「Γ」この文字をガンマと読むと知った日

岩田です。はてなブログの過去記事転載です。

突然だけどガンマ【Γ】という文字って皆さんにとって馴染みがある文字でしょうか?

Γってのはギリシア文字の第3番目の字母である... って偉そうに言うもこれはネット検索で出てきた解説、正直いって何のこっちゃ分かりません。

ということでもう少し詳しく見るとα(アルファ)β(ベータ)Γ(ガンマ)Δ(デルタ)ってなアレだ、カッコイイシリーズなヤツだ。

Σ(シグマ)とかΩ(オメガ)もカッコイイですね、うん、実にカッコイイ。

多分ゲームのキャラクター全部をギリシア文字にしてもイイ感じ、そういえばガンダムでもν(ニュー)ガンダムってやつがありますね、アムロが乗るラスボスクラスの性能を誇るモビルスーツです。

やっぱりギリシア文字の読み方はカッコイイ、ということはギリシア文字をくっつけた名称のものもは何でもカッコよくなる可能性がある。

試しに色々とくっつけてみましょうか、

  • Δブログ(デルタブログ)

  • Σダウン(シグマダウン)

  • οサングラス(オミクロンサングラス)

間違いない、意味不明で何の効果があるのかさっぱり分からないけどカッコイイ。

んでΓ(ガンマ)、Γは私にとって思い入れのあるギリシア文字、当時はΓがギリシア文字ってことも知らずにガンマと読んでいました。

...って白状します、ギリシア文字って知ったのはこの記事を書き始めてからです。

RGV250Γ

1980年代後半にバイクメーカーのスズキが発売したレーサータイプのバイクになります。

正確にいうとレーサーレプリカというジャンルのバイクになりまして外観はレースで仕様されるようなバイクと同じってなジャンル。

RGV250Γは1980年代前半のRG250Γの後続モデル、

現オッサンの方で昔バイクにはまった方なんかはVΓ「ブイガンマ」なんて呼び方をしていたはずです。

少々マニアックな話をすればRGV250Γは2ストロークのTMキャブってな野郎でして高回転になるとググっと加速がUPする乗り物、当時の2ストロークバイクは大体どこも似たような感じだったといます。

このようなバイクを扱いにくいという人もいたでしょう。

私にとっての250cc 2ストバイクは青春そのものでした。

当時はこのようなレーサーレプリカのバイクで峠を攻めるってのが流行っていた時代、夜になると並行して暴走族も峠に現るってな世界。

私もバイトしまくってガンマを買う!と意気込みまくっていましたがガンマって高いんですよ。確か当時新車で60万ぐらいしていたように記憶しています...ってホンダのNS、ヤマハのTZシリーズも似たような価格だったかな。

そんなレーサーレプリカが集まるのが峠道... 車も多いんだけど夜でもレーサーレプリカ台数が凄かったです。

そんな私が初めて峠道に連れて行ってもらったのは親友の極悪君とその友達(暴走族)、高校年でした。

極悪君が乗るバイクがガンマ、青色のカウルでめっちゃカッコイイガンマ、高校生のくせにガンマなんか乗れる野郎は家が金持ちに決まっていますし、実際彼の家はかなりの金持ちでした。

私も極悪君のガンマで峠を走りましたが壊しちゃいけない...って事であまり攻める走りはできません。
そもそもパワーバンドをキープしながら峠道を走るのは怖すぎてむりでした。

峠でいうところのダサ坊ってやつです。

それでも深夜の峠は楽しかった思い出しかありません。

普段何やってんだか知らないオッサンの車を自慢されたりバイクに命かけてますみたいなお兄さんに缶コーヒー奢ってもらったり...です。

走りやすさで言えば極悪君の友人暴走族が乗るZ400FXのセパハン仕様のほうが面白かったかな。

ネイキッドタイプのバイクにセパハンってのは暴走族だけど走りも本気だから...!みたいなアピール要素が強い改造でしょうかね、
結局は峠道ならレーサーレプリカのほうが断然速いんだけどネイキッドにセパハンスタイルは今でも好きです。

その影響もあってか大人になって買ったCB400SFもセパハンにしたし、SR400もセパハンにしました...って運転下手の直線番長だからセパハン無意味で見た目だけなんだけどね。

 原チャリにカッティングシートでΓ

ガンマに憧れていた私は当時乗っていたタクトにカッティングシートでΓの文字をデカデカと貼ろうと決意、極悪君のガンマに移し紙をあててΓの文字をコピー、それをカッティングシートに移してタクトΓ(タクトガンマ)みたいな事をやっておりました。

たしか蛍光ピンク的なカッティングシートだったように思う、時代...ですね。

因みにタクトとは50cc原付、RGV250Γは250ccバイク...

