野田秀樹『フェイクスピア』

お芝居に関する断片的なメモ。(もっとしっかり書くためにもう一度見たいが、大阪までは行かれない。)


ここまで泣かせにくる展開とは思わず、かなり驚かされた。というのも物語途中まではそういった様相は感じさせず、難解でスピード感のある展開が続いていた為、ラストが良い意味で裏切りのように感じられた。観客たちの鼻を啜る音が劇場の一体感を際立てていた。
しかし「泣ける」が大事なところではない、という所から出発して考え直してみたい。恐らく感動的な悲劇という事が本作の終着点ではないだろう。

「パパ」が神様から奪った声の入った箱。天国から落とした箱。あの世にこの世の空気を閉じ込めた箱。

自分の声が誰にも届かない、事をつまりは存在しないに等しい物だと捉える視座はもはや典型ではあるが、その極限とも言える題材だろう。

プロローグが短く、視覚的だと記憶に残りやすい。今でもありありと目に浮かぶ。かなり遠いサイドシートだったのに。

祈りと叫び、父からメッセージでは生き残った全ての日本人へのメッセージであり、年増の姿をした子どもは我々一人ひとりだ。我々に向けたエール。優しいエール。

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