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うんちを漏らして落ち込むのは違うぞ、それは一皮剥けた時かもしれないのだ!

岩田です。はてなブログの過去記事転載です。

人は人生において何度うんこを漏らすのか...

うんちを漏らした経験がない人ってのはこの世に存在しないのではないか?と思っている私、人生において衝撃的だった漏らしを二つほど語っていきます。

下痢率が高い

うんちを漏らす人間とは基本的に腸が弱い人間だと考えておりまして私も下痢率が高い人間です。

これは便秘な人からみれば羨ましいと思えるかもしれません。

ただしょっちゅう便が緩い人生ってやつも困ったもの。

それでも自分のお腹とは付き合っていかなければならないのでお出かけ前の入念なクソってやつは当然として、外出先でもトイレの場所、使えるトイレってやつは意識しなければならない人生です。

それでも厳しいシーンがあるのも人生、そんな時は漏らしてしまうし、我慢しているときは油汗がダラダラと流れる始末。

実は今年も一度、渋滞する首都高でピンチを味わいました。

この時は運よく出口で降りられ、しかも運よく茂みを発見したので難を逃れましたが、過去の人生において絶望を味わった事が二度あります。

「コンビニに駆け込め」

という意見もあるでしょう、しかし一刻を争う状況において、しかも運よくコンビニがあったとして、「店員さんにトイレかります」の申し出中に果てる可能性を考慮すれば分かって頂ける話だと信じています。

 急行電車

22歳ぐらいの冬、ターミナル駅に向かう急行電車内にて。

その日の私は腹の調子が最悪だった。

そんな最悪の状況で電車に乗るのはある意味賭けに近い行為、結論から言ってしまえば私は賭けに負けたのだ。

腹が弱い人間とは公共交通機関を嫌う、何故なら急な便意に対処出来ないからだ。

それでも、そんな腹の調子が悪くても電車に乗らなければならない状況とは雪が降る日。

普段は車通勤、自転車通勤の人間がこぞって電車に乗り込む... 通常でも混雑するラッシュ時の電車は更に込む。

事前に駅で一発...といきたいところだが、そんな時に限って駅のトイレは空きが無い。

「急行だから15分で付くはず」

今思えば途中の駅で下車すべきだった。

通常15分程度でターミナル駅につくはずの急行電車、雪、そして朝のラッシュと重なってかこの日は実に40分もかかってしまった。

腹の弱い、そして下痢便を我慢してる人間が40分間も力で便を抑え込む事など不可能である。

私はターミナル駅まであと二駅ほどの急行電車内で果てた。

神とは無情である、せめて無音を..といった願いも虚しく明らかに屁ではない爆音と共に。

満員電車内でこのような状況を想像してもらいたい。

誰だって果てた私から離れたいはずだ、しかしそれは出来ない。何故なら車内はギュウギュ詰めの満員電車、身動きするスペースは存在しない。

やがて私の衣服を貫通して臭いが立つ。

もうまともな精神状態ではいられなかった。

私に出来ることはその場でしゃがみ込み、耳を塞ぐように頭を抱えてうずくまり、ひたすら現実逃避する事しか出来なかった。

人の動きが慌ただしくなった時、私は具合が悪そうな人を演じつつホームをゆっくりと歩く。
目指すは開店前のデパートの裏口のような扉、そして静かに開店を一人待つ。

デパートのトイレは安全地帯だ。

私は汚れたズボンとパンツを脱ぎ捨てフルチン状態の下半身にダウンジャケットを巻き付け、そして隠しながらトイレを出た。

もちろんココにも神の恵みはない。

短い丈のダウンジャケットでは太股を隠すまでが限界である。

どこから見ても変質者だったであろう私は極限状態でズボンを購入、もちろん試着などできるわけがないし、スソ直しの依頼も出来ない。
2万円ぐらいしたズボンをはいた私は当日の予定を全てキャンセル、自宅に戻って一人泣いた。

