2024年1月エジプト旅行記(2)~寝台列車編~

2023年12月29日〜2024年1月5日に友人と二人でエジプト旅行した際の旅行記
滞在都市:カイロ、アスワン、ルクソール
旅行当時の通貨レート:1エジプトポンド≒4.6円、1ドル≒142円


旅程

ざっくりとした日程は下記。本記事では12月31日分を記載する。

12月29日:夜 日本出国
12月30日:早朝 カイロ着→ギザのピラミッド、大エジプト博物館
12月31日:シタデル、エジプト考古学博物館→寝台列車でアスワンに移動
1月1日 :朝アスワン着→切りかけのオベリスク、フィラエ神殿(イシス神殿)
1月2日 :アブシンベル神殿、エレファンティナ島→夜列車でルクソールに移動
1月3日 :王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿、カルナック神殿、ルクソール神殿
1月4日 :朝 飛行機でカイロに移動、夜 帰国便に搭乗
1月5日 :夜 日本帰国

出発~到着初日の旅行記はこちら

12月31日朝

カイロの一日は朝靄で始まる。

朝のピラミッド
ピラミッド側は建物も少なく見通しがいいはずなのに全然見えない。
昼夜の寒暖差が作り出す朝靄で壁もテーブルも水滴だらけ。

朝食の時間を待ちながらエジプトの雰囲気を楽しむ。ダウンを着てちょうどいいくらいの心地よい寒さ。

ホテルのシンプルな朝食
この後来るオレンジジュースが死ぬほど甘い。

朝食の途中、一人旅中の日本人女性に声をかけられた。1週間程前カイロに着いて、寝台列車でルクソール・アスワンに行き、昨日帰ってきたとのこと。カイロの観光はこれかららしい。
私たちはちょうど今日寝台列車に乗るため、お互い情報交換をして別れを告げた。寝台列車の食事は機内食と同じぐらい美味しくないらしい。

朝食後はチェックアウトを済ませ荷物を預け、2日目のカイロ観光へ向かう。

Uber待ちの間見かけたラクダ
よう食べとる。

シタデル

シタデル(Citadel)は城塞の意。サラディン(Salah ad-Din)が建設したのでサラディンのシタデルとも呼ばれる。
Google mapではサラ・エル・ディンのシタデル。多分Salah ad-Dinの発音がそのまま片仮名に落とし込まれている。

シタデルの敷地内にはモスクと博物館があり、入場料450ポンド(≒2070円)ですべて見学できる。カイロではメジャーな観光地。

シタデルの駐車場
大型バスが何台も乗り付けている。

ガーマ・ムハンマド・アリ

1800年代に建設されたモスク。

外観
丸い屋根と尖塔(ミナレット)がいかにもモスクな雰囲気を作っている。
モスクの裏側
大理石の床がとても綺麗。
真ん中の屋根の下には昔礼拝用の水道があったらしい。
入口で売りつけられた靴用のビニール袋 5ポンド(≒23円)ぐらい?
最初詐欺かと思ったが、実際内部は土足禁止だった。靴を脱いで入るのもあり。
モスク内部
魔術とか使えそう。
シャンデリアが凄い
真下にスマホを置いて撮影している人が多かった。
モスク横
高台にあるのでカイロの街が一望できる

やはりエジプトか

モスクを出たところで承太郎に声をかけられた。
写真撮影を頼まれたので独特な凄みのあるポーズを何枚か撮影したのち、彼はクールに去っていった。

館を探しているのだろうか

軍事博物館

モスクを出た後は同敷地内にある軍事博物館へ向かう。警察博物館もあったようだが、気づかなかった。

博物館正面
かっこいい並びの大砲と大理石の床。

この博物館には武器や戦車に限らず、軍事関連であれば絵画、銅像、服飾などなんでも展示されている。

ソ連製の戦車(だと思われる)
冷戦時代エジプトはソ連側寄りだった。
イベント?で展示品の飛行機に乗る子供たち
展示物色々
古代の戦いの様子から中東戦争、冷戦下まで幅広い展示。
シャムシール、フランベルジュ、ククリ刀などRPGでよく見る武器もたくさんある。
ナセル大統領(1918~1970)
第二次中東戦争を勝ち抜き世界最大級のアスワン・ハイ・ダムを建設した凄い人

博物館は結構見ごたえがあってよかったものの、ある程度近代の中東情勢を知っていた方が良いと思う。特に第一次~第四次中東戦争。

出口付近のカフェ
静かで雰囲気もいいためコーヒーでも飲みたかったが、店員と意思疎通が図れず諦めた。カフェなのにコーヒーはなさそうだった。

昼食 ~コシャリ~

Uberドライバー

ちょうど昼食の時間になったためUberの車を手配する。

Uberのドライバーには寡黙な人が多いイメージだったけれど、この時のドライバーは違った。
Google翻訳を駆使して「今日会えたのは神の導き」「エジプト人は日本好き」「カイロは楽しいですか?よかった!」と色々話しかけてくれる。

