見出し画像

泣けるキウイ (小瀧忍)

パース、オーストラリア

 ホストマザーのミセス・ヘザーが昨日の晩に教えてくれた通りに、僕は冷蔵庫に入っていたペースト状のクッキーの「もと」を取り出し粘土のように形を作っていく。こんな時に例えばミッキーやドラえもんみたいな形にするっていうのも「あり」かもしれないけど、そしてこの家の末っ子、ルーカスが大好きな「忍者タートルズ」なんてものがクッキーで表現できたとしたなら、それは今のこの僕にとってちょっとした「きっかけ」みたいなことが起こるかもしれないけど、それら全部を今は脇に置き、振り出しへ戻って2インチくらいの、普通に売っているクッキーよりはちょっと大きい、そして形は誰がみても見事にクッキーである月面のように整えてオーブンに突っ込んだ。しかしこの家の人たちは朝が早く八時だっていうのに、もう誰もいないんだ。
 時計を見るとバスの時間までまだ少しあるから、僕は冷蔵庫に入っていたキウイを取り出した。
 母親も時々朝ごはんにキウイを出してくれたが、それは皮を剥き、実をスライスして小皿に盛る、そういうやつで、これが手間のかかることかといえば、そんなことはないし、僕も耳にうるさい朝のテレビなんかを見ながらフォークで無意識に食べていた。
 でもここに来て驚いたのはルーカスが「マミー、キウイ!」なんていいながらねだると、ヘザーがはいはいと言いながらアイス用の少し深い小皿に、皮ごとのキウイを真っ二つに切って小さなスプーンと一緒に出してきたんだ。ルーカスはグリーンと茶色の隙間にスプーンを差し込み、キレイに掬って食べ始めた。あぁ、お母さん、キウイはこうやって食べるんだ。
 まだ4歳のルーカスはきれいに掬ったつもりでもスプーンから時折果汁をテーブルに落とす。そんなことをじっと見ていた僕にヘザーはシノブも食べるか、と聞いてきた。この家ではことばを極端に発していなかった僕は、イエスとか言いながら笑顔でそれに答えたんだ。
 ヘザーは先程ルーカスに切ったキウイのもう半分を用意してくれた。僕はルーカスと同じようにスプーンを緑と茶色の間に入れて食べた。茶色の皮は意外に丈夫で、残った緑の実の部分を何度か掬っても切れずに無駄なく食べることが出来る。
 僕の母親はいつだってキウイの皮は剥き、スライスして皿に盛り付け僕に与えてくれた。ここで僕は悲しくなったんだ。キウイの食べ方なんてどうでもいいことは知っている。焼いたって煮たっていい。この地球にはきっとそんなやつらがきっといることを僕は「知っている」。でも半分に切ったキウイをホームステイ先で果汁を少しこぼしながら食べていた僕は、今日も僕の弟なんかにいつものように皮を剥き、スライスしているお母さんのことを考えると、泣けてくるんだ。僕は「この世界」に涙を流してもいい、そんな権利を強く感じたんだ。
 もちろん、ヘザーもルーカスもキウイを食べてポロポロと泣き出す僕を見て、彼らの表情のスピードが遅くなっていくのを僕は感じていたし、きっと美味しいのか、まずいのか、何かの思い出が蘇ってホームシックになったか、そんなようなことを考えながら、表情をゆっくりと変えていったんだ。
 もう一度言うけど今のこの感情に対しても僕は涙を流してもいい、流す「べきだ」と感じたんだけど、しばらくすると「もういい、これはここで終わりにしよう」なんて漫画の主人公がするみたいにサッと涙を拭い、大丈夫、と僕は二人に向かって言った。そうなんだ、僕はこうやって何かをきっぱり終わりにすることもできる。オールライト。
 だから、出かけるまでの間になんとなくキウイを食べようと思ったとき、ぼくはこの誰もいない家で包丁で真っ二つに切ったんだ。キウイの真ん中の白いあたりを最初に掬って、そう、こうやって一番美味しいところから食べはじめるんだ。(それもどうかと思うが)ヘタの裏側にあたる底の部分は固く、丈夫だけどあまり美味しくない。そして最後に皮に残った緑の部分をほどほどに掬っていく。意地汚くやりすぎるとやぶれるんだ。こうやって生きることをちょっとずつ学んでいる。いや、そんなことなんて絶対に誰かには言わない。でもいつかそんなときが自然にやってくるとするなら、それは大人になった自分の娘に話すんだな。ほんと、自分が大人になって娘が生まれて大人になるとか、どうかしているよ。


