ありがちな振り返り

今日で2023年も終わる。
わざわざ一年の区切りで物事を区切って考える必要があるのだろうかという気持ちもないではないが、やはり何らかのきっかけやタイミングで切り替えを持つというのもいいのかもしれない。こじつけでもなんでも。

今年は正直、いい一年とは言えない。むしろ「悪い」に傾いている年だったと結論付けるほかない。
鬱で休職したことや精神的に波があってしんどかったのが一番大きいのは言うまでもないが、それ以前に今年はもう出だしから辛いことが多かった。

年が明けてすぐ最愛の末弟猫が亡くなって、20歳という大往生ではあったがほんとに堪えた。
自分には子供の頃から共に過ごしてきた3匹の弟猫たちがいて、私が大人になって家を出るまでいつも一緒だった。
長男猫がなくなった時も、次男猫がなくなった時も途方もなく悲しかったが、末弟猫がなくなった時の喪失感は計り知れなかった。
それは他の子に比べて特別愛していたからとかではなく、これで本当に兄弟はみんな行ってしまったのだという事実が喪失感を増大させていた。
かつて3人と3匹の若くて元気で賑やかだった家族が、年を取ってきた両親と、結婚して新たな家庭を築いた娘と、天国に住処を移した3匹の猫たちという風に分散した。
人生とはそういうものだけど、振り返ってみると随分と寂しく感じられる。
とにかく、末弟猫の死によって私の中で確かに一つの時代が終わった。
そんな幕開けだった。

そして翌月には夫の祖父が亡くなった。これもかなり精神的に堪える出来事だった。
亡くなったということ自体も悲しくて辛かったし、夫の気持ちを考えると可哀そうでならなった。また自分の祖父母に重ね合わせ、いつか訪れるその時をどうしたって考えてしまい苦しくなった。

悲しいお別れの多い年の初めだった。

加えて、仕事がひどく忙しかった。親族のお葬式に行くのさえ躊躇するほどの忙しさで、それも精神を大きく擦り減らせる理由だった。
大好きなバンドのライブに行く予定を、前の年の初夏から立てていたけどそれもキャンセルすることになった。
春になれば少しは落ち着くだろうと思ったがそれも叶わず、ずるずると忙しいままの日々が続いた。

この頃のことは、今思い出すと「しんどかった」と気づくことができたが、渦中ではそのことの気づくことができなかった。
そして気づかないまま、仕事では次のビックプロジェクトへと突入していった。私はそこで旗振り役となり、今までやったことのない仕事を経験していくことになった。
そこで躓いてしまった。
指導役の人との相性が悪く、私は「いい仕事をしたい」という感情から「嫌な思いをしないように仕事をしたい」にすり替わっていった。
嫌なことを言われないように何を考えるべきか、怒られないために次のミーティングで用意すべきものは何か、何を言えば正解と思ってもらえるのか、それに固執して心の調子を崩していった。
また、尊敬している同僚、といえばかなりきれいな言葉でまとめられているが、実際のところは羨望や嫉妬が渦巻くその感情を自分の成長に繋げたいと思い、自分の行動を変えてみたり考え方を改めるために色んなことを試した。
それが悪い方向に働いてしまい、最後に行きついたのは極度の自己否定だった。

そうやって私は心をぶっ壊した。

8月、私は限界を迎えて休職することになった。
最初の方は元気だった。夏フェスに参加したり、久々に一人旅をしたり。
でもようやく体が緊張を解いた9月中頃、私は何もできなくなった。
自分が本当に鬱なのか、こんなに元気なのに。2か月も休んだら絶対復帰できるはずだと、そう思っていた。
でも全然そんなことはなく、動けない日や不安に押しつぶされそうな日、好きなことにも手を付けられないような火を何度も繰り返してやっと「これが鬱なんだ」と理解できた。

こうして私は自分と向き合いながら、鬱との付き合い方を少しずつ学び、2023年最後の日を迎えた。
まだ全然元気になれておらず、2月末まで休むことが決定している。

でもいいことがなかったわけでもない。
今まで忙しくてできなかったゲーム実況を始めてみたり、久々に手芸を楽しんだり、調子がいいタイミングだと色んな事ができる。
この休みをポジティブにとらえて、来年も自分のやりたいことをやりつつ、焦らず仕事に復帰できたらいいなと思ってる。

とりとめもない今年の話、でした。

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