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M/S「じぶん綴り方」今月のお題・“私、克服したなー、と思うこと”

参加しているサークル(あらため、メンバーシップですね。タイトルはM/Sと略してあります)「じぶん綴り方」の、毎月のお題に関する記事の投稿。サークル「じぶん綴り方」については、リンクを御確認ください。
毎月2つ出されるお題の1つが、“私、克服したなー、と思うこと”です。それについての記事となります。サークルに参加していない方がこの記事にふれられたときのために、このコメントを冒頭においておきました。

克服…きびしい自己評価との関係

ついに今月も、じぶん綴り方のお題を、締切りギリギリにならないうちにまとめる、という課題を克服できなかった。

克服も自己評価の一つだと思うので、ハードルを高く考える人には、克服は難しい。私は、こういうのは、客観的になることができず、どうしても、かなりきびしく評価してしまう。きびしすぎるのは、客観的ではなく、偏った視点だとわかっていても、ここはどうしても克服できない。
だから、克服…できてものって思いつかないな、というのが、テーマ発表からここまで考えてきたことだった。

私の note のマガジンでは、人前で歌を歌うことの恐怖の克服を一つの題材としているが、これも、一見克服できたように思ったけれど、実はそうではなかった、というのを、先月書いたばかりだし。

ただ、このテーマも、人前で歌を歌うことの恐怖全般を克服したかどうか、という、大きな枠組でとらえてしまうからではないかということに最近気づきはじめている。

小さい、できることから、楽しく

ゴールはとおくても、通過点の連続の先にある

悪いことが続くとき、「勝ち癖」をつけるために、ハードルの低い目標を設定して、クリアをかさねていく。そんなテクニックがある。そうやって、遠く目標を設定していつまでもクリアできない、と、もんもんとするのではなく、目の前の目標を設定をして一歩一歩繰り返すのがよいのかもしれない。

実は、克服という視点からではなく、なにかをはじめるとき、継続するとき、そして、成果をあげるときに大事なのは、「小さい、できることから、楽しく」がコツだと最近考えている。
成果にまでつながる? というのは、これが楽しいから継続するのだけれども、楽しいから外からみていてもいっしょにやりたくなる。そうすることで、「どこどこに売り込んで成果をあげるぞ」ということに視点を置いて、押しつけるのではない。自分たちが楽しくやっていたら、仲間がふえていた、というパターンの方が確実性が高いと思うわけです。
これを強く思ったのは、協議体活動の中で。地域活動がうまくいっているご本人のお話をきいたとき。この3要素が大事だと最近とくに実感しています。(この記事でも言及しています)

マラソンでオリンピックメダリストでもある君原健二さんが、CMの中でだったか、当時読んだ手記だったかは記憶が定かではないのですが、苦しくなったときは、「あの電柱まで走ろう」。そして、その電柱までいったら、次の目標を設定して…いうことをお話されていた。よく、同氏の功績は、オリンピックのメダルよりも、74回出場したフルマラソンで、棄権0だ、と言われるが、こういう、目の前の小さなことを積み上げていく姿勢があったからなのでしょうか。

気づくということすら大事な第一歩

大学の一般教養で学んだ「十牛図」。これは、失った自己をもとめて、牧人が旅をする。それが、牛探しにたとえられている。
いろいろな解釈があると思うが、当時の担当教授は、牛がいなくなったことに気づくことが第一歩だ、ということを強調されていた。そして、これは、意外とわたし行動規範、評価基準になっている。

さて、克服かどうかは微妙だが、小さいテーマ、小さいハードルのクリアを積み上げていくということを、こうやって、このお題をきっかけに考えた結果、整理ができて、あらためて、「小さい、できることから、楽しく」を実践していこう、と思ったならば、これも一つの考え方の変化による克服といえるでしょうか。これが、私、克服したなー、ということになります。


トップの画像は、みんなのフォトギャラリーで「こつこつ」で検索して、出てきたものを使わせていただきました。提供に感謝いたします。

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