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不気味なエネルギー


連結された綱が切断されると、巨艦はゆっくりと動き始めた。傾斜した台の上を加速しながら滑り、海面に突っ込んで凄まじい水しぶきを上げる。
「バンザイ、バンザイ」
千名の作業員が両手を挙げて唱和する。叫ぶような声はやがて激しい嗚咽に変わった。

昭和一三年、日本海軍は戦艦『武蔵』を起工した。長さ二六三メートル、排水量七一,一〇〇トン。常識破りの大きさに造船所長の顔は青ざめた。「ともかく、やるしかない」。裏手の山を切り崩し、海底をさらい施設を拡張。艦体が滑走する台には、鋼鉄を打ち込んで強化する。冷たい海水の中、裸身を胸まで浸しながらの作業に体を壊す者が絶えなかった。
「すぐにやり直せ」。艦体に打ち込まれた鋲を検査する海軍中佐は、荒い語気で命じる。熟練工は不服そうな顔を見せるが、「少しでも不確かなものは一切使わない」という苛酷な判断だ。特注された大型鋲は、一本抜くのに数人がかりで一晩かかることもあった。

造船所には重苦しい雰囲気が流れていたが、戦況が佳境に入るにつれ作業員の興奮が高まっていく。武蔵が海上に浮かべば、日本の国土は十二分に守護されるはずだ。一刻も早く、と自ら残業を申し出る者が続出。そこに、日本が戦争の渦に巻き込まれないことを願うものはいない。むしろ、武蔵に相応しい舞台が整うことを期待しているかのようだ。

起工から四年二ヶ月後、武蔵はついに航海に出た。どんな強烈な波にもびくともしないことから不沈艦と呼ばれ、武蔵が沈むなら死んでも悔いないと乗組員から信仰される。ところが、秘密兵器として温存されなかなか出番がこない。その間にアメリカの航空兵力が目覚ましく発展し、海上兵力を充実させていた日本はその大半を失ってしまう。実は、海軍の中にも戦闘機に注力すべきだという声はあった。しかし、当時の日本は海戦に強く、建艦派の意見が採用されたという。
ジリ貧の海軍は、アメリカ主力艦隊に決戦を挑む。航海に出てから一年九ヶ月、ようやく武蔵の威力を発揮する機会が訪れた。だが、これが全滅を覚悟した決戦であることを乗組員は知っていた。それでも鉢巻きを硬く締め、戦闘に備える——。来襲されたのは敵の制空圏内に入ってすぐだった。次々と撃ち込まれる魚雷に、さすがの武蔵もなす術なく海に飲み込まれる。敵と合戦することもなく…。

これまでの血の滲むような努力も膨大な時間も、全てが無駄になった。犠牲になった人々が哀れで、海軍には腹が立つ。だが悪夢から醒めたみたいにほっとしている。心のどこかで武蔵の沈没を待っていた気さえする。
救助された乗組員の多くは各部隊に散らされた。にわか作りの爆薬を手に敵戦車に飛び込む。そこに嘆きや怒りは一切ない。彼らもまた、この悲惨な結末を受け入れているかのようだ。

徒労に終わると知りながら、命をも投げ出す。使命感に酔いしれるとき、ひとはそんな不気味なエネルギーに侵される。一部のものが引き起こす戦争を、壮絶なものにするのはわたしたちなのだ。本当の恐ろしさはそこにあるのかもしれない。

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