タクシーと終電

28歳ぐらいの春、タクシー内にて。

その日の私は取引先の社長と飲みまくってしまい、お互いにベロベロの状態になってしまった。
そのまま帰れば良いのに一人でラーメンを食べた私は本当に馬鹿だった。

ラーメンを食べた私はタクシーに乗り込み自宅へ向かう。

タクシーが東京ドームに近づいた時、それは突然起きた。

突然おとずれる屁意、間違いなくラーメンのせいだ。

酔っぱらった私は屁と便の区別が付かなかったのだろう、タクシー内で思いっきりやってしまった....当然ながら下痢便だ。

このままタクシーに乗り続ければ必ず臭いでバレる、その前にタクシーを降りなければならない。
運転手さんには悪いがどうにもならない。

直ぐにタクシーを停めてもらい、おつりは要らないよ!と明るく一万円を差し出しつつ逃げるようにタクシーから離れる。

秋葉原から東京ドームまでの距離なのでタクシー料金は2000円もいってなかったであろう、尻と座席の間にカバンを挟み込み汚物液を遮断かつ、お釣りは要らなかった事であの時の運転手さんには許して頂きたい。

タクシーを降りた私は駅のトイレに向かった。

「もう洋服屋がやっている時間ではない、駅の便所で洗うしかない。」

またしても極限状態に追い込まれた私は駅のトイレ、そして和式を選択した。

和式を選んだ理由を書けば話は少々長くなる...

昔、私が少年時代の頃だろう、漫画「こち亀」においてスーパーの食品を万引きするもトイレで料理して食べるという無茶なシーンがある。

その万引き主は米をも和式便所で洗って炊くという狂った価値観の持ち主だったはずだ。

そんなシーンをとっさに思いついたのだろうか、それとも極限状態の精神が古い記憶を呼び起こしたのだろうか、私はスーツのスラックスを和式便所で洗った。

何度も和式便所の水を流しながら洗った、

 酔っぱらっていたとは言え私は泣きながらスーツのスラックスを和式便所のうんちを受ける場所で洗ったのだ。

心の中で何かが壊れた瞬間...

スラックスの汚物はとれてキレイになり、ついでに和式便所もキレイになった。

ビチャビチャのスラックスを絞りそして履く。

運よく終電に間に合った私は空いてる車内の端に立つ... だがしかし臭う。

和式便所での洗いが甘かったのだ。

出来れば手洗い所で洗いかったが、スーツの上着だけ、下はフルチン状態で洗っていたら間違いなくワイセツ物ナントカ罪で逮捕されただろう。
酔っぱらっていてもそれぐらいの判断はあったのだ。

振り返ってみても和式便所で洗うのは必然だった。

終電で空いている電車内とはいえ、臭うものは臭う。

自分が臭いと感じるなら周りはもっと感じるはずだ、それに電車は新宿まで各駅に止まる。
このまま端で頑張っていても大きな駅では人が沢山乗車してくる可能性がある。
そうなればお終いだ、和式便所の死にたくなる苦労も全て水の泡、私は電車を降りた。

こんなに臭うスラックス、そして濡れているスラックスではもうタクシーに乗れない。

残された道は歩いて帰るしかなかった。

一人夜道を歩く臭いスーツの男...

とても悲しく見えるかもしれないがその実、私の心は晴れていた。

そこにはうんちを漏らした事がもうバレない開放感、臭ったとしてもすれ違う時だけ、もう一生合わない人としかすれ違いはない... こんな気持ちだったのだと思う。

この晴れた心、もしかするとイジメから逃げ出す事が成功した時に感じる解放感に似ているのかも、または牢獄から脱出した時のようなものなのかもしれない。

あの夜味わった晴れた心と開放感をいまだ経験した事がない。

一皮剥けた時

私が自分で人間的に強くなったと思える出来事は二つのうんち漏らした経験があるからであり、この出来事により私は一皮剥け、それ以降は大抵のことは耐えられるようになったと思っています。

出来れば亀さんの皮も剥けて欲しいところですが、どうやらソコだけは神様も許さないのでしょう。
きっと過去のカルマなんかも関係しているのかもしれません。

私が書いた二つのうんち漏らし、

なんの評価もないかもしれないし、悪い評価にしかならないかもしれません。。

もしもブロガーに良い評価を頂けた場合...

その時は自信を持ってうんち漏らしの記事を書くことをお勧め出来るような気がします。

最後まで臭い話を読んで頂き、本当にありがとうございました。

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