文字を書くにはPCが好きだって久々に気付いた

パソコンで文章を綴ることの楽しさを久々に思い出した気がする。
スマホで文章を打つのは非常に億劫だ。同じ詩を書いていても、途中で熱量を失っていくような感覚にとらわれる。なぜだろう。同じ、文字を打ち込むという作業でしかないのに。
手書きは当然好きだ。好きだが、手が疲れる。筆圧があまりに強くて、すぐに腱鞘炎になってしまう。インクにこだわり、たくさんの筆記具をそろえているにもかかわらず。猫に小判。だが自分の書く字が好きではないということも問題ではある。
結局、喋るように、滑らかに、文章を作ることができるのがパソコンのキーボードなのだ。子供の頃から、まるで喋るようにキーボードを打ち込み、たくさんの人とコミュニケーションをとったり、文字創作を生み出してきたから。過去に培ったものはなかなか変わらないものだ。
最近の絵の描けなさといったら、本当に嫌になる。表現したくても、一歩玉枝で恐怖心や怒りに代わる。未熟さが私を苦しめる。出来上がったものが、決して私の思った通りにはならないこと、思った通りにならなかったとしても「いいじゃん」って感情を微塵も引き起こしてくれないこと。色んな要因がある。絵が好きでありたい。一種のアイデンティティだった。でもそれはもう喪失している。私に絵は必要なかったんだと、どこかで認めている。だからこそその先に行かなければ、必要なくても、私が私を表現するために、私が私を喜ばせるのに必要なものなんだって。もう一度気づかせて。

苦しい日が多くて、苦しくないようにするにはどうすればいいかわからなくて。体の重さに抗いながら、生きるために必要なことをこなし、やらなくても死なないけどやりたいと思うことをできる範囲でこなし、それでもまた未来への恐怖や自分への無価値感に苛まれて、息ができなくなる。
動悸ではないらしい。心拍数は上がらない。でも、首のあたりがどくどくするんだよ。喉がつっかえて、息が苦しくなる。少しだけ涙が出てくる。子供の頃からたまにある、そんな発作。私が怖くて苦しい時の印。うっとうしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?