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パパっこ

娘はパパっこだ。
とてもよくわかる。私も夫が大好き。

夫は(こんな親だったらよかったな)と思う子育てをする。そして夫の親戚は(こんな親戚だったらよかったな)と思う人たちだ。

反対に私は(こんな親は嫌だな)と思うことをよくしてしまう。

・・・・・「ねぇねぇ。あのねあのね。パパの方が好きかもしれないけどね、いま気持のいい状態でいられるのはママのおかげなんだよぉぉぉ〜〜〜ママがお風呂に入れたからだし、さっき食べた大好きなスープもママが一生懸命作ったし、お部屋もお洋服も、こうしてパパと楽しく遊べるのその影には全部ママがいるんだよぉぉぉぉぉ・・・・・すごいでしよぉぉぉ・・・・・知ってたぁぁぁぁ・・・・・」・・・・・

と娘の耳元で恩着せがましくささやいてたらその時の顔が面白かったのか喋り方がキモかったのか、指差してゲラゲラ笑われた。

食の趣味も娘はパパよりだ。
私がどんなに身体に優しい食事を作っても、何だか物足りないと食後にカップラーメンやらポテチを2人できゃっきゃ言いながら食べる。

夫が子供の(こんな親だったらいいな)を叶えてくれているので、私は(こんな親にならなくては)に縛られずにありのままの卑屈さでいられている。
そういえばうちの兄も親の(こんな子供だったらいいな)を叶えて生きているので、1人が失敗作でも親もまぁいいかと諦めもつくだろう、とだいぶ気楽に生きている。

私の母は男のような女で、メイクも服も可愛いものには一切興味がなく、兄とよく趣味があった。テレビもおもちゃもご飯も、いつも民主主義らしく多数決を使われて1:2で負けるので私の希望が叶ったことはあまりない。(父がいるときは父の独裁政治になるので多数決はない)

社会人となり自分の好きなものを選んで暮らせるようになったのも束の間、今の夫と暮らし始め、夫は「これがいい」がとてもはっきりしている人で、私は「何となくこっち」という曖昧な人間なので私の希望は後回しなり、結局また人の好きなものの中で生きるようになってしまった。

子供が産まれたら・・・

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子供が産まれたら私の趣味に育てていつか夫に多数決をやってやるんだ。それで雪遊びをしたり大自然の中キャンプをしたり、海に潜って綺麗な魚を見て一緒に「すごいね!」って子供と話そう。たとえ夫が快適な部屋に戻りたがってもね。ふふふ。初めて私の方に風が吹く日・・・。

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と企んでいたのに、どうやら娘は雪遊びより暖かい部屋の中が好き(夫と一緒)だった。1:1でも勝てない夫に、あろうことか、協力者を産んでしまった。それか娘も成長していつか(はぁーママかわいそうだから今日はママの希望で動いてあげるか…)なんて日が来るだろうか。

お正月も私が絵を描いて遊んでいると娘が次から次へと上から塗りつぶしてくるので「やめてよ!」と怒っていると8歳の甥っ子に「ふふ。まぁいいじゃない?楽しそうだし好きなように書かせてあげようよ」と言われてしまった。子供の方が優しいということは本当によくある。大人になると道理で区別してしまうから。

私の人生はまだもう少し「人の好き」の中で生きていくことになりそうだな。そして私はその人生を最近とても気に入っている。私の好きなものより、人が好きなものの中の方が面白さが隠れている。私の好きなものはどうも浅はかで、一般的で、面白みがない。

そいえば昔、渡辺謙が「自分の夢というのはよくわからない。自分が思い描く夢より、人が自分にみる夢の方が面白いことに気づいてしまったんだよね」みたいなことを言っていて、何とかっこいい男だと思った。私は昔のロッカーのような少しキザな言葉がとても好き。

だけど本当はまだ諦めてない。
いつか私も家庭内多数決で勝てますように。

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