江東区、東京

◉「あ、あ、聞こえますか」△「聞こえますかって、再生しないと分からないじゃない笑」◉「ま、そうだけどさ。最初の狼煙としてね」△「のろし?」◉「うん、やっぱり儀式とか、そんな感じで」△「相変わらず難解だよね」◉「そうかな。ま、このメーター?光ってるし」△「うんうん、大丈夫でしょ」◉「はい、では改めて始めます」◉「……」、△「……」◉「……」、△「なんだよ笑。まぁそういうもんか。っていうかどうしたのこれ。今更だけど」◉「あ、ほら流行ってるでしょ、カセット」△「そうだね、レコードとか」◉「別に流行りを追ってるわけじゃないんだけど、子供の頃使ってなかった?」△「えー、使ってないよ。両親というか、祖父母世代?MDはあったけど」◉「いやいや、あるよ実家には。確かね、車で聞いていた」△「あ、そう。あ、これおいしい」◉「うん、おいしいでしょ、彼氏が置いていった」△「へぇ、結構かわいい趣味してるじゃん」◉「そう、そういうの好きみたい。この、なんだっけ、うさぎ?」△「そのままじゃん笑」◉「いや、うさぎだよ。なんだか捻りないけど。そう言うらしい。なんかこれのクリアファイル持ってた」△「いや、それはやばいよ。超えてる。あたしは持たないな」◉「たまたま見ちゃったんだけど。会社の書類入れてた」△「仕事で!いやぁ、ちょっと気をつけたほうがいいよ。なんか新世代?」◉「何それ」△「いや、あたしたちより新しい」◉「Z世代より新しい。そういえば同期に、いや、Z世代っすから、っていうやついた」△「あはは」◉「ほんと、どうでもいいんだけどね」△「はは。いや、じゃなくてなんでテープレコーダーがここにあるのよ」◉「あ、そうこれね。この前実家帰ったんだよね」△「あぁ、言ってたね」◉「そう、月末にね、だいたい帰るんだけど。ご飯食べたり」△「また奢ったの?」◉「あ、あれはね初任給の記念にね、がんばった」△「えらいよね。あたしもそれ聞いてケーキ買った」◉「へぇ、どこのケーキ?」△「いや、地元にね、昔から家族で何かあると頼むケーキ屋さんがあってさ。そこ」◉「地元のケーキ屋さんっていいよね。うちさ、共働きの家じゃん。それで小学校の頃、これで誕生日ケーキ買っておいてって五千円が置いてあったの。五千円だよ。そしてお姉ちゃんといっしょにさ、買いに行ったんだよね、五千円のケーキ」△「すごーい!ってか、地元に五千円のケーキって売ってる?三千円くらいじゃない?」◉「いや、地元だからなのかさ、なんか夏休みだったし、大きいケーキがあるんだよね。それでさ、なんと、7号!」△「あはは、7号笑」◉「そう、7号、五千円でちょっとお釣りがあったかな」△「食べきれないでしょ」◉「あ〜ケーキ食べたくなってきた」△「笑。でもお茶飲みたいな」◉「あ、ごめんごめん」△「あ、自分でやるやる。ポットでしょ」◉「そう。いい?じゃ、あたしも笑」△「なんだよ、待ってたな。それで、ケーキは全部食べたの?」◉「うん、がんばってみんなでね笑。でもちょっと怒られて」△「やっぱりね」◉「いや、そんな激怒じゃないけど。なんか五千円のところにメモがあってお釣りちゃんともらってね、って書いてあって。だからいつもの三千円くらいのケーキを買ってくるもんだと思ってたらしくて」△「まぁ、そうだけどね。いや、でもそういう誤解はするな」◉「そんな思い出」△「はい、お茶。7号か。ショートケーキ?」◉「なんかさ、フルーツケーキだったなぁ。キウイ」△「キウイ?7号キウイ?笑」◉「いや、他にも桃とかメロンとかあるんだけどさ、決めてはキウイで。ってい
うのを覚えてる」△「キウイねぇ。たまにゴールドのは食べるけど」◉「えーリッチ。あたしはグリーン。あのタネのブツブツのところがキウイらしさがあるじゃん。ゴールドはなめらか過ぎるし高い」△「さすが一人暮らし、金銭感覚がシビアになったよね」◉「そこまでじゃないけど、なんかちゃんと買い物はするかな」△「あたしもね、グリーンは好きだよ。グリーンの時は半分にして掬って食べる」◉「掬う?」△「あ、切る派?」◉「剥いて切る」△「あたしも、っていうか我が家も剥いて切るのがキウイだったんだけどさ。ある日お父さんがさ掬って食べてたのよ」◉「え、汁こぼれない?」△「あ、ちょうど半分に切ってね、小さめのスプーンで掬っていくの。な
んかさ、小腹が空いた時にちょうどいいんだよね、半分のキウイって」◉「ふーん。でもお父さんはどこでその半分に切って掬うのを覚えたのかな」△「え、誰かから聞いたとか」◉「いや、なんかそういう食べ方って結構伝統だったりするじゃん」△「伝統、うふふ」◉「いや、昔付き合ってた人の食べ方とかさ、そして何気なく娘の前でそんな風に食べたりして」△「うへぇ〜やだ。でも気になるなぁ。よし、今日聞いてみよう。え、どうしたの、泣いてるの?」◉「え、あれ、あれ、なんだろう。なんか落ちてきたよ。あはは」△「えー大丈夫?あたしなんか変なこと言った?」◉「うんうん、ぜんぜん、大丈夫。あの、なんか帰ってさ、家族になんか聞こうって、いいね」△「え、いや、なんかそれってホームシック?」◉「え、ぜんぜん、悲しくも寂しくもないんだけど。あはは、また落ちてきた」△「やだー、もう違う話しよ。キウイだめ。あ、だからなんでテープレコーダーなんだっけ笑」◉「あはは、そうだった。っていうかずっと録音してたし」△「えー
うそ!」





企画: 04. 二つの時点

 群島とは互いに分け隔てられていながらも、海や海底や気候を通じて、おなじなにかを共有していたりいなかったりします。
 それと同時に島もまた、それぞれの時間を持っています。現在があり、過去があり、未来がある。この展示では、それぞれの島=作品の時間をテーマにした作品を扱います。

企画作品一覧



修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?