見出し画像

【day10】間が怖い

こんにちは、グミ(@gumi_yoshida)です🙌

今日は「間(ま)」について話そうと思います。

実は昔から間がとても苦手。大人になってから、ある種の慣れやテクニックで周囲に気付かれないようにしてきましたが、ふとした瞬間、「やっぱり意識しちゃってるなー。なんでこんな気になるんだろー?」と思うシーンがあったので原体験を遡ってみました。

間を意識し始めた瞬間

間にまつわる最古の記憶は小学3-4年。

同じ地区に住んでいる子と毎朝一緒に登校していました。その子が「めぐみちゃんと一緒にいるの楽しいから登校したい」と言ってくれたからです。

始めは嬉しかったものの、途中で時間を共にするのが億劫になってきてしまいました。なぜなら、その子はとっても大人しい性格で、自分から積極的に話してくれない子だったからです。話題をふってもリアクションが薄い。相手にもペースがあるのかもと反応を待ってみても、無言のまんま。家から学校までの、たった10分弱の道のりが遥か遠くに感じていました。

一緒にいると楽しいから、という言葉は呪縛のように私をがんじがらめにさせました。

期待に答えて、この子を楽しませなくてはいけないのではないか。シーンとした瞬間を生んでしまったら、残念がられてしまうかも。でも、これってコミュニケーションじゃなくてわたしのトークショーじゃあないか…。

見えないプレッシャーの中で、間を避けるように無理矢理適当な会話で場を紡いで誤魔化していくスタイルが出来上がってしまいました。

しかし、やはり一方通行なコミュニケーションはしんどくって、徐々に会話量が減ったり、一緒に登校することも減っていきました。

そんなある日、担任の先生に呼び出され、廊下に行くとその子がいました。そして、「〇〇ちゃんが、最近めぐみちゃんがお話ししてくれないって言ってるわよ。ごめんなさいして」と言われたのです。

先生の言い方は一方的でとてもショックでした。

シカトしているわけでも意地悪しているわけでもなかった。ただ、その子がそうであるように、私にも間をつくる権利はあるはずだった。

でも、間を空けることで誰かを傷付けてしまうことがあるんだなと幼心に感じ、間に対する恐怖心が芽生えてしまうようになったのです。

間を味わう方法①

そんなこんなであまり間に対してポジティブなイメージを持っていなかったのですが、間は味わい深いものだ、と教えてくれた2つの出来事があります。

ひとつめは、友人の言葉です。

昨年7月末に12日間ほどお休みを取り、瀬戸内方面へ旅に出ました。デトックスのような旅で、自分の心のままにやりたいことをしよう、という実にゆるい時間でした。

12日間は入れ替わり立ち替わりで色んな友人が旅に同行してくれたのですが、その中で「間」の話になりました。友人いわく、

「世の中には3つの間が存在する。空間の間。人と人の間。会話の間。そこに気持ちよく居続けるには、それぞれに適当な距離というものがある。だから、間とはうまく向き合って使っていったほうが良いよ」

そんなニュアンスだったと思います。

この考え方は衝撃的で、間の在り方を捉え直す大きなきっかけになりました。たぶんこの頃あたりから、"my pace"を意識し始め、無理しないようになった気がします。

間を味わう方法②

ふたつめは、シーシャです。

海外放浪していたのもあり昔から好んでいるのですが、人と人・会話と会話がゆるやかに融け合っていくような、あの独特の空気感がものすごく好きです。

煙をのびやかに吐きながら味わうのがシーシャの醍醐味であって、それは無理矢理会話の間を埋めるためではありません。

息をするように各々のテンポで会話を続けることの出来るので、リラックスしたコミュニケーションがうまれ、とてもとても居心地が良いのです、、!

なので、この人ももっと仲良くなりたいなぁ、今日は深い話をしたいなぁと思ったら、シーシャに行きたくなります。それが自然体な自分のままでコミュニケーションできる、一番手っ取り早い方法だからです。(いつでもお誘い待ってます✌️✌️)


ということで、今日は「間」に対して考えていることを書いてみました◎

昔の話は初めて話したので少し恥ずかしさもありますが😂、頭の片隅にずっと残っていた出来事だったのでアウトプットすることでやっと昇華出来そうな気がします。

ではまた明日〜🙋‍♀️

👇 全記事こちらから見れます


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?