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観たもの、読んだもの、行ったところに関する断片的な記録。 これ以上メモ帳の数を増やす訳…

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観たもの、読んだもの、行ったところに関する断片的な記録。 これ以上メモ帳の数を増やす訳にいかなかった。それは精神的な問題で。その為ここでアウトプットしています。 大学では式子内親王について研究。演劇、美術、文学など幅広くカルチャーに興味あり。特にシュルレアリスムと耽美主義。

最近の記事

メモ帳移行用文書2

この世界の片隅に のん、めっちゃ魅力的。ダントツで素敵。 長台詞崩れる。 手の動き、変。日常ではしない動きがあるがそれが逆にリアリティ。 すずさん、全然感情出してないのでは?まだまだドス黒さ?というか負の感情が出てきそうと考えたくなる役だった。すごく良い意味で。ヒントだけが溢れているから。 日本には、穏やかなため息があるけど、外国には怒りや苛立ちのため息しかないらしい。 気になるポイント「この映画の感情と矛先はどこか?」 <直感部分> 直感的にすっごく怒っている映画

    • メモ帳移行用文書

      クロが喋った事 金縛り 光の穴 何も考えられなくなって倒れる 赤ちゃんが何体も体にまとわりつく 笑ってる 真っ黒の人 頭を蹴られる 地震、金縛りの地震 巨大な魚の骨、臭かった 鳩の首、禍々しさ 麻原彰晃みたいな人。高校生の時多摩湖の公園の前のトイレ、交番があるところで見た 本気で気が触れた人間を見た事がある 好きな漢字 画 沙 好きな虫 蜻蛉 好きな言葉 エジプトの少女 好きな俳優 松田龍平 門脇麦 生まれ変わりたい動物 カラス 好きな動物 ヘビ ヘビの性がある no

      • 勝手に造語「暗い森で迷子」現象

        【暗い森で迷子】現象 経験した事がないはずなのに不思議な懐かしさ、心地よい不安を擬似的に感じる現象。 自然物、風景や創作物(アニメーション、絵本、小説、演劇)などを観て感じる。 創作物の場合にはカタルシスや原始的な感動を伴う事もある。切り絵、抽象的な舞台美術、ミニチュアな実物を真似て作ったがために簡素化されたものを見、感じる事も多い。 自然物、風景の場合には旅行先、キャンプなどホームシック経験と結びつき、強く刻まれた記憶が作用し、感じる事が多い。暗い中に輝くもの、街灯、窓から

        • 『偶然と想像』観た。

          タイトル的にあまり自分が好む感じではないと思ったが良い意味で裏切られた。 どれも演劇に近い演技とシーンが多かった。移動は少ない。言葉の積み重ねで繋がる芝居、という意味。 第一話目 これ男女逆だったら、胸糞悪い映画として捉えられそうだなと思った。これは現在の観客の想像力の乏しさが悪い。 好き、気持ち悪い、好きだけど傷つけるのは嫌だ、傷つけたって構わない、好かれたい、(一方的に)愛されたい、あらゆる方向に芽が伸びかかっている。しかしそれは伸びかかっただけであって言葉にならない。

        メモ帳移行用文書2

          タイガー立石展

          最高だったなぁ…。 同じモチーフを何度も使う。虎、幾何学、富士山 一つのモチーフを切って貼ってひっくり返してみる。もう自分にはそういう心のゆとりがなくなってしまったように感じた。小学生の時は算数が得意だったのに。 コマ絵画も斬新だった。始まりと終わりという慣れ親しみ過ぎた形式にある一定の効果があるという事が分かった。最後のコマにfin.の清々しさとか爽やかさみたいなものが自然と感じられる。絵自身の効果もあるのかもしれないが、そういう感覚が自分に染み付いているように思えた

          タイガー立石展

          ひたむきな星屑(と閉塞感のお話)

          戯曲に関する断片的なメモ。 ポストドラマ演劇というジャンルを身をもって知りたくて読んでみた。 赤いテールランプの描写がすごく良かった。不安、ざわめき、懐かしさとかが叫びをあげそうな感覚があった。これ以外にも実際に舞台ではどう表現するのか気になるところが多くあり、生で観てみたい気持ちになった。 ひょんな矛盾から大火事に発展する展開が面白かった。よくある構成ではあるかもしれないが、湘南ラーメンへのクレームからとは思わなんだ。舞台表現とのマッチも良かった。 読んでみて矢張り閉塞

          ひたむきな星屑(と閉塞感のお話)