今考えると相当に恥ずかしい行為ですね、軽自動車にメルセデスやレクサスのエンブレムを付ける感覚と似たようなものですか、

それでも当時は「俺のガンマ」と呼んでいました。

50ccの原付スクーターなのにね...お恥ずかしい話です。

学ランで乗るΓ

レーサーレプリカなんかだと革のツナギで乗ってヘルメットはフルフェイスってのが当時の峠スタイル。

ところが極悪君が峠に行くときは決まって学ランでした。

怖い暴走族のお友達はドカジャンにニッカボッカに足袋、暴走族君に言わせると走りがメインの時は特攻服を着ないとかのルールだったようです。
じゃあ足袋なんか履くなよ...と言いたいところだけど暴走族君は足袋で器用にシフトチェンジしていた...

極悪君が履くズボンは学ランのボンタン、そのボンタンの膝部に空き缶をガムテープで縛り付けて走る姿に当時の私はめっちゃ憧れて真似しまくっていました。

今になって振り返ってみるとですね

「俺は高校生だけど峠でこれだけやれるぜ、大人ども、舐めるんじゃねぇ!」

みたいな感覚だったの思う。

私はヒザスリなど怖くて出来ないレベルの腕前だったのでヒザに貼り付けた空き缶はいつもキレイ、極悪君の空き缶はボロボロ。

結局私の綺麗な空き缶を極悪君に渡して使って貰う、私は極悪君がすり減らした空き缶を密かに拾って自分に付けてドヤるという恥ずかしい行為を今ここで告白します。

たまに朝学校に行くときもあえて片方の膝に極悪君が使った空き缶を貼り付けて登校、

「いやー昨日は走ったー、マジ眠いわー」

みたいなことを言いながら出来る俺アピール、極悪君が来たら速攻で空き缶を外しでカバンにしまうという非常にダサい活動にも精を出していました。

学ランでガンマに乗る彼は本当にカッコよかった。

今年も年賀状がくると思う

私は極悪君の母と年賀状のやり取りをし続けておりまして極悪君のお母さんは毎年欠かさずに年賀状を送ってきれくれますし、お中元も送ってきます。

彼が亡くなってからもう四半世紀以上も経ちますが、彼の母は今でも私に亡き息子の姿を見ている、それは私にも分かっている。

だが現実は借金まみれのヘルシーな変態オッサンに成り果てちゃった... とてもじゃないがコノ事実だけは露呈させてはいけない、あの世の極悪君にはバレてもいいけど彼の母ちゃんだけには見せてはいけない事実です。 

んで郵政がパンクしているというものをネットで読みました。

ならば年賀状とか止めた方が良いとかってな話が出るのも分かりますし今の時代はIT端末を持っている人だらけの世の中なので年賀状じゃなくてSNSやメールとかでいいんじゃね?ってな主張もわかります。

ただ私は極悪君の母から年賀状が来ない正月はあまり想像したくありません。

いや、もっと言えば極悪君母からの年賀状一通だけでも良いのかもしれません。それは毎年届く年賀状をパラパラと捲りつつも極悪母からの年賀状を探す自分がいるから。

年賀状を出す出さないについては難しい問題であり、今の社会に合わないようなシステムにも思えるけど年賀状やお中元でしかやりとりはない、でも自分の人生において大切な付き合いってのもあるはずです。

とくに極悪君は私の人生に多大な影響を与えた人物、彼を忘れることはない。

そんなワケで今年の年賀状は昨年のデータをそのまま利用して出すのではなく、少し考えて出してみようかな...なんて思ってます。

極悪君が登場する記事はコチラ

BOOWYと極悪君との思い出記事では「極悪君と普通に高校卒業して終わり」みたいな最後になっています...
まあその時は極悪君が亡くなっている的なことを書きたくなかったんですよね。

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