佐藤可士和展

デザイン展示に関する断片的なメモ。

先ず語られるものはデザイナーの幼少期。作風の根っこの一つになっているものとして、友人の家の「整理整頓」具合があった。それに影響を受けるというのは中々異質に感じる。相当なものだったのだろうか。
また、幼少期に製作された抽象画らしき作品には才能が非常に感じられた。

デザインについて無知であったためどう見て良いのか分からなかったというのが正直なところである。ただそんな無知な自分にTポイントカードのデザイン等、「あ、これもそういえばデザインか!」とありとあらゆるものにデザイン、ないしデザイナーの制作物が根付いているという視座を与えてくれた展示だった。
フラットかつ原色による幾何学的デザインというのは今でこそありきたりになりつつあるが、このデザイナーがその最初期を丸ごと作っていたと考えるとやはりすごいし、それ以降の人は大層口惜しい思いをしたのではなかろうか。(最初期と断定しているのは日本でこんなにも大々的な展示がある事から。)
先述の通り、デザインはどう見れば良いのか分からない。「あ、これも作ってたの!これも?!これも?!」という、何というかもっと幼心?で見て正解だったのか。後、あんなに大きく展示されていると、いやーそりゃーすげーってなるよ、って少し卑屈に思ってしまう。一方で適切な展示の仕方という面から考えればそうなるのが当然か。

ロゴの設計図の展示、いまいちだなと思ってしまった。あれ見るとなんかすげーと思わされるけど、知りたいところはそれじゃない感。何でそんなデザインなのか、ラフとか別案とか色々なもの組み合わせて説明して欲しかった。作者の気持ちとか気にしてるところとかも。ちょっとだけ客を舐めてる。

コンビニ惣菜のパッケージの展示はより舐めてる。何が目的?って感情になる。ここは誰々ワールド!って感じなのか。そこに佐藤可士和さんのお名前が当てはまる感じなのか。インスタレーションじみた展示。すげーってなる。

一方で思考が深まった事も勿論ある。デザインというのは踏み潰されていくモノというのが僕の見解だったが、断続性が高くても血脈があるというのは少し分かった気がする。デザインは無意識のパクリによる血脈だと考えていたが、流石に再考の余地がありそう。

ジャニーズかどなたかのmv。顔が大事な商売なはずなのに文字やデザイン重視のmvで斬新だなと思った。

最後の、デザインとは離れたファイン?の『FLOW』という作品は非常に残念だった。作者は全く近代美術、現代美術に関心が無いという事が一発で分かってしまう作品だった。中々こういう展示について確かな事を言うのは難しいが、明言できるほどそれは顕著だった。人意からの解脱を目的若しくはテーマにした芸術運動、作品はこの世に沢山あり、何度も試行錯誤されてきた命題。それなのに四角いカンバスに、原色(最も人工的)の青で、筆、極めつけはそれを人間が振るうという人工、人意のオンパレード。何一つ崩せて無い感。ドリッピングという言葉で一発で表せてしまうし、オリジナリティは皆無だけど良いのだろうか。というか一言で表せてしまうものをあたかも現代アートっぽく新しく作る意味は何があるのだろうと考えてしまう。

LINEの方は考えきれなかった。直線は人工物、人間固有の価値観という考え方は非常に興味深かった。立体的で直線が溢れていた。未来派を想起させる。何となくここまで展示を見てくると文字やマークに見えてくる気がする。そう考えると面白い。

とりあえずこんなところ。またデザインに関する展示があるならば行ってみたい。今回の展示が誰を対象者としていたのか気になる。展示を見る限り案外敷居は低いのだろうか。美術に興味がなくても充分楽しめる感じだった。

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