「お昼は何を食べるの?」と聞かれたので、初めてのコシャリを食べるんだ、と伝えると彼はこう言った。

「コシャリは最高だよ!私もお昼ご飯ご一緒していいですか?」

いいわけないだろ

Abou Tarek

昼食はエジプト料理代表格の「コシャリ」
ごはんとパスタ、豆を混ぜたものにフライドオニオン、トマトソース、酢、辛味ソースをかけて食べるエジプトのファーストフードで、牛丼的立ち位置。

コシャリの超絶有名店 Abou Tarek
メニューはコシャリのみ。
青を基調とした店内(実際はここまで青くなかった気がする)
日本人も含めて観光客がひっきりなしに訪れる。
6階建ほどのビル全体がお店になっており、混雑のため4階まで上がる羽目になった。
運ばれてきたばかりのコシャリ 1つ50ポンド(≒230円)
自分で混ぜてもよいし、お願いすればウェイターがいい感じにやってくれる。
全部乗せてヤミーヤミー♬
笑顔を絶やさない仕事熱心なウェイターが歌いながら手早く仕上げてくれた。
味はトマトソースのパスタ。様々な食感が混ざっており飽きない美味しさ。

回転率命のファーストフードの宿命か、食べ終わるとすぐに会計へ追いやられてしまった。

ところでエジプトにはチップの文化が残っており、レストランでは料理の10%ほど上乗せして支払うのが目安らしい。しかしこれはあくまで目安であって、受けたサービスや満足度によってチップの額も柔軟に変化する。
日本人的にはこれだけでも悩ましいのだが、バクシーシの文化が重なるとさらに事態が複雑になる。

エジプトではとにかくおつりが返ってこない。大きいお札で払うと細かい金額は全部チップになり、目減りしたおつりが返ってくる。そのうえでチップを請求される。
また、チップなんて多ければ多いほど良いしもらうのが当然なので、お礼もほとんど言われない。

この時の食事ではコシャリ2人分で100ポンド、10ポンドのチップが妥当であるはず。そう考えてチップを渡した結果、今まで笑顔だったウェイターの顔が一瞬鬼のような形相になり、また元の営業スマイルに戻った。

エジプト考古学博物館

楽しい食事を終えた後はエジプト考古学博物館へ向かう。ここにはかの有名なツタンカーメンの黄金のマスクも展示されている。
今のところ世界最大のエジプト関連博物館だが、老朽化のためここに展示されている収蔵品の大部分が大エジプト博物館に移転される予定。

博物館正面

テロへの警戒心が強いエジプトではどの観光地でも荷物検査が行われる。その回数も多く、敷地に入るのに1回、建物に入るのに1回といった感じだ。
しかしまともな検査が行われることはなく、X線装置の警報をしり目に警備員は談笑している。

ガバガバ荷物検査場
ここは敷地入り口。この後博物館入り口にも荷物検査場がある。
博物館内部

この博物館にはエジプト関連のありとあらゆる物が展示されている。その点数も多いため、ツアーガイドを雇って重要なものだけ説明してもらいながら観光するのが良いと強く感じた。

展示品の数々
よほどエジプト史に熱心な人でない限り途中で飽きること請け合いだ。
展示品の数々②
アヌビスやカノープス壺などもある。
ミイラ
近くで見ると怖い
ツタンカーメンの黄金マスク
撮影禁止エリア。昔テレビで見たものがちゃんと実在していることに感動。
お土産コーナー
博物館併設の土産物屋全般に言えるが、あきらかに値段が高い。市中の数倍は取られる。その分品質は良さそうだが…

歩き疲れたのでひと休憩することに。エジプトには入りやすいカフェがほとんどないため観光施設併設のカフェは非常に助かる。

エジプトコーヒー 1杯90ポンド(≒414円 高い)、2人分のチップ30ポンド。
底に泥のような粉がたまっているため上澄みを飲む。
移動中に見かけた猫
達観してそうな表情。

ロードローラーの橋

考古学博物館を南下しランダバウトを西側へ曲がった先にとある橋が見えてくる。

承太郎とDIOの最終決戦の地

ジョジョ第3部最大の聖地がカイロにある。

ジョジョの奇妙な冒険 第3部 スターダストクルセイダース 48話7分35秒辺り
正真正銘最後の時間停止をしたシーンで写るライオン像
同48話7分45秒~
承太郎がプッツンすることを確信した場所

この橋でDIOがロードローラーを落とし、承太郎が時を止めた。
第3部一番の名シーン(諸説有)がここで繰り広げられたと思うと感動もひとしおだ。

今日はここを見に来たといっても過言ではないくらい楽しみにしていた。
アニメ版ではこの橋と周囲の風景が忠実に再現されており、満足度もかなり高かった。

シタデルで出会った承太郎も今夜ここに来るのだろう。彼の雄姿を見れなかったことだけが心残りだ。

寝台列車に乗る

計画

この日は寝台列車でエジプト南部の街アスワンへ向かうことになっていた。
列車は19:20発、翌朝08:35着。約13時間の長旅だ。

列車には一応夕食と朝食がついているものの、朝食の時に出会った女性から美味しくないと聞いていた。しかも今日は大晦日、何か特別なものも欲しい。列車に乗るまでのどこかでスーパーマーケットへ寄りたい。
また、ホテルに預けた荷物を拾いに行く必要もある。