          イ・チャンドン『バーニング』

          まだ書き途中。 最高の映画だった。 一見無駄そうに見えるが、何一つ無駄なダイアログやショットが存在しない。しかしそれは現代大衆カルチャー特有の浅い「伏線」という詰まらない効果の事ではない。これは村上春樹自体に言える事ではあるが、その「伏線」カルチャーの不毛さを批判しているとも取れる。それかそもそもそんなものは眼中にない。 インモラルの連続だった。ただそれがよくある登場人物の行動のインモラルだけではなく、典型、話型からの逸脱でもあった。登場人物、ストーリー、構成何もかもが

          イ・チャンドン『バーニング』

          論題となりうる「東京」性って海外の都市にも見えたりするのだろうか。空虚なようで大食いな口。

          論題となりうる「東京」性って海外の都市にも見えたりするのだろうか。空虚なようで大食いな口。

          野田秀樹『フェイクスピア』

          お芝居に関する断片的なメモ。(もっとしっかり書くためにもう一度見たいが、大阪までは行かれない。) ここまで泣かせにくる展開とは思わず、かなり驚かされた。というのも物語途中まではそういった様相は感じさせず、難解でスピード感のある展開が続いていた為、ラストが良い意味で裏切りのように感じられた。観客たちの鼻を啜る音が劇場の一体感を際立てていた。 しかし「泣ける」が大事なところではない、という所から出発して考え直してみたい。恐らく感動的な悲劇という事が本作の終着点ではないだろう。

          野田秀樹『フェイクスピア』

          山種美術館『百花繚乱ー華麗なる花の世界ー』

          日本画、それも植物のみ展示だったが、改めてそれを鑑賞する事は中々出来た事ではないためにすごく充実した時間となった。 自分は花の絵を立ち止まって観るという事はしなくなってしまっている。それを四角で囲み、目の前で立ち止まるよう示してくれている。そもそものギャラリーの大きな役割。 和歌と結びつきが強い。日本らしい固定化した種の花。 花を通して、季節を描く、叙情とする。それの最も簡素化されて提示しているのが本展示の絵に見られる事。

          山種美術館『百花繚乱ー華麗なる花の世界ー』

          演劇、割と自分にとっては汚いものに触れたり、目を向けたりする唯一のものかも

          演劇、割と自分にとっては汚いものに触れたり、目を向けたりする唯一のものかも

          倉橋由美子『聖少女』

          に関する断片的な感想。(まだ書き途中。) 文体がとにかく絢爛。かつそれに本人が強い自負があり、才覚を持ってして、現代小説やその他テキストを厳しく睨んでいるといった印象を受けた。(一方で著者と語り主体を同一視すべきかという問題は存在する。) 源氏物語の原始的な主題と仏教説話に見られる紫式部の末路を想起した。美の追求。とそれが"現実"には不可能だという逃げられない答案。 著者の美意識(著者に見られればひどく蔑まれそうな表現だが…。)が、登場人物の青年に、ヒロインに、青年の男

          倉橋由美子『聖少女』

          トランスレーションズ展

          「ズ」なのがなんかほっこりする。でこぼこフレンズみたいな笑 それが先ず良かった。 当初表明文のようなものを読んだ時に最早それは「トランスレーション」ではなく、「アダプテーション」で良いのでは?アダプテーションの中の一つとしてトランスレーションがあるのではないかと思ったが、中へ進んでみると「トランスレーション」が最良の表現なのだと思わされた。 手話を使って表現を試みる映像がすごかった。何とも形容し難いオブジェクトをどう表現するか、名前のないものをどう表現するか、そのオブジェ

          トランスレーションズ展

          佐藤可士和展

          デザイン展示に関する断片的なメモ。 先ず語られるものはデザイナーの幼少期。作風の根っこの一つになっているものとして、友人の家の「整理整頓」具合があった。それに影響を受けるというのは中々異質に感じる。相当なものだったのだろうか。 また、幼少期に製作された抽象画らしき作品には才能が非常に感じられた。 デザインについて無知であったためどう見て良いのか分からなかったというのが正直なところである。ただそんな無知な自分にTポイントカードのデザイン等、「あ、これもそういえばデザインか!

          佐藤可士和展

          人形を作る仕事がしたい。幅広い意味で。命を吹き込む仕事がしたい。

          人形を作る仕事がしたい。幅広い意味で。命を吹き込む仕事がしたい。

          何度も何度も忘れそうになるけどテクノロジーは本質ではない。

          何度も何度も忘れそうになるけどテクノロジーは本質ではない。