自体に言える事ではあるが、その「伏線」カルチャーの不毛さを批判しているとも取れる。それかそもそもそんなものは眼中にない。

インモラルの連続だった。ただそれがよくある登場人物の行動のインモラルだけではなく、典型、話型からの逸脱でもあった。登場人物、ストーリー、構成何もかもがインモラルの連続と言える。

こう考えてみると世界で見て、作品舞台としての「東京」に最も近い街は、韓国の都市なのかもしれない。貧しさがばかり募る気晴らし(アルバイトとかタバコとか猫とか無様なセックスとか)は都市の貧しい若者を象徴的に示しているように感じる。開き直りきれない。

虚言。でまかせ。ほら。
人生にも言葉にも大して意味は存在し得ない。中身のないダイアログにはそんなやり場のない怒りと悲しみが詰まっている。確かに存在しきれない。例え突然自分が消えちまってもなんら不思議ではないのだ。

ラストシーンだけ、初めて実質的な行動が起きる。

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