現在時刻は16時頃。寝台列車は出発30分前に集合なので、遅くとも18:50までに駅に着けば問題ない。使える時間は3時間ほど。

ロードローラーの橋 →(30分)→ スーパーマーケット →(15分)→ ホテル →(50分)→ カイロ駅
買い物を25分で済ませれば合計2時間。1時間余裕を持たせているので大丈夫だろう。余裕の日程だ。

渋滞

16時頃
さっそくUber車を手配しスーパーマーケットへ向かう。

しかし夕方のカイロは大渋滞しており一向に車が進まない。そのうえ大通りで大工事が行われており、何度も道を変え迂回する必要があった。

渋滞ですゥ〜
夕ぐれの通勤時間帯はギシギシなんですゥ
車が止まっていると売り子が来る。

17時半頃
1時間半かけてようやくスーパーへ到着。
あまりにも渋滞しており、列車に間に合わない予感がする。

時間節約のため友人がUberを手配し、自分が買物を担当することに。
しかし店内は大混雑しており、レジも行列で買い物をあきらめる。
友人のところへ戻ると、悪いことに全く車が捕まらないらしい。
エジプトの渋滞は想定よりも酷い。

車がない以上歩いてホテルへ帰るしかないが、45分かかる計算。今から向かっても到着するのは18時30分。ホテルから駅までは車で50分、19時20分発の列車には間に合わない。

このとき自分は諦観の境地に達していた。明日別の方法で移動しよう。そうすれば何とかなる。飛行機のチケット取ろうか。時間はかかるけどバスでも行けるらしい。寝台列車、乗りたかった…

すると友人が一言、

「走ろう!」

こうして日の落ちたカイロの街を、エジプト人の奇異の目に晒されながら全力疾走することになった。約3.2km、夜を駆けた。

駅へ

18時過ぎ
息も絶え絶えにホテルへ駆け込み、荷物を持ってUberの車に乗り込む。
友人が走りながら車を手配してくれていた。

ドライバーに急いでいるので飛ばしてほしいことを伝え、後は天に祈るのみ。座った途端にどっと汗が流れてくる。大人になってから全力で走る機会が訪れるとは思わなかった。

19時10分頃
車はスムーズに進み、駅付近に到着した。駅前の雑踏をかき分けながら駅舎を目指す。入り口までが遠い。
列車は19時20分発。30分前の集合時間はとうに過ぎている。

発車まで残り数分というところで駅舎の入り口(Ramsis station付近)に着くと、恰幅の良い駅員が笑顔で話しかけてきた。

「寝台列車か?着いてきなさい。」

寝台列車

どうやら出発ぎりぎりに駆け込んでくる客は多いようで、それを見越した人員配置がなされていたらしい。慣れた手つきでチケットを確認し、車両の到着する場所まで案内してもらう。

売店と迫る列車
急いでジュース3本100ポンド(≒460円)を購入した。

待つこと数分、すぐに列車が到着。

かくして無事寝台列車に乗れることになった。

先頭車両
満足に写真を撮る余裕もない

エジプト的大晦日

私たちが予約したのは外国人用1等車両、一部屋二人で189ドル(≒27,000円)。
偶然にも隣は日本人の親子だった。軽く挨拶をして部屋に入り込む。

下段は背もたれを倒してベッドにする。
寝具は上段に敷いてあるタオルケットぐらいの毛布のみ。夜はとても寒い。
左手の丸い部分上側を開くと洗面台になる。雀の涙程度の水が出る。

無事乗れたことに安堵しつつ、お互いを労って今年最後の乾杯をすることに。この時飲んだジュースは世界で一番美味しかった。

エジプトの国民的炭酸飲料ファイルーズ
疲れた体に染み渡る。
友人は昨日余ったビールを飲んでいた。
食事前に配られたチョコチップクッキー
食べなかったので味は不明。

列車が動き出してからしばらくするとあたりに良い香りが立ち込め、夕食が運ばれてきた。朝食で出会った女性は「機内食と同じぐらい美味しくない」などとのたまっていたが、機内食をなめすぎだと思う。

夕食
(左上)味のないフライドチキン、(左下)ありえんぐらい美味しくないピラフ、(中央)塩加減の偏りが凄いフライドポテト、(右上)甘めのサラダ、(右下)エクレア的デザート
フライドポテトだけは美味しかった。ピラフは二口と食べられなかった。

大晦日の年越しそば。こういうのが一番おいしい。

車掌さんにお願い(チップ1ドル)して作ってもらったカップヌードル
わざわざ日本から持ち込んだかいがあった。

食後は今日一日、今年一年の感想を言い合いながら寝床の準備をする。
寝台列車にシャワー等はないため、体拭きシートで代用。布団は薄いが寝心地は悪くない。

しばらく会話していたものの、お互い疲労困憊で新年を迎えるまで持ちそうにない。2024年が良い年になることを願いつつ、就寝することにした。

眠りにつくまではあっという間だった。

夕方から夜にかけて伸びる歩数


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